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源氏物語:零  作者: Salt
第一章
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桐壷デビュー

桐壷視点

 まったく、うちの両親には困ったものだ。いい年齢をして夢見がちで、世の(ことわり)を解さない。

 ことの起こりはお父ちゃんの出世欲だ。

 運良く北家の流れを汲む血筋なので、どうにか大納言までたどり着いた。が、それからがいけない。そこから位階はぴたり、と動かない。

 仕方のないことだと思う。うちは現在の主流とは離れている。ここまで来れただけでもなかなかの運のよさだ。ところがお父ちゃんは納得しない。ああ見えても若い頃はけっこうやり手で、家柄のいいお母ちゃんをちゃっかり嫁にしている。俺の人生、これからだと思い込んでいるのだ。


「こうなったら、望みはおまえだ」


 秋の司召(つかさめし)、例の如く失意の父がいきなり宣言した。


「はぁ、マジっすか」

「なんという言葉づかいだ。乳母は何をしておる」

「いや、それは置いといて、ちょっと無茶だと思いませんか」

「何故だ! 娘のおまえまで我を愚弄する気か」


 ひがみやすくなっているお父ちゃんは激昂した。


「いえ、そんなつもりは毛ほどもありませんがね」


 彼の残り少ない髪の量を見つめながら続けた。


納言(なごん)クラスの女じゃ、しょせん更衣でしょう。先がありませんぜ」


 実力で大臣になってから言え、と脅したつもりだが、彼はさらに興奮した。


「いや、おまえの美貌だ。和歌、楽、機知。どれをとっても人に劣るものはない。お目見えすれば中宮だって夢ではないっ」

「親バカに過ぎる」

「そんなことはないっ。行け、娘よ! 更衣(こうい)から女御(にょうご)になり、そして中宮(ちゅうぐう)になるのだ! それから次の帝を生むのだ!」


 ……この人、よくこの地位まで来れたな。慣例なんてものをまるで無視している。


「そんなもの帝の実力で破れるっ。そもそも女御なんて恒武(かんむ)の帝の頃までなかったんじゃあ!」


 それからどのくらいたったと思っとる。固定されたシステムはそう簡単には動かない。


「なんでもいいっ! とにかく入内(じゅだい)だっ、入内っ!」


 と、彼は騒ぎ立てた。



 何事も無理はいけない。

 準備に奔走しすぎたせいか、エキサイトしたためか、お父ちゃんは体を壊して寝込んでしまった。

 そこへ右大臣の縁の者が現れた。


「うちの姫さんが司る後宮に今更入り込んでも辛い思いをするだけですぜ」


 丁寧な言葉を要約するとこうだ。

 父は更に激した。


「これはおまえの美貌を伝え聞いて不安に思ったあちらの策略じゃ!」

「いや、それはないって」


 単なる事実と忠告だろう。なのにお父ちゃんはむきになって支度を進め、ついに取り返しのつかないこととなった。



「………無念だ」


 死の床で、なおも言った。その横でおかあちゃんが手を握って泣いている。

 息も絶え絶えに、お父ちゃんは言葉をつづる。


「宮仕えを……我が失せてもあきらめるな……ネバー・ギブアップじゃ………」


 それが最期の言葉だ。



 おっとりとした天然系お嬢様であるお母ちゃんは、我にもなくがんばった。お父ちゃんの今際(いまわ)の言葉を忘れられなかったのだろう。女房を集め、美々しい衣裳をそろえ、ついに私を後宮にねじ込んだ。

 お母ちゃんは世間知らずだ。夢見る夢子さんだ。だからこそ先に入内した方々に関わりのある人たちの皮肉なまなざしに気づかず、こんなことが出来たのだ。

 天然ほど強いものはない。



「綺麗な方ですね」


 儀式のあと、お言葉を賜わった。

 帝とは、さぞやいかめしい男だろうとの想像を裏切って、なんだか頼りなげな若者だった。

 私はしおらしくふるまった。親に恥をかかせるわけにもいかん。


 初めの二月は可もなく不可もなく、後見の弱い更衣としては際立つこともなく過ぎ去った。出来るだけ目立たない、と決めた私が全て控えめに振舞ったことが幸いしたのだと思う。

 ところが、その直後異変があった。


 女房の一人が駆け込んできた。


「た、大変ですぜ、主上がお渡りですっ」

「なにっ」


 呆気にとられた。弘徽殿(こきでん)や藤壺ならわかる。桐壺だぞ、ここは。内裏(だいり)の辺境だ。

 しかしその言葉に嘘はなく、支度する間もあらばこそ、帝はこの部屋に乗り込んできた。


 通常、三日夜を過ごし五日目の昼、帝は女御の居室を訪う。しかし私が更衣のせいか、はたまた部屋が離れすぎているせいかそれはなく、ほら見ろこんなものだ、と内心自嘲した。

