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源氏物語:零  作者: Salt
第三章
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不屈

桐壺視点

 また、殿舎をつなぐ打橋や渡殿にえぐいものが仕掛けられている。もうおばちゃんたちは使えないから気をつけて進むしかないが、送り迎えの女房たちの裾が汚れる事態もやはりおこる。

「気にしないでください。さもありなんと思ってしょぼいやつ着てきましたから。ここでログアウトします」

「わかった。おまえの尊い犠牲は忘れない」

 故意に袿を使うことはやめさせたが、それでも被害は出る。可及的速やかに次の袿を与えることにしているが、あらかじめ用意したものはやはり好みに合うとは限らない。


「ぐええ、あっしの運命もここまでか!」

「落ち着け、わずか数ミリ直前で止まっている」

「ああ、ほんとだ。すげえぜあっし。見切ったぜ」

「偶然だろ」

「冷てえな、リーダー」

 女房の一人がトラップを避けて、裾を器用に動かした。


 全面にまかれている時はあきらめて帰る。すると女官が呼びに来て騒ぎになるので、敵も考えてまばらに仕掛けている。

「……だんだん巧妙になっていますな」

「相手もまき方を工夫しています」

「ゲームじゃないんだから」

 ため息をつきつつ安全な位置を探る。



 日によっては馬道の閉じ込めだ。女房が戸を抑えていても突き飛ばされる。

「ま、バラエティは大事ってことっすよ」

「その割にゃあネタが少ないんじゃないんかい」

 悲惨な状況なのに誰も弱音を吐かない。


「けっこう冷えるな」

「はい、こんなこともあろうかと着重ねてきております。これをかぶってください」

 真綿のたっぷり入った温かな袿を着せられた。そして連れた女房全員がぴったりと取り囲んでくれる。

「相手が飽きたら留守番組が迎えに来てくれますよ」

「最近は帰りにやられることが多いですね」

「行きだと待ちかねた帝の女房なんかがアクション起こすからな。隙見てやるようになったな」

「一応あいつらにも学習機能付いてるんですね」


 攻撃を逃れる手段もある。息子を連れて行くことだ。

 彼を伴う時には彼女たちは一切しかけない。そこに最低限のルールを見る。

 しかし毎回そうするわけにはいかない。彼が眠っている時もあるし、帝が私だけの訪問を期待することもある。

 それに負の感情が息子に行くことだけは避けたい。


 有明の月を見ているとふいに戸口が開かれた。

 源典侍が微笑みながら近寄ってくる。

「無事にお帰りになったか帝がふいに心配になられたようですので」


 優しい嘘だ。あいつはおっとりしすぎてそんな事には気がつかないんだ。


「月が綺麗だったので見とれていました」

 こちらも礼儀を守って悪いことなど何一つないようにふるまう。あいつのいる場所に何一つ疵があっちゃいけないんだ。特にこんな俗な争いは。

 内裏は、威と雅に満ちた清らかな場所であってほしいんだ。


「それはよろしゅうございました。せっかくですので桐壷までお送りいたしますね」

 忠告を無視して戻ってきたのに親切な方だ。

 言葉少なに殿舎まで送ってくれた。


 帰っていく彼女の後姿を見守っているうちに、御帳台にさえ入らないのに眠ってしまった。

 夜でなくても夜に誘われることが最近多い。

 だけどその夜の世界はなぜだが優しくて、少しずつ同化していく私を苦しめない。

 人の気配も感じる。いつかの皇の子供たちだ。

 彼らは私を無理に誘うこともなく、むしろ心配しているかのように見守っている。


 苦しくはない。むしろ居心地がいい。

 だけど私は煩悩まみれの女なので大好きなものを数え上げる。

 たくさんあるのでまだまだこっちに来るつもりはない。

 いつかは来ざるを得なくとも、可能な限りは逃げ続けたい。



「里に戻った折に更衣さまのご兄弟のいる雲林院(うりんいん)にも伺いました。これはお土産です」

 女房の一人がひときわ色濃く見事な紅葉を枝ごと持ち帰った。

「そうか……どうだった?」

 もう大分昔に全ての執着を投げ打って世を捨てた人の話を聞く。私とは対照的な生き方だ。


「お元気でいらして大そう徳をお積みになっていらっしゃいました」

「そうか。それはよかった」

