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源氏物語:零  作者: Salt
第一章
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誕生

桐壷視点

 里の暮らしは気楽でぬるい。飯はうまいしお母ちゃんは優しい。女房たちものんきに過ごしている。

「あんまり楽なんでぼけそうです。内裏に戻った時のギャップが凄そうですな」

「用心しないで渡殿歩けるっていいっすねー。意味なく走ったりしちまいました」

「みっともねえからよしとけ。それにここ、手入れがいいから下手すりゃ遣水(やりみず)にドボンといくぞ」

「さすがにそれは格好わるいのでやめます」


 帝からはしじゅう文が来るし、留守番組の報告も届く。辛いことは何もない。

 ただ、物足りない。文で心は知れても生身のあいつがそこにいなきゃ、気温は上がっても肌寒い。

 楽の遊びだって気心の知れた女房たちと程よく楽しめる。けれどそれは予想のつく音と、優しい配慮のもとの予定調和な遊びにすぎない。


 帝の温もりを思い出して眠れない夜もあれば、御簾(みす)越しの光にあの音を呼び覚まされて心を射抜かれる昼もある。


 幸せなはずの毎日が檻のように感じる時もある。

 もどかしい。もっと速度を上げてどこかにたどり着かなければ。

 私にあまり時間はない。

 その焦燥の意味さえ分からず、ただ戸惑うばかりだ。



 桜の季節を迎え、花が散る。前栽(せんざい)の山吹や岩つつじが光を集め、やがて池には蓮の花が揺れる。

 浅い色合いの楓の葉がいつしか青々と茂り、しだいにその色を変えていく。



「もうすぐお生まれですね」

 やっと咲き始めた白萩を一枝折り取ってきた女房が、身を横たえていた私にそれを渡す。

 触れれば雪のように散るほど脆い萩の花が、なんだかとても愛しくてしばらく眺め入った。

 丸い葉も心を和ませる。


――――萩の花を音にするとしたら琴の琴がいいかな

 ぼんやりとそんなことを考えている。

 最近では腹が張るので、もう自分で奏することはできない。

 ただ、かつての音を思い出すために目を閉じる。

 響き渡るのは、たった二度の遊びで聞いたあの楽の音だ。


――――あいつ、琴の琴も弾くかな

 辺りの音にまぎれやすいかそけき音。琴の琴は季節に合わせて奏し方も変えなければならない。ひどく難しくて習う者も少ない。

 けれど、彼女なら苦も無く鳴らしそうだ。


 想像上の琴の音は、そっと私を眠りに誘う。

 音を頼りにぼんやりとした薄闇の中へ分け入った。



 上下も方角も定まらぬ道を歩いていた。

 案内する者は誰もいず、助けとなる音もいつしか消えていた。


 進んでいるのか後退っているのかもわからない。

 暑くも寒くもないほの昏い道。

 そこで、男とも女ともつかぬ声が囁きかけた。


「…………その子は光をまとって生まれるよ」

 そうだろうな、と思った。

「日の光をその身に受け、月の光を中に宿すよ」

 別の声が肯定する。

「もう決まったことだよ」

「だけど……光は闇を生み出すよ」

「光は闇から生まれるんだよ」

「光は闇の眷属だよ」



 様々な声が語りかける。子供の声だ。ふいに気づいた。


 生まれてすぐに亡くなった子。生まれなかった子。

育ったが顧みられることのなかった子。正しい地位を与えられなかった子。


――――すべて、(すめらぎ)の血を継ぐ子供だ。


 怨みや呪詛は感じない。淡々と子供たちは告げる。


 私は夢の中にいるのだろう。

 だが、誰の夢なのだろうか。 

 私だけの夢ではない。

 腹の中の子供の夢でもなかろう。


 まあ、なんでもいい。

 恵まれなかった皇の子が何らかの思いを託しても、それを受け入れるかどうかはこの子自身の選択だろう。

 私が決めることではない。


「無事に生まれるか?」

「生まれるよ」「大丈夫だよ」「元気だよ」

 子供の無事が保証された。そのことにほっとする。


「だけどあなたはいなくなる」


 言葉が重く沈んでいく。


「………嫌なフラグ立てるねえ」


 もうあいつには会えないのだろうか。

 帝の笑顔が浮かんで消える。


「回避ルートはないのか?孫に若き日のモテ話を聞かせて、おばあちゃんまたその話~と言われるのが夢なんだが」


「無理だよ」「もう決まったことだよ」

「あなたは美しい思い出になるよ」


 綺麗な思い出より小憎たらしいBBAになりたいんだが。

「まあ、可能な限りやってみる。………ところで、私今死にかけてるか?」


「うん」「うん」「危ないよ」


「じゃあ戻って頑張るわ。あばよ、おまえら。なるべく成仏しろよ」

 ちょっと間があって、それからはじけるような笑い声が響いた。

 その声に乗ってうつし世に戻った。



 もうちょっとあとでもよかったかなと少し後悔した。

 現世で私は出産の真っ最中で、強烈な苦しみがわが身を襲った。


「お方さま!」

「しっかり!」


 白い衣装の女房たちが意識をなくして頼りない私の体を支えてくれている。

 気力を振り絞った。

 天井からはより合わせて編んだ丈夫な紐が下されている。

 それをつかんで気を張った。


「お生まれです!」

「玉のような男の子です!」


 色のない白い世界に生命が生まれた。

 それを確認すると、私は再び意識を失った。


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