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源氏物語:零  作者: Salt
第二章
37/65

異変

麗景殿視点

 遊びは始まる寸前だった。

「ぜひ奥の方へいらしてください」

「ううん、いいの。聞かせていただくだけだからここで大人しくしているわ」

 勧めてくれる帝付きの女房を断り細く障子を開けた朝餉(あさがれい)の間で音を聴く。


 清涼殿は人であふれ、後涼殿さえ人々が控える。

「始まったようですわ」

 付き添った女房がつぶやいた。


 笛の音が穏やかに響き人々の奏でる音が重なっていく。

 私は楽を語る資格は全くないのだけど、それでも素敵な音だと思う。

「特に琵琶が素晴らしいわ。どなたが弾いていらっしゃるのかしら」


 疑問を口にすると横にいる女房が私を見る。

「ご存じないのですか」

 首を横に振る。

「ううん。弘徽殿の女御さま?桐壷の方?どちらかしら」

 その女房は微笑んで答えてくれた。


「あの音は実は今おっしゃられた二人が合わせているのです」

 驚いて彼女を見返す。

「ええ? 一つにしか聞こえないけれど」

「そうですね。でも本当なのです」


 ぴったりと合わせて奏しているらしい。


「まあ。相当に修練を積まれたのね。私なんて一生かかっても無理だわ」

「女御さまは別のお役が向いていらっしゃいますよ」

「そうね。それにしてもこんなにぴったりと弾けるなんてきっと仲良くなられたのね」

「それが、そうでもないらしいのです」

「ただの一度も共に練習なさることはなかったそうですわ」


 それなのにこんなに合わせることができるなんて。お二人はすさまじいまでの達人でいらっしゃる。


 曲は流れ、後半に達すると違和感のある音が挟まった。これは筝だと思う。たぶん。


「今、少しおかしくなかった?」

「ええ、明らかに。技の一つだとは思いますが不自然です」


 そのせいか和琴ともう一つの筝が途切れた。他の楽器が滑らかにつないでいるせいでそう目立たなかったけれど。


 琵琶はみじんも揺るがずに見事な音を響かせた。終始主役の華やかさだったけれど、奇をてらうあざとさはかけらもなかった。堂々と王道を歩いて、曲の終わりにたどり着いた。



「ありがとうございました。みなさんとっても素敵でした。後半ちょっと変わった部分があったような気がしたのですけれど、あれは演出ですか?」

 帝の声にちょっとどきどきする。私と同じところを不思議に思っていらっしゃるらしい。


「…………はい」

 姿は見えないけれど答える声は里下がりの長かった更衣の声だと思う。


「そうですか。もの知らずですみません。あの時使った技巧は今は失われている古式ゆかしい技ですね。よくご存知でしたね」

「……里に伝わっているものですから」

「習得するのは大変だったでしょう。頑張りましたね」

「…………はい」


 帝の声はとても優しい。うらやましくなって私の心もちょっと震える。

 そういえば私が参加していて盛大にミスを繰り広げていた時も温かく励ましてくださった。責められたことは一度もない。


 ほんの少し中の女房たちがざわついている。小さいけれど抑えきれずに洩らした不満の声は、もう一人の筝の更衣の女房だと思う。

 この演出を知らされていなかったのではないだろうか。



 わずかに漂う不穏な気配を次の曲が払う。

 笛だけを伴奏にした琵琶の曲は、今まで聞いたこともない曲調だった。


 速い。楽しい。面白い。

 私は思わず身を揺すって楽しんだが、横にいる女房は不審げな顔だ。


「少々品位に欠けませんか。雅な趣が全くありません」

「でもとっても魅力があるわ。立ち上がって舞いたいぐらいよ」


 弘徽殿の女御さまと桐壷の更衣がぴったりと一致させているのに、ところどころわざと別の律を引く箇所がある。そこが特に素敵だ。過ぎたばかりの夏が戻ってきたみたい。


 短い曲だったのがとても残念だった。

 ずぅーっとこの曲を聞いていたかった。


「うわあ、こんなの初めてです。なんて言えばいいのかよくわからないけれど、すっごく楽しめました。弘徽殿さん、桐壷の更衣さん、ありがとう!」


 困惑している人も多い中、帝の素直な感性はちゃんとその風変わりな曲を受け入れていた。

 さすがは私の旦那さま。


 周りの空気は割れている。楽しんだ人と許容しがたい人とよくわからなくて首を傾げている人がいるみたい。考えるより感じた方がいいと思う。



「すごく楽しかったけれど次の曲で最後にしましょうね。もうこの余韻を全身で味わいたい。今宵は一人でこもります!」

 帝が宣言した。そうしてくださると私の心も平安を保てる。


 最後の曲はよく知られて難易度の低いものだった。

 あら、残念。これだったらどうにか弾けたのに。

 ここだけ参加させてもらえばよかった。


 それでも名人たちが弾くと全く違う曲みたい。

 普段女房たち合わせるこの曲が藤衣(ふじごろも)(ごく粗末な衣服)だとしたら、今回は目にも鮮やかな最上級の綾衣だと思う。


 平易な曲調と磨かれた表現のギャップを楽しんでいると異変はふいに起こった。


 また、片方の筝が流れを無視して違った音を加えた。

 もう一つの筝がそうはさせじと元の音を過剰に響かせた。

 そういうことだと思う、たぶん。


 音に濁りが生まれた。

 それはとても不吉な色合いで空気を染めた。

 私は思わず身を震わせた。

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