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源氏物語:零  作者: Salt
第三章
59/65

人形

麗景殿視点

 夜更けに女房に起こされたが寝ぼけていたので、何を言っているのかわからなかった。

「…………弘徽殿の方が真夜中に訪問? あなたも寝ぼけているのね。宿直はいいから局に戻って眠りなさいな」

「いえ本当です! そして桐壺の更衣を置いていったのです!」

「絶対に夢だからお休みなさい」

「夢だったらどんなにいいことか! でも桐壺の方がこうしてここにいるのです!」

…………目が覚めた。


 桐壺の更衣は目を閉じて安らかに眠っている風情だけど、声をかけても意識は戻らない。

「すぐに桐壺の人たちを呼んで!」

 女房たちは躊躇した。つき合いがばれたら困るからだ。

「今は深夜です。隣の宣耀殿は無人だし、裏の梨壷の東宮さまは体の弱い方だから早くに休まれます。誰にもわかりません、早く!」

 さっと二人ほど走り出た。他の者に命じて御帳台の中を片付け、更衣をそこに寝かせた。


 すぐに先の二人が桐壺の人たちを伴って戻ってくる。

 真っ青になった彼女たちは何とか起こそうと試みたけれど上手くいかなかった。

「……以前の時と同じだ」

 小声でつぶやいたのを耳にして尋ねてみる。

「前にもこんなことがあったの?」

 ちょっと身をすくめたその女房はうやうやしく答えた。

「はい。出産の折りに長く意識を失っておりました」

「そのときなら無理もないけれど、今こんなに起きないのは妙ね」

 最初の女房を呼び立てた。

「聞き間違えたかもしれないけれど弘徽殿の女御さまが連れてみえたと言ったわね」

 桐壺側が色めきたった。が、それをそのままにして正確に状況を述べさせる。

「仁寿殿に倒れていたとおっしゃっていました」

「害されたのでしょうか」

「いえ、ついそのことを尋ねてしまったのですが、強く否定なさいました。その様子にまったく偽りは感じませんでした」

 桐壺の女房たちは疑惑の色を消し去ってはいなかったけれどそれ以上は口にしなかった。


「……いかが致しましょう」

 みなが私をうかがっている。少し考え込む。

「戸板に乗せてお運びしたらどうでしょう」

 一人が提案したけれど別の女房が不安そうな顔をする。

「こんな状況の時に動かしたりしたら二度と意識を取り戻さないことがあると元カレの医師に聞いたことがあります」

 あちらの女房たちは更に青ざめた。

「申し訳ありませんが、しばし主人をこちらに置いていただけないでしょうか」

「いえ、それは困ります」

 私の女房が拒んでいる。

「他の部屋の手前もありますし、人聞きから言っても……」

「それにうちの女御さまに不自由をかけることになります」

 桐壺の人たちは唇をかんだ。不安のあまり身を震わせている人もいる。

 しばらく黙っていた。でも進退を決めないわけには行かない。

「…………明日のこの時間までこのままでお待ちします」


 驚いて困惑する私の女房たちと、ほっとした顔のあちら側の人たち。決意を固めて言葉を続けた。

「それまでにお目覚めになってもこちらにいらしていただいて、夜にお帰しします」

 不満のありそうな私の女房が穏やかに水を差した。

「医師や薬師の手配などがおありでしょうから……」

 それもはねのける。

「安福殿にいる父の懇意の方を、私が不調だということにして呼んできて。くれぐれも内密にと」

 女房たちは動かない。私はにっこりと笑った。

「暗くて怖いでしょうから五人で行って来てね。あなたとあなたとそこ三人。さあ、善行を積んで後世は九品の上に生まれ変わりましょう!」

 崇仁門は閉まっているだろうから清涼伝の孫廂を通っていくしかない。ところどころ錠がかかっているかもしれないけれど。

「途中人にあったら私の名前を出して。重態ではないけれど心配だからということにしてね」

 有無を言わさず先に進ませる。五人それぞれが持った紙燭が夢のように美しく揺れている。


「本当に重ねがさね……」

 桐壺側の人は揃ってひざをついて私に頭を下げる。それを急いであげてもらう。

「あなた方はこの方のことだけ考えてあげて。すぐに部屋に戻ってお休みなさいな。明日までの長丁場なのだから起きっ放しじゃダメですよ」

 潤んだ瞳の彼女たちに請け負った。

「明日までこの方をしっかりとお守りします。覗きに来てもいけません。私たちも身を守らねばならないので」

 しっかりと釘を指す。

 事情がわかったら夜にでも知らせてくれることを頼み、部屋に帰した。


「…………女御さまのお人のよさにはちょっとあきれてしまいます」

 残った女房の一人が休むところを作ってくれながら怒ったふりをするが、口もとは笑っている。大袿の皺を伸ばしていたもう一人も軽く睨む。

「他の方の尻馬に乗れという訳ではないのですよ。でも女御さまはもう少し保身に走られてもいいと思います」

「あら、走っているわよ。今を時めく桐壺の更衣に恩を売ろうとしているもの」

「お口だけですわ」

 感触のいい絹の中に真綿がたっぷり入れてある。几帳の影でそれをかぶって横たわる。

「それに私は彼女に負債があるの」

「桐壺の更衣に? なんでしょう」

 意外そうな顔の女房たちに自分の罪を語る。

「誓って言うわ、悪意はなかったの」

 後宮で辛い目に会っている彼女の立場がほんの少し楽になったらと、彼女に好意を持つらしい右大弁を呼び出して、帝に進言することを頼んだ。そして女性間の暗黙のルールで、更衣は上局を使いにくいことを教えた。もちろん、あまり頻繁に呼びすぎると気の毒だとの意を込めて。

