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源氏物語:零  作者: Salt
第二章
32/65

麗景殿視点

「まあ、そんなに凄いの」

「女御さまが楽の遊びに参加なさることになっていたら、わたくしたちの彼氏も危なかったかもしれません」


 暑気払いに里下がりをしていて、ようやく麗景殿に戻った時のことだった。留守居に残した何人かの女房が最新の情報を伝えてくれた。若い殿方が軒並み源典侍になびいているそうだ。


「お年を重ねてもお元気でいらっしゃるのね。うらやましいことだわ」

「元気なんてものじゃありませんよ。本当に十も若返っていらっしゃる」

「長いお相手の修理大夫はかえって喜んでいらっしゃるとか」


 夕暮れ時で蚊遣りの煙がたなびいている。夏の匂い。香よりも胸に沁みることもある。


「わたくしなど見習うこともできませんよ」

 典侍と同じ年頃の女房が嘆息する。周りの者がからかったりたきつけたりしている。


「男心をつかむコツなど教えていただきたいほどですわ」

「それなりにテクはおありになるのでしょうけれど、今回はキャッチフレーズが凄かったせいもありますわね」

「まあ、どんな」

「あの弘徽殿が頭を下げた! 究極の熟女・驚異の再デヴュー!!ですって」


 みんなでひとしきり笑って別の話題に移るけれど、どうしても今度の遊びのことに傾きがちになる。もう私は参加しないことにしているけれど、それでもちゃんとお誘いもある。


「帝がわざわざ文をくださって、聞きに来るだけでも是非に、とおっしゃってくださったの」

「それではいらっしゃったらいかがでしょう。華やかな催しですから楽しめると思いますわ」

「そうですよ。それに女御さまは歌会ではどなたよりもお上手なんですから、堂々と聞き手でいらして構わないと思います」

「弘徽殿の女御さまは音の遊びこそ素晴らしいですけれど、歌会は敬遠なさっていらっしゃいます。どの方にも苦手なことはあるものです」


 みんなの優しい言葉に少しその気になる。どこか目立たない場所でこっそりと聞かせてもらおう。


「いらっしゃる方はそれぞれどんな楽器を演奏なさるの?」

 尋ねてみると今回は弘徽殿の女御さまと桐壷の更衣は琵琶だそうだ。詳しい者が教えてくれるけれど、筝について語る時に少し眉をひそめた。


「筝は二人の更衣が担当するのですが、一人は以前に音を外したことのある更衣で……」

「あら。前回はご遠慮なさった方?」

 その女房は頷いた。


「ええ。しばらく里に戻られていたようですね」

「ご様子が少しおかしいって話がありませんでした?」

 別の女房も声をかけた。


「ありましたね。楽のせいではなかったようですけれど」

「でもお遊びに出られるぐらいですから回復されたのでしょうね」

「もともとはそれなりにお上手な方だったのだからよかったわ。楽の得意な方は私の分も励んでいただきたいわ」


 しばらく遊びがなかったためか、この度の参加は多いらしい。

「前回は何でも、といった形でご褒美があったそうですから期待されているのかもしれませんね」

「でも、あのお二人を越える演奏は難しいのではないでしょうか」

「そうね。あのお二人は特別ね」

 弘徽殿の方も桐壷の人もここからわりに近いので音が聞こえることも多いけれど、どちらも素敵な音だ。

 あんな風に弾けたら楽しいだろうと思う。



 殿舎に灯りが点されると、女房たちの衣装の色合いが昼間とはまた別な趣で目を楽しませてくれる。彼女たちの黒髪もぬめるような艶が光を弾く。

 見とれていると一人の女房が涼しげな水辺の絵の描かれたかわほり扇でそっと扇いでくれる。とても心地いい。


「ありがとう。腕が疲れたらすぐにやめてね」

「途中で交代しますわ」

「最近人気急上昇中の殿方を当てたらすぐに代わってあげるわ」

 仲のいい同輩が軽くからかう。


「知ってるわ。右大弁でしょ。はい、交代」

「あらま」

 ちょろり、と舌をのぞかせて扇ぎ手が代わる。


「そうなの? 彼の話を聞くのは初めてだけど誰かの恋人?」

「いいえ、違いますわ」

 先の女房が答える。


「妻にあたる方は一人いらっしゃるのですけれど、他にはあまり浮いた噂のない方です」

「もともと育ちは非常にいい方でしたし学識も豊かでいらっしゃるけれど、何事にもあまり興味をお持ちにならない方で」

「むりもありませんけれど」


 祖父の代までは主流にあたる家筋だったそうだ。だけどその方が早くに亡くなったため、父君の代から不遇だそうだ。

 彼本人も世を拗ね、しかし暴力的な性質ではなかったために無気力な生き方をしていたようだ。


「音の遊びのために最近よく後宮に出入りしているのです。それで自然と目について」

「よく見たらとても美しい方なんです。今まで気づかなかったのが不思議なぐらい」

「それに最近すごく生き生きとされていて、見ているだけで心が躍りますわ」


「見たことないけどそんなに美形なの?」

「ええ。あのね、桐壷の更衣にどことなく似た顔立ちなの」

「まあ。それじゃ相当にきれいな方ね」

 つい感想を差し挟む。


 誰かが誰かに似ている。そんなことはよくある。わたしたちの祖先は同じ場合が多く、また近しい婚姻関係のせいで、もはや親戚とすら思っていない程度の相手とそっくりだったりする。


「はい。そっくりというほどではありませんが、こちらにいらしたことのある二の宮さま、あの方をお抱きしたらもしかしたらお父上のように見えるかもしれませんわ」

「あの皇子さまは母親似でしたものね」


「でもなぜ、急にブレイクしたの?」

「わたし知ってる。あの源典侍の誘いを断ったらしいわよ」

「ええっ」

 みんなが驚く。扇いでいる女房の手も止まった。


「狙った獲物は決して逃がさないって聞きましたけど」

「右大弁だけは拒んだみたい。今は音に専念したいって」

「典侍も楽にはこだわる方だから見逃してあげたみたい」

 なんだか余裕のある遊びのようだ。


「魅力のある方らしいけれど、恋仲になるのは難しそうね」

「そこがいいんですよ。自分のものにならなくても人のものにもならないのなら」

「奥様がいらっしゃるのに?」

「一人でしたら、まだ許容範囲ですわね」


 たぶん、その方は女たちの心の一人遊びの形代にちょうどいい方なのだと思う。

 だけどそう長続きするわけでもない気がした。そのうちまた新しく人気を集める方ができ、女房たちはその方をもてはやすのだろう。

 ほんのちょっと心をときめかすのは別に悪いことではない気がする。


 もっと強く心を動かす相手のいる私にはあまり必要のないことだけど。


「文にお返事を書くわ。用意してちょうだい」

 すぐに文机に薄様が置かれ、墨もすられる。

 私は帝に文を書いた。

 憧れの人がいることは楽しい。みんなももっとその方に気を向けて、私の憧れの方に向ける視線が少なくなればいいのにと、都合のいいことを考えていた。


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