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源氏物語:零  作者: Salt
第一章
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認識

弘徽殿視点

 内裏(だいり)には楽の名手もそれなりにはいる。たとえば主上に仕える典侍(ないしのすけ)だ。若い時分の美貌のかすかな名残を見せるこの女は、人柄も育ちも悪くないがえらく派手で色好みで、いまだ艶聞が途絶えない。


 琵琶(びわ)の名人だと言われているので聞いてみたいと申し入れたが「女御様の足元にも及びません。恥をさらしたくないので」と至極もっともな断りを受けた。

 立場が分かっているのであろう、彼の者は男たちの遊びに交じることは多いが、女御や更衣の集う女楽には決して加わらない。

 それでも温明殿(うんめいでん)の辺りに響く音は彼女のものに違いない。

なかなかわるくはない。


「せめてあの程度の奏者はいないのですか」


 乳母子(めのとご)にこぼすと「仕方ありません」となだめられる。


「女御さまの域にたどり着くのは至難のわざです」

「それはわかっていますがあまりにつまらない」


 主上にしても下手ではないがそれ以上ではない。他の方々においても同じだ。

 失敗を避けるだけの音。ことさら響かせるだけの品のない音。


 相手が主上であろうとも、私は人に合わせない。

 風に合わせ、花に合わせ、月に合わせ季にあわせる。

 私の音が一番正しいのだ。人はただ従えばよろしい。

 だがそれでも夢見ることがある。

 私の技量を受け止め、さらに高みに上らせる腕のあるものを。



「今度の音の遊びには、桐壷の人も加わるようです」


 女房の一人が聞いてきた話を告げた。


「あの後見のない更衣ですか」


 父たる大納言がみまかられたのに、遺言を盾に入内してきたと少し噂になった。

ただ、控えめに過ごしているようでさして気にも障らなかった。


「女御さま、それ情報古いです」

「そうです。しばらく前に初めてのお渡りがあって、その日以降毎日お召しがあります」


 細殿を渡っていく一団があったようだが、他の方々が順番で呼ばれているのだろうと考えていた。

 何せ主上は私に夢中でいらっしゃるがお立場上多少は他の方にも配慮せねばならない。心をここに残したまま務めを果たすのはいかにお辛いことだろうかと同情していた。


「なぜにそのようなものをお呼びになる」


 主上には会いたい者にわざと会わずに興味のないものを招く自虐の趣味などおありになったのだろうか。あるいは何ぞ悪いものでも召し上がったのか。


「腕の立つ陰陽師などにまじないをしてもらったのでしょうか」

「バカらしい。私は呪いももののけも信じません」


 そんなものは心弱き者どもの見る夢の一つだ。女房達も首を傾げている。


「そういえば主上のお召がここのところ間遠ですわね」

「主上があまり実情に合わない改革案をお出しになり、女御さまがていねいに否定なさった日からでしょうか」


 確かにその日以来お会いしていない。


「まあ、取るに足りない更衣風情について気にすることもないでしょう。ここは大人の態度で静観しましょう」


 乳母子が皆をなだめてくれた。




 楽の遊びが終わった後、私の心は平安ではいられなかった。

 まずは当然の権利を侵害された怒り。

 一の宮の母であり最愛の妻である私を差し置いて更衣風情をお招きになるとはいかなることか。


「許すまじ!桐壷っ」


 殿舎に戻ってから思わず叫んだ。女房たちが口々に賛同する。それにも苛立つ。

 付和雷同して他者をけなすなっ。

 もちろんあの女は許さないが、寄ってたかって貶めるのも見苦しい。

 だいたいあの女の足元にもよれぬ技量の者どもがそうやすやすと悪罵を浴びせるなっ。あの女をののしる資格があるものはこの私だけだっ。

 やかましいので黙らせて、いつもより早く御帳台にこもる。


 灯りを落として闇に身をゆだねれば、よみがえるのはあのひと時。

 咲き誇る無数の音。

 無明の闇をわずかに照らすあの楽の音。

 いつも一人で歩く道を彩った他者の奏でる音。

 頬がわずかに濡れるのを感じた。

 それが怒りなのか悔しさなのか、はたまた別の何かなのか。

 私にはまるでわからなかった。


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