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源氏物語:零  作者: Salt
第一章
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縁(えにし)

弘徽殿視点

 手の者の連絡が早かったために、見苦しい様をさらさずに済んだ。


 主上に呼び出され昼の御座に向かうと、走ってきた彼に抱きつかれた。

「生まれました! 二の宮です。男の子です」

「…………おめでとうございます」

 彼は私の手を取ってぐるぐると回り、それからもう一度私に抱きついた。


「ありがとう! そしてありがとう!」

「………御剣をおつかわしになりましたか」

「そうだった。用意してあるんだった。誰か~、もう出られますか?」

 靫負(ゆげい)命婦(みょうぶ)という女房がすでに支度を終え控えていた。

 皇室の筋の男の子に伝える剣を持って、彼女は更衣の里へ向かっていった。


「気が落ち着かなくて何もできないのですよ。一の宮の時はもう少し冷静だったと思うのに」

 そう言ってからさすがにこちらの視線を感じたのか、

「弘徽殿さんはしっかりしているし里の力も強いから心配が少なかったのでしょうね」

 と付け加えた。少しも嬉しくない。


「赤子はお元気のようですね」

「ええ………だけど更衣さんが…………」

 口ごもって下を向く。

「無事なのですか」

「はい。ただぐったりとしてなかなか目覚めないそうです」

 彼は私の袖をつかんだ。


「このまま目が覚めなかったらどうしよう」

 苦い思いをかみしめた。それでも悲しそうな主上を見ることは辛い。

そっとその手を握ると強く握り返された。温かい。


「……祈って差し上げるとよろしいと思います。

主上は国で最も偉大な祭祀者であるわけですから、効果は絶大だと思います」

 感情を抑えて呟くと彼はがぜん張り切った。

「そうですね。誦経(ずきょう)祈祷(きとう)もさせているのですが、私自身が祈ることも必要ですね!」

 ふいにその気になったらしく、みそぎの用意を女房に命じた。

毎朝湯あみする彼は国の誰よりも清らかだが、念には念を入れたいらしい。


「ありがとう。さすが弘徽殿さん、頼りになります」

 もう一度握る手の温もりを貴重な宝のように感じた。

「いえ………主上のご平安を私も祈っております」

 明るい笑顔を向けてくれる。そして、別れのあいさつ。

 それに応えて背を向けた。



 弘徽殿に帰る道筋の廊がひどく冷たく感じた。

 帝の間に皇子を持つのは今まで私だけだった。

 それを前世からつながる(えにし)の表れと思っていた。

 けれど彼は別の縁を持っている。

 心の中で波が揺れた。


 たどり着くやいなや御帳台にこもった。

 釣り灯篭の灯りさえ拒否するとすべてが闇に呑まれて暗い。

 しかし眠れない。そのまま時のたつのをただ耐えていた。

 闇はいっそう深くなり、女房たちの寝息が聞こえる。

 派手ないびきは乳母子のものらしい。


 眠れないまま、身じろぎもせずにこもっている。今更灯りをつける気にもなれない。

 漢詩をいくつか心の中で暗誦し、それでもまだ時は立たない。

 仕方なく、頭の内でエア琴を弾いてみる。


 最初は和琴。筝の琴。琵琶。

 一通り終わって琴の琴に手を出した。


 高雅でかぼそい音。秋の音。

 白い萩の花。

 花びらが雪のように散る。


 絹糸のように細い音が遠くへ消える。

 雨の音。かすれるほど淡い色合い。


 目を閉じると音のあとに散った花びらが道を作る。

 風が吹けば無残に消える脆い道。


 いつしか私は眠りについた。

 夢も見なかった。その方がよかった。今見たら知らない赤子の夢を見そうだ。

 いや、それだけならましだ。

 赤子を抱く主上などの夢を見たならば逆上してしまいそうだ。

 なら、あの更衣の夢ならば……?


 やめておこう。

 私にはまだ誇りも気概も残っている。

 見栄を張る気力さえ残機がある。


 今は休もう。

 闘いはまだ先だ。

 今宵は、何も考えずに眠りたい。




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