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源氏物語:零  作者: Salt
第三章
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見栄

 みんなが火を絶やさないように気づかってくれているが、それでも夜が更けると火の気が失せている。


 なのに闇は温かい。

 弱りきった私を優しく抱きしめてくれる。

 誘いはいつも甘い。

 けれど無理強いはしない。

 辛抱強く傍にいてくれる。

 私の体が耐え切れなくなる時をただ待っている。


 夜になると子供たちが遊びに来る。

 まるで兄のように優しく息子をあやしてくれる時もあるし、甘えるように体にまとわりついている時もある。


「こいつじゃないといけないのか?」


 軽やかな影の一つに聞いてみる。

 それが定めであろうとも、親としての私は彼を縛りたくない。


「彼も望んだんだよ」

「僕たちだけじゃ、無理」


 子供たちは少し悲しげに答える。

 私はなおも言い募る。


仁和(にんな)の帝(光考天皇)じゃダメだったのか」


 時の権力者と堅固な血のつながりを持たずして帝となった方の名をあげる。

 無力な四品親王として元服したその方は、温和な人柄と身についた風雅の業で少しずつ品位を上げていき、五十五歳にして帝となられた。

 (すめらぎ)の血を継ぎながら阻まれて帝位を得ることの出来なかった子供たちにとっては小気味のいい存在だと思う。


「彼は自分の血をそのまま帝位に残すことが出来たからだめなの」

「そんな風に血をつないだ人は手を離れちゃうの」


 子供の影は言う。


「帝ならざる者が帝のごとき立場となり、そして帝位に直接には血をつながない」

「それが僕たちの夢」「僕たちの祈り」「僕たちの望み」

「皇によって生まれ皇に向けて突きつける一つの刃」


 帝ではなく帝のごとき立場ってありえない気がするが。太政大臣(だじょうだいじん)のことだろうか。


「あなたはその道を通すためにうつし世に現れたんだ」

「……の化身」「祝福された永遠の人」「無から全てを生み出す人」

「始まりを示す女」「物語の起点」


 思わず苦笑する。


「……そんな大そうなもんじゃねえよ」


 影は笑みを含んで消えていく。



「……お目覚めになられましたか」


 灰はかきたてられ、火桶(ひおけ)の火はかんかんに熾っている。


「ああ。……だいぶ積もったな」


 格子(こうし)が一つだけ開けてあって外の気配が見て取れる。


「閉めましょうか?」

「いや、開けててくれ。雪が見たい」


 日の光に輝く新雪の美しさ。目に眩いこの風景を胸に灼き付けておきたい。


 女房たちが心配そうに見ている。

 最近ではそれが癖になっているみたいだ。

 おうおう、辛気くせえぞ。まだ逝ってたまるかい。


「帝からの文が届いてますよ」

「使いを待たせちまったか?」

「いえ、こちらの者をやるからといったん帰ってもらいました」


 空手で返すのは気の毒だが、女房の代筆など与えても仕方がない。

 文を開くと、男の手蹟()にしちゃどことなく愛らしい彼の字がちょっと拗ねたような和歌を綴っている。


――――新しい年を一人で過ごせっていうんですか


 口を尖らせたあいつの姿が目に浮かぶ。

 細筆を取り、さらさらと返しをしたためる。


――――(こころ)はいつだって傍にいるよ


 文使いをやったあとも彼の面影が消えなくて、人の話も上の空だ。


「……年が明けたら皇子さまも三つにおなりです。袴着(はかまぎ)なども考えねばなりませんね」

「そうだな」

「一の宮の時は盛大に執り行なわれたそうっす。負けないほどの儀にしたいっスね」


 乳母はちょっと席を外しているが、平気でとことこと歩き回ってる息子を見る。寒さなど気にもしていない。


「張り合うこともないだろう。気楽に構えておけばいいさ」


 お母ちゃんにあんまり負担をかけたくない。ささやかに身内で祝うことになると思う。

 だけどあいつ、見たがるだろうなあ。


「あ、二の宮さま、そんなに端にお寄りになったら危ないですよ」


 御簾(みす)をくぐって外に手を伸ばしている息子を女房の一人が捕まえた。


「雪が珍しいんだろう」