 もともと彼女に同情的で他者をそしらずにいさめたかった彼は、ちょうどいい口実として帝にそのことを伝えた。

 すると帝はとても素直にその言葉を受け取り、さっそく人を移して後涼殿を上局として用意したのだった。


「ね、だからあれは私が黒幕なの」

「いえ、女御さまは悪くありません。……それにしても帝は、その、さすがに浮世離れしたお方というか…………」

 女房があきれているうちに侍医の訪問があり、他の子たちも戻ってきた。


「脈がいくらか弱られていますが、病の様相はありませんな」

「それでは、そのうちお目覚めになります?」

 なまず髭を撫ぜながら医師は首をかしげる。

「そうであればよろしいのじゃが、確実とは言えませんな。万が一目が覚めぬようでありましたら……」

「どうなりますの?」

 おそるおそる聞いてみる。医師は難しい顔で首を振った。

「おそらく、心ノ臓が弱って亡くなるであろう」

 胸に痛みが走った。


 交代した女房たちが医師を送り届けたが私は眠れなくなった。

 心配した女房たちが薬湯を煎じてくれたのでそれを飲みながら語り合う。

「安福殿には無事行けたのね。よかったわ」

「要所要所に弘徽殿側の人がいて通してくれました」

「事情を知る人はいたの?」

「いえ。尋ねてみましたが『わたくしたちは、もし麗景殿の人たちがいらしたらお通しするようにと伝えられただけです』と述べておりました」

 私が医師を求めることまで予想なさるなんて凄い。だけど私にはそんな推察力などないのだから、もう少し説明がほしいのだけど。

 桐壺の人たちの話によれば、日中は変わった様子もなくいつものように休んだらしい。

「やっぱり弘徽殿の女御さまがあやしい気がします」

「そうですよ。たまたま仁寿殿を通りかかるなんてありえないと思います」

 最初の女房が反論する。

「でも嘘をついている様子はまったくありませんでした」

 別の一人もそれに加わる。

「だって弘徽殿の女御さまですよ。普通の人にはありえないことが、あの方だったらあるのじゃないでしょうか」

 みな、ちょっと否定しきれない。

 色々と考えをめぐらしているうちに、さすがに眠気が訪れた。



 翌朝みんなは失礼にならない程度に桐壺の更衣をくすぐったり、濡らした絹で顔や体を拭いてあげたりしてみたが目は覚めなかった。

「困ったわねえ」

 医師の言葉を思い出すと不安でいっぱいになる。

「もうしばらくしたらまたお声をかけましょう」

「それがいいわ。……それにしてもきれいな方ね」

 つややかな長い髪を身に添わせたまま眠る更衣はとても美しかった。ほっそりと華奢な姿なのに、何か凛とした気品があって見くびることのできない強さを感じさせる。

「女御さまもきれいです」

 女房がにっこりと笑いかけてくれる。

「まあ、ありがとう」

 身内誉めでも嬉しい。



 大きな人形を置いたみたいにしてその日を過ごした。更衣は水も食事もとらずにこんこんと眠り続けた。

 できるかぎりのことはしてみたけれど彼女は目覚めない。

 やがて日は傾き、明かりを灯す頃合になった。


「このままでは迎えの来る時刻になってしまうわ」

「眠ったままのこの方を見たらきっと心配なさるでしょうね」

「約束を守って覗きにも来なかったのに。何とか起こして差し上げたいわ」

 彼女たちを見渡した。

「あなたたちだったら、どういう風にすれば起きる?」

 首を傾げて考えていた一人が真面目な顔で私を見た。

「わたくしでしたら、鴨のあつもののにおいがしたら起きます」

 ぷっ、とみなが噴きだす。

「じゃあわたしは揚げたての唐菓子があったら目が覚めるわ」

