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源氏物語:零  作者: Salt
第二章
23/65

麗景殿の女御

麗景殿の女御視点

花散里のお姉さんです。

「さして高貴な身ともいえぬのに恥知らずな」

「身の程を思い知ればいいのに」


 耳をふさぎたくなるほど口汚い罵りが向けられる。

 ひととおり語り終えると私にも話がふられる。


「そうお思いになりません? 麗景殿(れいけいでん)女御(にょうご)さま」


 あいまいに微笑みながら肯定する。


「ええ。私などもともと数に入っていませんが、何度も前を通られることは辛いですね」


 女御の一人がおざなりに否定してくれる。


「あら、帝は女御さまのもとではとてもくつろげるとおっしゃっていましたわよ」


 その声音の奥の見下しの色に気づいてしまうが、いちいち抗おうとは思わない。


「そうですね。本当におくつろぎになってくださるらしく、この間久々に夜のお渡りがあったのですが何事もなくぐっすりとお休みになり、『おかげでリフレッシュできました』とお言葉を賜りました」


 ほほ……と彼女たちは口元を押さえ、機嫌よく帰っていった。


「持ち回りの女子会も大変ですねー」


 女房の一人が同情してくれる。


「当然のお付き合いですしね。それに、お気持ちはよくわかるのよ」


 帝のために一生を送る女が、彼に顧みられないことはとても辛い。

 自分を磨いて、装って、詠みかけられることを期待して和歌なども必死に学んで。

 そのどれもが無駄に終わることをいつも心の隅で感じている。


 一族の者はいつも私たちをせっつく。お渡りはあるのか、懐妊はまだかと。

 首を横に振るとと女としての魅力のなさを責められたりする人もあるようだ。

 運よく私の一族はがっかりするだけでかえって慰めてくれる。


 こんな情けないありさまだけれど、私たちはみな期待を背負った一族の中で最も価値あるとされた姫なのだ。



「仲良くしているよその女房に聞いたのですけど、彼女の仕える女御さまの容姿的に劣る妹君が権門の子息に嫁がれたのですって。正妻として大事に扱われ、今では一族の期待は逆転してしまったそうですわ。その女御さまは権高な方で大そう妹君を見下していらしたそうですけれど、すっかりうち萎れてしまって、入内(じゅだい)などしなければよかったとつぶやかれたとか」

「ありますよね、そんな話。私の聞いたのはある更衣(こうい)の話でした。受領(ずりょう)に嫁いだ従姉をバカにしていたところ、お子様もたくさんお生まれになり、夫君にとても大事にされて裕福に幸せにお暮しになっているのを聞いて歯噛みしているとか」


「やはり人を見下していると罰が当たるのでしょうか」

「関係ないと思います。これは別の更衣の話ですけれど、性格も容姿も難のないいい方ですがひそかに思う相手があったのに帝の寵愛間違いなしと無理に入内させられて、それなのにまるで訪れがなく、最近は少しご様子がおかしいとの噂ですわ」