 当時は親を嘆かせたし私も愕然としたが、今はそんな宿命(さだめ)にうまれたのだろうと思うだけだ。

 秋の気配をたたえた紫野の優美な景色を思い浮かべる。縁のない世界だ。私はあくまでここに生きる。

 だけど……………………。


「…………もし、私になにかあったら彼はそのために誦経してくれるかな」

 女房が顔色を変えた。

「なにも起こりませんよ!」

「おまえが怒ってどうする」

 からかうとちょっと顔を赤くして、それでもひどく真剣な眼差しで私を見つめる。

「更衣さまはご兄弟よりもどの方よりも長生きしてたくさん生まれたお子様に見守られて大往生なさるんです」

「それいいな。そういうことにするよ」

 (かめ)に差させた紅葉の枝が、陰り始めた午後の淡い光を浴びて寂しくなるほど美しく照り輝く。


「当然おまえたちも傍にいてくれるんだろうな」

「私たちよりも長生きしてください。でも万が一生きていたら、絶対お傍で見守るっすよ!」

「仙人と化して鶴に乗って来ます」

「じゃああっしは亀に乗ってきます」

「それ、間に合わなくないか?」

「もちろんあっしがたどり着くまで待ってくださるでしょう。で、けっこう長引くんじゃないかと」


 みんなの気持ちが嬉しい。

 だから、どんなに心地よくても夜になんか呑み込まれるつもりはなかった。



「ねえ、最近何か困っていることはありませんか?」

 ハードなステージをクリアーしてご褒美みたいに会える帝が小首を傾げて尋ねてくれる。

「なんだか最近更衣さん、痩せたような気がするんだけど」

 耳元に口を近づける。

「恋わずらい」

「え、えええっ! だ、誰にですか」

 意味ありげににやにやと笑って、それから安心させてやる。


「もちろん、あんたに決まってる」

「びっくりしたぁ。見捨てられるのかと思って」

「ねーよ。こんなに惚れてるのに」

 帝の瞳が潤んでいく。最近はいつだって用意している手巾で拭いてやる。


「泣くなよ、泣き虫」

「泣かなかったら泣き虫じゃないじゃないですか」

 よくわからない抗議をしている帝を思い切り抱きしめた。



「あなたはいつもこれに耐えているのですか!!」

 その日の帰り道、ばら撒き攻撃と馬道閉じ込めのコンボを喰らっていると意外な人物が現れた。右大弁だ。

「大声を出さないでください」

 扇で顔を隠したまま冷たく言った。

「今日たまたまこんな目にあっただけです」

「そんな訳がないでしょう」

 声を押し殺して彼が低くつぶやく。


「誰がこんなことを…………まさか!?」

 私はすぐに否定した。

「今思い浮かべた方ではないです」

「だがしかし……」

 扇の向こうから強い視線を送る。

「あの方の女房は加わっているかもしれません。が、あの方本人が唆しているとは思いません」

 自信があった。


「あの、素晴らしい音が教えてくれます」

 右大弁は黙り、それから頷いた。

「確かに。そしてそんな方ではありませんね」

 私たちは共通の言語を持っている。

「でしょう。そして私はこうされて当然の立場なんですよ」

 私が逆に他の方々の立場だったら。手は出さないでいたとしても感情だけは闇に落ちると思う。


 右大弁は涼しい瞳で私を見た。

「そうは思いません。でも…………大変ですね」

 ちょっと苦笑い。

「大変です」

「帝にお話されたほうがよくありませんか」

 首を横に振る。

「いえ。私もけっこう悪人でして、どんな目にあってもお会いしたいのです。ですからこんなことは絶対に話さないでください」

 彼はなんともいえない微妙な表情をその瞳にたたえた。


「それでも話すべきだと思いますが、あなたの意思を尊重します。ただ、このままじゃいけない」

「ええ。また少し里に戻るつもりです」

 この状態とこの体力では長期間はもたない。会えない時ができるがさっさと体を休めてなるべく早くここに戻ることにする。


「わかりました。またお供させてくださいね」

「ありがとうございます。助かります」

 迷惑をかけるが仕方がない。私はできるだけ長く生きることを決めている。


 右大弁は人を手配して道を清めてくれた。

 その親切を気丈に払いのけることはもはや出来なかった。

 私は道をまっすぐに歩いて殿舎に帰った。

 風がひどく冷たく感じたけれど、そのことは誰にも言わなかった。

 

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