「梨か柑子、柿か栗がいいわ」

「蜜をかけたものなら何でも」

「でもお食事時にも起きなかったわよね」

 うーんとみんな考え込む。


「反対に大嫌いなものでも起きるかしら」

「わたし、雷がなったら起きるかも」

「え、でも弘徽殿の女御さまの声でも起きなかったのでしょう」

 全員で首をひねる。


「大好きなものか大嫌いなもので起きるかもしれないのよね」

「どちらのほうがより起きやすいかしら」

「さあ……」

「いっそ両方を兼ねるものがあったらいいのに」

「そんな無茶な……あ…………」

「え、まさかないでしょう」

「桐壺の更衣の好きなものって何?」

「よく知らないけれど、あの腕前からすると音の遊びかしら…………あ…………」

「あ…………」

 なぜか全員揃って私を見た。



「どれにしようかしら。和琴と筝と琵琶はどれがお好きだと思う?」

「さあ……ちょっとわかりかねます」

「でも……私よりあなたたちのほうが上手でしょう」

 一人が真剣な顔をする。

「わたしどもは無難にこなせます。ですが誰もがほどほど程度のたしなみで、この方を目覚めさせるほどの腕も情熱も持っておりません。でも女御さまは腕前こそ高水準とはいえませんが、音自体はお好きでいらっしゃるでしょう」

「ええ」

 人の演奏を聞くことも大好きだし、自分で奏でることも好き。ひどい音だけど自分で懸命に弾く音だから愛おしい。普段は他に遠慮してかすかな音で少ししか弾かないようにしているけれど。

「そのお気持ちが一番大事だと思います。格子も下ろしました。存分にお弾きください」

「わかったわ」


 まず和琴を前にして、慣れた練習曲を奏でる。思ったより指がよく動く。

 次に親しみやすい小曲を弾いてみる。少々音を外しても気にしない。明るい気持ちで軽やかに進める。

 だんだん興が乗ってきた。楽器を変えて筝を鳴らす。

「どうすれば、ボェ~という唸りが筝から出るのでしょう」

「……特殊な技術だと思いますわ」

 女房たちが感心している。期待に応えるように頑張らなくては。

 一段と音を張り上げると近くに座る女房が目を白黒させる。

「きっとそのうち起きますわ」

「ええ必ず」

「この音でしたら死人だって起きると思います」

 まあ。まさか死人は起きないでしょうに。

 でもそのくらいの熱意を込めて思いっきり弾いてみた。


「次は琵琶にするわ」

「…………どうぞ」

 試してみたい曲があった。以前の遊びであの二人が引いていた不思議な曲だ。耳コピだから完全に再現することはできないけれど。

「ええと、こんな感じで始まったかしら」

 強く握った撥を振るう。思ったのとはだいぶ違うけれど流れは合っていると思う。弾むような気持ちで突き進む。

 聞いたこともない速度だった。確か馬が跳ねるような感じ。こんな風に。あら違った、こうだったかしら。

 試行錯誤しながら奏でるとちょっと違った感じの音になる。だけど、うん、心は同じだと思う。速くて楽しくて気持ちいい。そんなのびのびした気分を出そうと心がける。

「確かこのくらいのところで思いっきり飛ぶんだったわ」

 実際に音を飛ばすのではなくイメージで飛ばす。あら、難しいわ。

 だんだん目的を忘れて夢中になる。

 それなら今度は女御さまの音に近づけて、ジャンプ!

 まあ。へろへろって音が出るのはなぜかしら。


「…………女御さま!」

「なに?」

「桐壺の更衣の目が開きました!」

 慌てて琵琶を置いて近くまでいざり寄った。



 






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