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源氏物語:零  作者: Salt
第三章
52/65

支度

麗景殿視点

 里がちになっていた桐壺の更衣が内裏に戻ってきた。

 帝は勢い込んで彼女を訪れていらっしゃる。上へもお召しになる。


 怨嗟の声は途切れない。

 それでも帝はしきりに彼女を招いた。

 更衣があまり幸せな目にあわないことは火を見るより明らかだった。


 けれど帝は以前よりお元気そうに見える。

 彼女を呼ぶ合間に私たちをも呼んでくださる。


「…………お疲れではありませんか?」

 昼にあちらに行かれたのに夜にこちらにいらしてくださった。嬉しいけれど心配になって尋ねると帝は微笑まれた。


「全然。今とても充実しているのです。ちょっと忙しいですけれど」

「まあ。想像してしまうと妬けますわ」


 中に溜め込むと辛いから、素直に心を告げてみた。帝は焦って腕を振り回し、慌てて弁明を始めた。

 また少し子供っぽくなられた。だけどそんな様子も好き。


「いつだってこの部屋に来るのはとても楽しみなんです。室礼も穏やかな色合いでとても気が落ち着くから」

「いいんですの」

 彼の優しい瞳を真向かいから見た。


「困らせてしまってごめんなさい。お会いできて本当に嬉しいですわ」

 帝の瞳がちょっと潤む。


「…………私がたくさん、少なくとも三人ぐらいいればいいのに。一人は絶対あなたのもとにずっといますよ」

「あら。そんな薄味の旦那様はいやだわ」

 帝の目が丸くなって、それからくっくっくっと笑い出す。

「薄くはないつもりですが。でもごめんなさい、そうはなれないので時たま寂しい思いをさせてしまいます」

「いいんですの」

 彼をじっと見つめた。


「会えない間もずっとあなたのことを考えていますから」


 帝はとても優しく、私の髪に触れた。



 夜が更けてからもたわいないおしゃべりを楽しんだ。

「ええ。年の離れた妹ですからかわいくて。この間久しぶりに里に帰ったのは彼女のためですわ」

「あなたがいない間は、内裏は火が消えたようでしたよ」

「それは別の方のことではありませんの?」

 軽く睨むとまた腕を振り回す。


「……みんな傍にいて欲しいんです」

「だめですわ。今は私だけって言ってくださらなきゃ拗ねますわよ」

「も、もちろんです。麗景殿さんだけです」

「……そういうことにしておきますわ」

 腕の辺りをちょっとつねってみる。帝は大げさに痛がって見せた。


「妹さんのために私に寂しい思いをさせたのですね」

「ええ。彼女の袴着(はかまぎ)を祝いましたの」


 急に帝が怖いほど真剣な顔で私を見た。


「今、なんて言いました?」


 何か妙なことを言ったかしら。首をかしげながら考える。

「彼女の袴着を……」


 帝の顔色がどんどん青ざめていく。それからふいに赤くなってきた。なんだか煙でも上がりそう。


「忘れてた――――っ!!!」


 突然叫ばれて驚いた。


「妹さんは確か、二の宮と同じ年ですよねっ」

「え、ええ。あの子の方が少し上ですけれど」

「た、大変だ! すぐに用意しなきゃ!」

「何をですの?」

「袴着ですっ。彼ももう三つなんだ。すぐに手配しなければ!」

 今にも駆けていきそうなのを押し留めた。


「こんな夜中に言い出しても皆さん困りますわ。それに、七つまでに行えばいいのですし」

「でもせっかくだから一刻も早く……」

「いけません。袴着の支度はとてもいいことだと思いますわ。でも、それは日が昇ってから。あのかわいい二の宮さまがいつも日の当たる道を歩けるように」

 なだめるとようやく気を落ち着けてくださった。


「……そうですね。私はいつも焦りすぎる」

「本当に。朝になったら色々考えて差し上げて。でも今は私のことだけを見てほしいのです」

 帝は私を抱きしめた。


「…………あなたはいつも素敵な人だ」

「お褒めに預かって光栄ですわ」

「優しくて気持ちがまっすぐで大好きです」

 頬が熱くなって言葉を返すことが出来なかった。



 翌日から帝は二の宮の袴着の準備に奔走した。

 それは少し度を越していて人々は眉をひそめた。

 更衣の里の支度を越えて、公のものが使われることになった。



内蔵寮(くらづかさ)納殿おさめどののものもお使いになるらしいですわ」

「そんな。一の宮さまの時でさえ右大臣がもっと静かに行ったそうなのに」


 また、不穏な空気が流れ始めていた。

 人々は固唾を呑んである方の様子を窺っている。


「また色々と始まったみたいです」

 女房たちがそっと噂を告げた。

「どんなことが?」

「定番の馬道閉じ込めや、打橋(うちはし)や渡殿にとんでもないものをまいたり……」

「とんでもないものって?」

 女房たちが顔を見合わせた。


「女御さまはお聞きにならないほうがいいです」

「お耳の穢れです」


 想像すると血の気が引いた。

 彼女たちが加わってないかを尋ねようとして、口をつぐんだ。


 聞けない。

 そんなことはしないでと言いたいけれど、この後宮で絶対的多数に逆らえば私はともかく彼女たちがどういう目にあうかを考えるとそんなことは言えない。


 妬み心は私にだって凄くあるけれど、それを生身の女に直にぶつけるなんてしたくない。


――――綺麗ごとを。


 私の心の鬼が囁く。


――――女房に事寄せて自分を護ろうとしているだけではないの?


 痛みが胸に広がる。もちろんそれは嘘とはいえない。


――――おまえもしょせん自分のことしか考えないただの女だ


 そうなのだと思う。だけど…………


「文を書く用意をしてください」


 すぐに女房たちが動いた。

 普段は使わぬ色合いの紙屋紙に細筆を走らせた。


『お話したいことがあります。お忙しいとは思いますが、ほんのひとときお寄り願えませんか?』


 あつかましくもそう書いて使いの者に渡した。



 年は明けたのに寒さはまだ、緩む気配もなかった。

 


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