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源氏物語:零  作者: Salt
第三章
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後見

弘徽殿視点

 細殿の枢戸(くるるど)が激しく音をたてたのが、この弘徽殿の母屋まで響いてきた。

 音の主は想像できた。案のじょう乳母子が憤懣やるかたないといった表情で傍までにじり寄ってきた。


「…………知っています」

 言い出す前に気勢を削いだ。彼女は少し顔を傾けて私を見た。


 二の宮の袴着についての話だ。

 かなり大がかりな儀となるようで帝が駆けずり回るように準備にいそしんでいる。

 それはいい。いや、気分的にはよくないがとりあえず私の感情は抑える。

 問題はそのための費用や飾り物として公のものを使おうとしていることだ。


 帝はもちろん公の存在である。だがその子息は必ずしもそうとは言いがたい。

 もちろん古来より続く皇の血をつなぐことは大事だ。しかし多すぎる子孫に掛かる費用を全て国庫に頼れば財政が逼迫する。


 そうならないためにも重要なのはその子を育む里の存在である。


 基本、娘を入内させる家はそこそこ有力な家筋だ。

 それはただステイタスであるだけではない。帝を支え、その子をふさわしい品格に育てるためにはかなりの財がいる。

 もちろん皇子皇女は定められた品位に応じて御封(みふ)が与えられるし、無品であっても最低限は保障されるが、それだけでは後ろ指を刺されない暮らしは出来ない。だから里の財力はどうしても必要だ。


 いや、里に財があっても前世代の親王など、母屋にも置かれず使用人すれすれの暮らしのものがいくらもある。

 それでも一族ともども没落した里を持つよりは大分マシだ。


 桐壺の更衣は大納言であった父を亡くし、兄も世を捨てている。大臣であった伯父も亡くし、従兄弟は近衛の中将ではあるがこの先出世は見込めない。

 里をささやかに守るのは、血筋だけはかなりのものである更衣の母のみだ。


 だから主上が力を注ぐ理由はわかる。わかるがそれを許容することは出来ない。


「公私の混同は国を危うくする元です」

「そうですよね。一の宮さまならわかります。いずれは東宮となる身の上ですから、その存在は公として遇されるべきです!」


 乳母子の意見は正しい。

 だが右大臣家は財力にも威儀にも不足はない。わが息一の宮の袴着は帝の手を煩わせず一族で滞りなく終えた。


「それにこのように公の財を利用して行うとまるでこの宮さまが……あ、いえ…………」


 横を向いて視線を外した。

 認めたくはないが今回ばかりはこの女が正しい。


 主上が公の財をもってことほぐ皇子。それは普通ならば東宮となるべき皇子と解釈される。


 もちろん、二の宮はその地位にふさわしくない。

 資質ではない。後見するべき存在がないからだ。

 後見は自らの地位と能力で他者を操ることが必要だ。

 つまり更衣の母は後見になれない。


 帝は人々にかつがれる存在だ。俗な思惑など持つ必要がない。民を思って祈り、血をつなげば充分に義務を果たしたことになる。

 雅やかとはいえぬ政に力を注ぎ手を汚すことはその後見の立場にあるものの責務だ。


 主上を護るためにわが一族は人をも財をも全てを差し出す。

 それなのに彼は何も与えぬ女の息子を過剰に扱っている。


 一の宮が私の息子でなかったとしたら堂々といさめることができた。

 私的なものを公をもって飾ることの危険について語ることもできた。

 帝の行為は全ての未来の前例となることを説き、一人の無力な更衣の生んだ皇子を公の扱いとするのなら、他の子も同じようにせねば道理に合わないと告げることもできた。

 しかしそうすると国の富は乏しくなり政が行き届かなくなることも話すことができた。


 だが私はそうすることはできない。

 そのように扱ってもらえなかった息子を持つ私が道理を説いても、それはただの妬みにしか見えないだろう。


 理よりも情に左右される彼だ。他者の行動の基準も全てそれだと思うに違いない。


「………………確かに私の情はかなり(こわ)いがな」

「はい?」


 つぶやいた声に目ざとく気づいた乳母子に苦い笑いを見せる。

「なんでもありません」

「そう……ですか」


 野放図に見えて幼い頃から仕える彼女は、どうしても引かなければならないときはそれを悟る。通常は見せない色が濃く瞳に現れている。


「わたしが主上のもとを訪れておいさめ致しましょうか」

「いえ。穏やかにスルーされるだけでしょう。主上に忠実な女官たちの反感も買います」


 虎の威を借る狐程度にしか思われないであろう。

 …………天女の威を借る小雀程度にしか思われないであろう。


「それではこのまま放って置くのですか」

「…………ええ」


 ぎゅっとかみしめた彼女の唇が白くなる。

 私の顔色も、化粧がなくとも多分同じ色だ。


「納得がいきません!」

「世の中はそんなことばかりです」

「けれど!」


 炭櫃の火がはぜる音がする。

 孫廂の向こうには、しんしんと雪が降り積む気配。

 近い温もりよりも離れた冷気の方が親しく感じられる。


「女御さまに対してだけではなく一の宮さまにも……」

「…………そのことは言わないで」


 落ち着いているように見せようとしてゆっくりと扇を開いた。

 そのためわずかに間に合わなかったようだ。


 ぽたり、と水滴が膝に落ちたのを見ないふりをしてくれた。


 こうまでされて、なぜ私はあの方なしでは生きられないのだろう。

 いや、そうではない。

 こうまでされて、なぜ私はあのバカなしでは生きられないのだろう。


「…………わたしはやはり許せません」


 聞こえなかったふりをした。



 一日中雪は降り続いた。

 その中に私は情を埋めた。

 それは凍りついて、少しも解ける気配を見せなかった。




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