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源氏物語:零  作者: Salt
第二章
39/65

女楽

弘徽殿視点



「最弱の者が最強、それは物語の王道ではありませんかっ。つまりあの女が黒幕、いいえ真の魔王なのです!!」


 弘徽殿の母屋の中、私の茵の前で乳母子がこぶしを握って力説する。秋のためにあつらえたせっかくの女郎花(おみなえし)の襲がおかげで趣など欠片もない。

 扇を閉じてこやつの顔を眺める。すこしおかしい。


「……妙ですね」

「え、私の自慢の顔がですか? それは絶妙と言う意味でしょうか」

「自慢だとは知らなかったが顔ではない、おまえの話です」

「はあ、どのあたりしょう」

「おまえの言ってる魔王とは、あの例の更衣を指しているのですね」

「そうです! ラスボスです!!」


 興奮した彼女は腕を振り回した。几帳は少し離してあるがそれでも倒しそうだ。


「あやつさえ倒せば世の規範は保たれ世界は回復するというその考えは否定しませんが、その話は昨夜の音の遊びに関して語っているのですね」

「はい、そうです」

「おまえも出たから見聞きしていましょうが、昨夜あの宴を破滅に導きかけたのは他の更衣たちです。なぜ彼女たちではなくあの低水準ながらも琵琶の助けでどうにか私の音に追従した更衣がけなされているのです」


 最後になるはずだったあの平易な小曲。皆で作り上げたあの曲の世界を壊したのは別の女たちだ。私は例の更衣などまったく全然皆目ちっともこれっぽっちも気にかけてはいないが、それでも曲を救おうと立ち向かう姿だけは覚えている。

 いやその後、約束を破って主上の寝所に侍った厚かましさには怒髪天を突いたが、それでも自分で口にしたのではなくせっかくの自分企画の音の遊びの運びがおかしくなり気も動転して、いかもの食いに走った帝の言葉に従ってのことであったのはわかった。


「それが実はびっくり、全てあの女の陰謀だったのです」

 ………解せぬ。


「詳しく話しなさい」

「は。まず我々が来た時、彼の女御はすでに主上の右の座を占めておりましたね」

「最初の遊びの時からそうしています」

「ところが前回、前々回と今回は違っているのですよ。今まではあの女は帝に命じられてしぶしぶ席についていたそうです。けれどこの度は違いました」

「ほう」

「彼の更衣は呼ばれる前から堂々とその席に着いたのです。これが何を意味するか分かるかね、わとそん君」


 何を言ってるのだこやつは。


「これ、主人に対して無礼であろう。それと『わとそん』とやらは何者です? 君がついているからには王昭君のように漢や唐の国の人物ですか」

「申し訳ありません。たぶん唐国の人だと思います。先日呼んだ陰陽師が自らを憑坐(よりまし)としてこのように傍らの者に話しかけつつ謎をピタリと当てたものですから、今回だけは失礼を承知で使わせていただきました」

 なんだか釈然としないがとりあえず受け入れておく。


「ええと、話に戻ります。つまりあの更衣は今回自分を女御さまに匹敵するものと思いあがって堂々とあの席に着いたのです。そしてその自信は女御さまと違って自分の真の実力に基づいたものではありません」

「そうなのですか」

「そうです。あの更衣は帝の悪趣味をいいことに取り入って、まず自分と変わらぬ立場の更衣たちを罠にかけたのです」

「これ、主上を悪趣味とは何事です。もともとは弘徽殿にしきりにお通いになっていたように本来の趣味は素晴らしいのです」

「まあ、それは置いておくことにして、あの更衣は他二人を争わせて自分で筝の立場を奪ったのです」

「どのようにしてですか。片方が妙な技を仕掛け、もう片方がそれを邪魔しようとして失敗したようにしか思えなかったが」

「その点はまだよく解明してはおりませんが、その後のことはご存知でしょう、わとそん君」

 単なる合いの手だと流しておけばいいだろう。


「どうにか音を立て直しましたね」

「それは物事を一面しか見ていない。いいかね、あの更衣は音を立て直させるために壊したと見た方がいい」

 もののけの心配をするべきなのだろうか。


「その証拠にその小曲が終わった後あの更衣は帝に進言して、ないはずだった四曲目を合奏することにした。そして自ら進んで筝を弾いた。この事実が何を意味するか分かるかね、わとそん君」