「雪うさぎをこしらえてきましょう」


 一人が部屋を出て外に出て行った。やがてかわいい形に整えた雪を携えて戻ってくる。息子は大喜びだ。

 雪うさぎの真っ赤な目は南天の実で作ってある。


「ちょっとしたものでもお喜びになっていいっすね」

「ああ。鬼やらいも見せたかったな」


 大晦日の夜の行事だが、しばらく戻らないと思うので見せてやることが出来ない。


「来年の方がもっと記憶に残りますよ」

「そうだな…………」


 自分の中を風が吹き抜けていく。


 なんだかやるせない思いで雪を眺めていると、いつのまにか年若い女房が傍に控えていた。

 特に気色ばんだ様子はないが、なんだか彼女に薄氷のようなものが張り詰めているのを感じる。

 微笑みかけるとちょっと困ったような笑顔を返した。


「何人かでつれていって雪をもっと見せてやってくれ」


 息子を示しながらそういうと女房たちは、きゃっきゃっと笑っている彼を暖かい衣装でくるみ外に出た。

 残った女房は気遣わしげに私を見た。


「どしたい?……帝のことだな」

「はい」


 彼女は少し目を反らした。


「なんだ? 他の方々のとこに連日行ってるって話なら聞かんぞ。妬けるからな」


 冗談めかして本音を言うとますます彼女は固くなる。

 だけど心を決めたのか、視線を戻して話しはじめた。


「確かに昼は連日順々に各部屋をお廻りになられています。ただ、夜のお召しはありません」


 まず嬉しくなって、それから心配になる。


「…………勤めを果たさないと風当たりが強いだろう」

「今、弘徽殿(こきでん)の方が抑えていらっしゃいます。けれどいつまで保つかわからないそうです」


 少し息を呑んだ。女房は痛みを抱えた表情で私を見つめた。


「帝は心を病んでいらっしゃる。あの方がそうおっしゃられたそうです」


 遊びのない口調で告げる彼女に葛藤が見える。できれば私に告げたくなかったのだろう。


「あっち方の女房がそう言ったのか」

「はい」


 彼女はまた目を伏せた。


「…………あいつ、どうかしたのか」

「通常のご様子ではないとおっしゃっただけで詳しくはわからない。その女房はそう告げました。彼女の見かけた時は普通より大人びた対応で、むしろ成長なさったように見えた、とのことでしたが……」


 机に載せたままの文に目をやる。


「いつもと変わらない感じだったが」

「わたくしごときが口を出すことではありませんが……殿がたは大事な方に見栄を張ることが多いのは事実です」


 いつもどおりの振りをしているだけなんだろうか。


「わかった。話すのきつかっただろ、ありがとうな」


 いたわると彼女は首を横に振った。



 いつだって彼は危なっかしい。

 空気は読まんし、悪意はわからんし、政だってからっきしだ。

 だけど素直で優しくて、無茶苦茶かわいくて、いつもなんか必死で…………おまけにとことん男だ。


 バカだなあ、見栄なんか張っちゃって。

 ほどほどの程度に見せかけた歌。早く帰って欲しいといいながらけして強要はしない。

 命じることだってできるのに、呼びかけるだけで脅しはしない。


 こっちの体を案じてくれてるんだろうなあ。

 かまわないのに。ほんの少し長引こうが短くなろうが、行く場所は同じだ。

 できれば不在にも慣れて欲しいのに。まだ無理だな。


 この豆腐メンタル。戻ってちょっと鍛えてやるよ。

 私がいかに意地汚く、みっともなく生にしがみついているかを見てちょっと愛想を尽かすがいいさ。

 ああ、でもこっちもダメかも。

 辛くて悲しくてしんどいなんて見せずに、好きで好きで好きで大好きでぎりぎりまで見栄張って、あいつがこっちを見限らないように必死になっちまうかもしれないな。


 生きてえよ。

 きれいな物語になんかなりたくねえよ。

 おまえを独占してみんなに恨まれながらも長生きして、憎まれっ子世にはばかるって言われたいよ。

 

「あ、宮さま冷たいですよ」

「ほら、手を拭いてください」


 やんちゃな息子に振り回される女房たちの声が聞こえる。

 彼にとって、記憶に残る最初の雪。

 私にとって――――記憶に残る最後の雪。


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