 それが何故、今更。


「他の方々は下がってもらっていいですか」


 帝の言葉に、女房たちは部屋を空けた。彼自身に付き従った者もそれに習った。妻戸は固く閉ざされた。

 二人きりになり私は取り繕った言葉を口にしようとした。ところがそれよりも一瞬早く、彼はふいに泣き出した。

 再び呆然とする。何だ、こいつは。

 帝は泣き止まない。


「もし……いかが致したのでしょうか」


 答えず大泣き。


「何か私に気に入らないことでも……」


 首を横に振って、ただ泣く。


「見ていて辛うございますわ。どうぞ涙を止めてくださいませ」


 無視してひたすら泣き続ける。


 だんだん腹が立ってきた。


「ええい、いい年をした男がガキみたいに泣いてんじゃねぇ」


 ………いかん。地が出た。

 泣いていた帝が驚いて顔を上げた。

 まずい。大いにまずい。だが止まらない。


「なんだって叔景舎(しげいしゃ)くんだりまで遠征してきて、びーび―泣いてんだ。理由を言え」


 激しい言葉を向けられたことがないのだろう。目がまんまるになっている。なかなか可愛い。


「ほら、まずここに来たわけからだ」


 促されると、今度は素直に答えた。さすが育ちがいい。


「ここ、遠いから泣いてもばれないと思って」

「誰にだ」

「あの……色々な人に」


 他の女御や殿上人にだろう。無力な私に知られても困らないってわけか。


「で、何故泣く」

「だって」


 また、めそつく。


「しゃんとしろ。仮にも帝がみっともねぇ」

「はい……。(まつりごと)を任せてもらえないんです」

「ふむ」


 無理もない。世の道理もわきまえぬこんな青二才に政局を振り回されるのは何かとまずい。


「でも私は恒武の帝のように自ら改革を進めて世をよくしようと思っているんです。なのに右大臣が」

「おい、こら、泣くな」


 紅絹(もみ)を取って顔を拭いてやる。彼は咽喉の奥で音を立てた。


「左大臣側から事を運べばいいだろう」

「あの人穏やかだからきついこと言えないんです。右大臣は性急であからさまだから勝てない。それに」


 再び涙をひとすじ流す。


「もっと強敵が後宮にいるんです」


 男以上に政道に、学問に詳しい才長けた女。


「私が嘆くとあの方は諄々(じゅんじゅん)とお諭しなる。そして、いつもその言葉は正しい。確かに、私よりよほど政に向いていらっしゃる。だけど、私は帝なんですよっ」


 まるで子供のように口を尖らす。幼すぎる矜持。

 ふいに何かが胸を打った。

 栄華の頂点にいるはずのこの男はその意を入れられずに、更にはかない存在のこの私のもとで泣くことしか出来ない。

 なんとなさけなく、愛しいことか。


 彼の手を取った。不思議そうにこちらを見る。


「そんなの、下々に任せておけ。帝には帝の仕事があるだろう」

「え、あの……?」

「来い」


 御帳台(みちょうだい)に引っ張り込む。


「あの、更衣さん」

「女に恥をかかせるな」


 雪の下に落ちた一輪の紅梅のように染まった彼は、唇を重ねると微かに震えた。経験なんか私よりよほどあるはずだが、大人しくされることを受け入れた。

 彼と熱を分け合った。

 愚かで可憐な私の男。情に脆く、理に疎い。

 私は彼を愉しんだ。


「また、来てもいいですか」


 彼は尋ねた。


「断る。あちこちに迷惑だから来るな」


 そんな切ない顔をするな。こっちの情に火が点きそうだ。


「あくまでこれはイレギュラー。今までどおりの関係でいよう」


 帝は泣きそうな目で見つめる。


「あなたを本当に知った今では、不可能です」


 ああ、そうだろうよ。でもそんなわけにはいかない。


「さっさと帰れ。ごく稀に、思い出したように呼べばいい」

「いやです」


 強情だ。そしてバカだ。


 酷い立場に追い込まれるだろう。

 予感があった。

 だけど私は微笑んだ。

 後悔はしない。自分からおこした行動を、絶対に悔やんだりはしない。


「まぁ、いいさ」


 思惑の渦巻くこの九重(ここのえ)で、波に捕らわれ流されていくのもまた一興。鬼が出るか、蛇が出るか。せいぜい覚悟を決めておこう。

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