「いいえ」

「たとえ目の前で見ていたとしても人はあまりに明らかな事実には意外に気づかないものだ。あの更衣は筝の立場を奪うためにわざわざ三曲目で問題を起こしたのだ。当然、こっそり筝を練習していた。予定になかった筝の演奏に破綻がなかったのはそのためだよ」

 ちょっと待て、主上は最初私に筝を振ろうとしていた気がするが。


「だから図々しくも自ら発言してその立場を奪い去った。琵琶のみでは自分一人を誇示できないと危惧したわけだ」

 まあ、私の技量の方が上だからそう思わないとは言い切れないが。


「完全に否定することはできませんね」

「恐れ入ります。すみませんがここで『すごいぞ、ほーむず』と言っていただけますか。まじないの一種です。『さすがだ、ほーむず』でも構いません」

「わかりました。すごいぞ、ほーむず(棒)」

「はっはっはっ。ちょっとした論理的思考のたまものだよ」


 一見筋が通っているように見える。が、私には三曲目の乱れがあの更衣の手によるものだとは思えなかった。


「この話は内裏に広がっているのですか」

「はい。この噂でもちきりです。さらに主上がいったんは断ったのにあの女が強引に残ったことになっています」

 噂は簡単に尾ひれを身に着け泳ぎだす。男女共に人の多いこの場はどんな話題もすぐに広がる。


 しかしどう考えてもあの曲の失敗はあの女がたくらんだものとは思えぬ。

 だが噂が広まった以上、世間はそのようにとるに違いない。


「あの更衣はどうしているのです。噂は知っているのですか」

「それがぎりぎりまで主上のお側に侍った後、すぐに里帰りと決まりました。今頃桐壷は準備で大わらわで、噂など届いているとは思えません」

 ならば困ることはあるまい。内裏に戻ってくる頃には次の噂が流れているであろう。


「筝を弾いていた更衣たちはどうしているのですか」

「ふとましい更衣の方は後涼殿に住んでいるため、その女房たちは他者との交流が盛んです。あちこちに不満をぶつけています。痩せた方は憔悴して食事ものどを通らなくなったとか。が、里に戻る予定はないようです」

 後涼殿は主上の女房も頻繁に通り、また蔵人や彼らに仕える者も行き来する場だ。話はさらに広がるはずだ。


「さすがに今回は魔王にたぶらかされたあの二人が気の毒ですので、楽の注意に向かうことはやめました」

「注意とはなんでしょう」

「はい。今まで音の遊びでミスをした者がいた場合、次の日極めて穏和に助言に行くことにしておりました」

 ……脅していたのか。


「まあよい。例の更衣が下がるのならそれはそれでよかろう」

「はっ。土産と称して腐った菓子でも送っておきましょうか」

「そんな品のない行為などするでないっ」


 平伏する彼女を無視して考える。

 何者かの意志が働いているのは事実だ。

 そしてこれは状況から見て失敗したどちらかの更衣の身内ではなかろうか。

 その者をかばい、もともとよくは思われぬ例の更衣をさらに貶める……。


 なんだか少し空気が冷えすぎるような気がした。

 身を震わせるとすぐに別の女房が地の厚い小袿を肩にかけてくれる。

 それでも底冷えは治まらなかった。


――――女楽にふけり、国政を顧みざるは、国を滅ぼすの(わざわい)なり


 韓非子の一節が脳裏をよぎった。



 気を変えるために源典侍を呼び出した。

 乳母子が露骨な敵意の視線を向けるので下がらせ、直に彼女に向かった。


「この度はお蔭でつつがなく琵琶を奏することができました。礼を言います」

「いえいえ。少しでもお役にたてたのなら幸いです。物陰から聞いておりましたが、他の方はともかく琵琶の音色は素晴らしいものでした」

「うむ。この恩に報いるために用意しておいたものがあります」

「はて、なんでしょう」


 女房の一人がそれを硯箱の蓋にのせて捧げ持った。


「これは……」

 絵の描かれていない檜扇を見て源典侍は目を白黒させた。

「こちらで勝手に描かせるより、あなたの好みを聞いた方がよいと思ったのでまだそのままにしてあります。絵の名人に申しつけてあるので好きなように命じてください。横に添える文字も字の上手い殿上人に依頼しておきました」

「………女御さま、まあ、なんと嬉しいことを!」

「ほんのささやかな礼です」


 嬉しそうな彼女の姿がほんの少し心をなだめてくれた。

 私は微笑み、わだかまる暗い影を胸の内から払おうとした。

 秋の日の光が透きとおり輝く午後のことだった。


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