 見捨てられた暮らしは女の心をむしばむ。


「まだ私は恵まれているのね。身内はみんな気を使ってくれるし、妹は可愛いし」


 年の離れた妹のことを思うと顔がほころぶ。

 まだ小さな赤子で、もみじのような手をにぎにぎしたりして愛らしい。

 里下がりも楽しみだし、時たま連れてきてもらったりすると嬉しい。


「実のお子様だったらさらに素晴らしいでしょうね」

「それは望みが薄そうです」


 否定すると女房が焦った顔をするので微笑んでみせる。


「まだ、弘徽殿(こきでん)の女御さま以外の方と比べれば帝のお顔自体は拝見できている方ですけれどね」


 私の住む麗景殿は綾綺殿(りょうきでん)に近い。だから、帝が賢所(かしこどころ)に行かれた後などにひょいと寄ってくださったりする。

 そのまま桐壷(きりつぼ)に行かれることの方がもっと多かったけど。


「でも最近では減りませんか?言伝もなく急にあの更衣のもとに行くことが」

「そういえば。御子がお生まれになって戻られてからは、必ず前触れの女房がつかわされますね」

「扱いが重くなっています」

 私たちは少し顔を見合わせた。

「まるで、弘徽殿の女御さまに対する時のように丁寧に対していらっしゃる」

「ええ」


 帝がまだ東宮(とうぐう)の時に()()しとして参られた弘徽殿の女御さまは、あまたいる妃の中で最も重く扱われている。

 その方のお生みになった皇子は後見も確かで、次の東宮に間違いなくおつきになると言われている。


「まさか……帝は………」

「ありえないでしょう。あの更衣には後見がいません」

「主上自身が望んだとしても不可能でしょう」

「それに、そんなこととなったら弘徽殿の女御さまが黙ってはいらっしゃらないでしょう」

「さすがの帝もそんな命知らずな真似はなさらないと思います」


 全員が、くだんの女御さまを脳裏に浮かべた。


 その方はとても美しい。けれどそれは花や月にたとえるような美しさではない。

 話に聞く霊峰富士や大海原のうねりを思わせる峻厳な美貌だ。見る者を和ませるより圧倒する。


「わたし、噂を聞いたことがあります。まだあの方が入内されて日が浅い頃、内裏(だいり)に賊が忍び入ったとか」


 見つかって、逃げた賊は高貴な女性を人質にしようと走ったそうだ。

 そしてたまたま出くわしたのが弘徽殿の女御さまだった。

 その方は逃げる様子もなく怯える女房たちの前に立ちはだかり、扇から目だけを出して賊をにらみつけた。途端に男は身動き一つできなくなり、そのまま捕えられた。

 後に、「今まで生きてきて最も恐ろしかった」と語ったそうだ。

 神も仏も恐れぬ罪人が、ずっと後々までその恐怖を語り継いでいるそうだ。



「例の更衣の方もお美しいの?」


 同輩に問いかける女房に私が答えた。


「とても美しい方ですよ。繊細で愛らしい外観の方ですけど、体はともかく、お心の芯は強いのではないかしら」


 以前ささやかな歌合せでお会いしたその方を思い浮かべた。


 けして出過ぎないように気をつけて、求められると上手な和歌を詠みあげる。彼女をいびるつもりで呼んだある女御さまですらケチをつけることのできない歌だった。

 それでもちくちくと嫌味めいたことを口にしていた女御さまがふいに方向を変えた。


「そう言えば桐壷の方は今度の音の遊びで和琴をお弾きになるのですってね。まだ二度目ですのに大そうなご出世だこと。ぜひあやかりたいですわ」


 そして急に矛先を私に向けた。


「麗景殿の女御さま、琴の師匠としてお迎えになったらいかがです? 」


 私の琴の腕のひどさはつとに知られている。

 だけどその時はそのことを貶めるためではなく、更衣を見くびるための無神経な言葉だったのだと思う。

 突然のことで私もちょっと言葉が出なかった。

 女御さまはまた桐壷の更衣に向かった。


「そうして差し上げたら? 人前でお弾きになることが好きなようですし」


 更衣はおっとりと微笑んだ。


「新参者をおからかいになるための大役だと思いますわ。みなさま方の足元にも及びませんし、帝は私の和琴をお聞きになったことはありません」

「まあ、ご謙遜を! それではなおさら練習がてらに麗景殿の女御さまに教えて差し上げればいいですわ」


 引かずに詰め寄るその女御にまた優しい笑顔を見せた。


「先ほどから聞いておりましたが、麗景殿の女御さまのお歌はとても優しい調べで胸の内が明るくなるほどでした。私がお伺いしたら琴よりもお詠みになる和歌を聞きたくて無理を言ってしまいそうですわ」


 あら、上手にかわすのね、と内心ちょっと面白かった。

 その女御さまが更に言いつのろうとしたのでこちらも笑顔で言葉を返した。


「まあ。それ以上おっしゃるのなら今宵この殿舎(でんしゃ)の前に来て弾いて差し上げますわよ。一晩中。逃がしませんから」


 他の方々も笑うし、その女御さまも私にたいしての暴言は慎むべきだと気づいたのだろう、その日はそれで仕舞いとなった。


「そうですか。恨めしい思いもありますけれど、ちょっと気の毒な気持ちもありますからお強い方なら少し気が楽です」

「他の方々がどんなにお美しくとも、わたしたちが最もお美しいと思うのはもちろんわたしたちの女御さまです」


 私の女房たちはみな優しい。


「ありがとう。そう言ってくれる人が身近にいるだけでもうれしいわ」


 礼を言うとみんながにっこりとする。

 お渡りが少ないのは残念だけれど、たぶん私の分に合った暮らしだと思う。

 たとえ神様が、弘徽殿の女御さまか桐壷の更衣と立場を取り換えてくれると言っても、ちょっと断ってしまいそう。

 ひっそりと地味に内裏の片隅で、今日も帝をお待ちしよう。



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