花橘
麗景殿視点
伝い歩きをするようになった妹が可愛くて、頻繁につれてきてもらう。
年は離れているが同腹なので気安い。間にもう一人異腹の妹がいて、決して悪い仲ではないけれど身近では育ってないからもう少し離れた関係だ。
「うちの父は恐妻家で母一人しか妻がいないのですよ。異腹の姉妹ってどのような感じですか」
卯の花の襲の女房が尋ねる。
「そうね、従妹ぐらいの感じかしら。うちはどちらも敬意を持ち合っているから比較的楽だけれど、母君同士が争っている所などは大変なようよ」
「ですよね。わたしなんかできのいい異母姉妹と較べられてさんざんでしたわ」
別の女房が笑いながら言う。
「あら、あなたみたいな可愛らしい人でもそうなの。何の不足も思いつかないけれど」
不思議に思って見返すと彼女は更に明るく笑いだす。
「そんなことを言ってくださる方は女御さまだけですよ。もう容姿から歌の才から楽器からけちょんけちょんでした」
「まあ、厳しいおうちなのね。私なんかがそこに生まれてたら大変だったわ。琴が下手だって捨てられてしまったかも」
「まさか。さすがに上手とは言えませんけれど女御さまの音はわたし嫌いではありません」
「どうしても目が覚めない時には便利ですものね」
みんなで笑い合う。
暖かい季節で御簾越しの日差しもやわらかい。
実家に山ほど咲く花橘が届けられ廂の端に活けられている。
その香りが優しくて少し家が恋しくなる。
「そうやたらと里には戻れないけれど可愛い妹が来てくれているからいいわ」
「ええ。最近ではだいぶ活発におなりになって……」
言いかけた女房が妹を探してきょろきょろする。ちょっと目を外すと移動している。
「ああ、妻戸の陰にいらっしゃるわ」
「いつもお元気ですわね。お可愛らしい……」
言いながら彼女を抱き上げた女房が目を白黒させる。
「…………お可愛らしすぎません?」
私も驚いて赤子を眺める。
「ここまで可愛すぎはしなかったような気がするけれど」
「なんだか天から降ってきた天人の子のようになってませんか?」
全員が取り囲んで口を開ける。
「………お病気かしら」
「それ、もしかして感染ります?ちょっとわたしに抱かせてください」
「あら、わたくしに」
「いえ、中でも容姿的に劣るこのわたしに」
「あらあなたは充分にきれいよ。ぜひわたしに」
女房たちが赤子を取り合う。
赤子は機嫌よくきゃっ、きゃっと笑っている。
ものすごく可愛らしい。だけどさすがに妙なので一人の女房がきょろきょろしている。
「見て!あそこ!」
格子の下が指差される。
「増えてる!!」
そこにはもう一人の赤子がつかまり立ちをしている。
乳母が駆けて行って抱き上げた。
「……こちらがうちの姫さまです」
「ではいったいこの赤子は……」
みんなで首を傾げていると北の方から必死に叫ぶ声が聞こえてきた。
「……皇子さまあ~!」
「二の宮さま――――っ」
私たちは顔を見合わせた。
「これってもしかして……」
「あの噂の」
「あなた、見たことあったじゃない」
「もっと小さい頃だったもの。あの時も綺麗な赤子だったけれど今はますます……」
「うちの姫さまも可愛らしいけれど、この方はレベルが違いすぎるわ」
「ひのきの棒と天空の剣より違います」
「それは失礼よ。失礼だけど……うーん」
慌てて口を挟む。
「なんにしろ心配していらっしゃるでしょう。すぐに知らせて差し上げて」
ちょっと女房が躊躇した。
「うかつに桐壷の人たちと話すと他の方々に大変な目に合わされます」
私は彼女を見返した。
「それでもお知らせしないわけにはいかないわ。呼んで来て差し上げて」
不安そうな女房に言葉を足す。
「大丈夫。このお可愛らしい方に対してはみんな悪意は向けないわ」
「それもそうですね」
彼女が声の方に出て行ってさして間もないうちに桐壷の女房たちを連れて戻ってきた。
「皇子さま!!」
ひし、と抱きしめている。
別の女房がぺこぺこと何度も頭を下げる。
「本当に申し訳ありません。一瞬目を離した隙に姿が消えて一同肝を冷やしておりました」
「最近殿舎に何者かが忍び込んだ気配さえあって、お命さえ心配なほどでした」
私は彼女たちに微笑みかける。
「大変でしたわね。帝のお子ではないけれどここにも赤子がいますのでお察ししますわ」
桐壷の女房は視線を流して妹を見つける。
「ああ、本当に。……お可愛らしい」
「皇子さまとは比べられませんけれど、私には可愛い妹ですの」
二の宮は言葉がわかったかのように私の方を見るとふいにばたばたと暴れ始めた。
桐壷の人が困っていったんおろすとものすごい速さで這いずって、あっという間に妹のところへ行ってしまった。
妹は驚いて自分よりやや年下の赤子を見つめる。
「ばぶ」
赤子はふいに妹の手をつかんだ。驚いて座りこんだ彼女の手を握ったまま引っ張っている。
「まあ、大変な色好みね」
私が噴き出すと全員が微笑んだ。
みんながにこにこと赤子を見つめていると二の宮はいったん手を離し、また這いずると廂の端に向かった。
「あら、だめ。壺を倒したら危ないわ」
驚いて止めようとする女房の手や足をかいくぐって花のもとに近寄る。
「もしかしてお花が欲しいの?」
「咥えたりしたら大変よ」
桐壷の女房は首を横に振った。
「うちの皇子さまはなぜか禁じられたものをしゃぶったりはしないのですよ」
それを聞いて一人の女房が一枝折りとって渡す。
赤子は嬉しそうに振り回して遊んでいる。
それに気づいた妹が、おずおずと近寄っていく。
「だあ!」
突然二の宮が持っていた花を妹に差し出した。
彼女はそれを受け取り、食べ始めた。
「食べちゃダメよ。はしたない姫君だと思われちゃうわ」
取り上げると残念そうな顔をするが泣きはしなかった。
「ありがとうございました。おかげで助かりました」
桐壷の人たちが何度も頭を下げながら帰っていく。
日はまだ高い。彼女たちの影が消えるまで、妹は妻戸の辺りでそれを眺めていた。
花散里の年齢はわからないのですが、源氏と同じ年の少し上に設定してみました。