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源氏物語:零  作者: Salt
第三章
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粉雪

麗景殿視点

 早朝に螺鈿(らでん)の火桶の中で(おこ)る炭火の色を眺めるのが楽しい。

 これは他の季節では価値がない。夏などは香炉さえ遠ざけてしまう。


「お餅焼きたくてムズムズしませんか?」

 若い女房が年かさの者に話しかけている。

「里ではそうしますよ。けれど雅やかなこの場でそういうわけにはいきませんねえ」

「おなかがすいているのなら唐菓子があるわよ」

「そういうわけではないのですが、火を遊ばせているともったいなくて」

「気持ちはわかるけれど、ダメです」

「それを許したら次は干物を焼きかねないわ。帝が急なお渡りでもなさった時に女御さまが赤面なさるわよ」


 つい微笑んでしまう。けれどそんなことなどないだろうと、悲観的に考えてしまう。


「お香ならいいですか? わたし先日合わせてみたものがあるのですが」

 端の方に座っていた別の子が尋ねた。


「どんなものかしら?」

「梅花です。ちょっと早いけれど」

「あら素敵。お願いするわ」


 彼女はいったんのこの場を離れ、すぐに小さな壷を抱えて戻ってきた。

 春にはまだ遠いけれど、花の香りはいつだって魅力がある。

 火に投じると華やかな香りがたった。



 午後には粉雪がちらついた。

 冷えた指先を互いに重ねて暖める女童たちを眺めていると、不意に先触れがあり、その言葉が終わる前に帝の足音が殿舎に響いた。


「いい香りですね。ここだけ先に春が来たみたいだ」

 穏やかな声をかけてにっこりと笑ってくださる。嬉しくて舞い上がりそう。

 だけど自分の視線は容赦なく、ほんの少しやせた頬の線に気づいてしまう。


 秋に里へ帰った桐壺の更衣が思ったより長くそこにいて、なかなか内裏へ戻らない。そのことに胸を痛めていらっしゃるのだろう。


「里から届いた美味しいお菓子がありますのよ。お召し上がりになりませんか」

「いただきます。でもあなたもいっしょにね」


 実際には殿方の前でものを口に入れるなんて恥ずかしくて出来ないけれど、そう言ってくださるのは嬉しい。

 帝はいつも優しくて、少女の頃夢見た理想のような方だ。上品で声も素敵で、荒っぽいところなど一つもない。

 この方が帝でなく、それでも私の旦那さまだとしたら夢のような暮らしだろう。きっと、年をとることさえ怖くないと思う。


 女房が高杯を下げると、帝はまたにっこりと笑ってこちらを見た。

「……美味しかった。麗景殿さんの所はいつもくつろげます」

 それよりもっとドキドキしていただきたいけれど。

「それはよろしゅうございましたわ」

「あなたは優しい方だ……」


 それ以上おっしゃらないのに言葉の続きに気づいてしまう。


『……でも、あの人じゃない……』


 粉雪は木の枝や前栽に降りかかるけれど、すぐに風に飛ばされていく。


「はかない雪ですわね。消えてしまって積もりそうにないわ」

「今日はそうでしょうね。ですが日を重ねるうちに積もりますよ」


 うなずいてそれを受ける。


「そうですわね。そうしたら女童に雪(まろ)ばせをさせましょう。かわいい衣装を着せると白い雪に映えて楽しいと思いますわ」

「それは素敵だ。その時はぜひ呼んでください。駆けつけて来ますよ」


 子供のような瞳で無邪気におっしゃる。

 心の奥に熾った火の様なものを抱えていても、一つ一つの言葉はとてもまっすぐで、恨むことさえできはしない。


 帝は私の手を取った。


「積もったらいっそ私たちで雪合戦でもしましょうか」

「あら、他の方たちがあきれて覗きにきますわ」

「その時は巻き込んでみんなでやりましょう」

 そうおっしゃってからちょっと考えて、いたずらっぽい目をした。


「そうすると優勝するのは……」

 失礼なことに私も想像してしまう。

「まあ。絶対に言いませんよ」

「あ、でも同じ人のこと考えたでしょう」

「どうでしょうか。想像にお任せしますわ」

「おんなじですね、絶対」

「知りませんわ」


 口もとが緩んだから私の負け。帝は我が意を得たりとにんまりと笑っている。



 お帰りになる背中を見送りながら、そういえば弘徽殿の女御さまに対しては自分の胸のうちがそれほどは揺らがないことに気がついた。

 全然というわけではないけれど、他の方に対してよりかは気持ちが楽だ。

 それはあれだけ優れた方なのに同じ立場に置かれているという親近感なのかしら。


「なんにしろお餅は焼いてしまったわけですけれど」

「?」


 小声でつぶやいたのに近くにいた女房に聞かれてしまった。

 私はまた、雪を見ているふりでそれをごまかしていた。


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