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源氏物語:零  作者: Salt
第一章
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覚悟完了

弘徽殿視点

 柳襲(やなぎがさね)汗衫(かざみ)をつけた女童(めのわらわ)が、帝付きの女房の差し出した梅の枝を受け取り私のもとに運んでくれる。花よりも濃い色合いの薄様(うすよう)に、主上の手蹟()が読み取れる。

 だがまだ読まずに相手の様子を窺うことにする。


 帝付きの女房は礼儀正しく来意を告げる。


「梅の香に音を添えるお遊びの程、どうぞよろしくお運びください」


 久しぶりの文に緩みそうになる表情を抑えて重々しくうなずく。こちらの女房が適切に応対する。


「つきましては今回は(そう)の琴をお願いしたいのですが」


 もちろん私はどの楽器でもこなす。しかし今までまかされていたのは和琴(わごん)琵琶(びわ)が多かった。いささか頼りない音で、他の楽の音を引き立てることの多い筝を任されることは初めてだ。


「それはやはり主上のおぼしめしでしょうか」


 乳母子(めのとご)が横から口を出す。あちらの女は無表情に肯定する。乳母子は不満そうだが私は承知した。

 ちら、と視線を走らせた最初の女房が相手に向かう。


「いつもとは違う趣のご指定、初心に帰って受けさせていただきます」


 守るべき礼の中に潜ませた棘の鋭さ。なかなか使える女房だ。

 が、間髪をいれずに乳母子が口を挟む。


「前回初めて加わった方の奏するものはなんでしょう」


 直球過ぎる。先の女房が唖然としている。が、さすがに帝付きの女房は毛ほども色を変えずに「和琴でございます」と答えた。

 乳母子が唇の震えを止めるために口を閉じた隙に、他の二人は慇懃に謝辞を述べあい、あちら方の女は去った。


 卒倒しそうな乳母子をほっておいてわたしは文を開いた。男にしてはどこか愛らしい字。月並みな言葉ではあるが、お会いできなくて寂しいと言ってくれている。嬉しい。

 早速、書の用意をさせて返事を書いた。勢い余って当社比二割増しの力強さで書いてしまったが、この情熱が充分に伝わると思う。


「さて次は筝の用意を」


 もちろん真の天才である私の技量は練習なしでもずば抜けてはいるが、獅子はネズミ一匹倒すためでも本気になると言う。手は抜きたくはない。


「にょ、女御さま……」


 息も絶え絶えな乳母子の様子を見て人を呼び、水を持ってこさせた。

土器(かわらけ)の中身を飲み干すと、ようよう声が出るようになった。


「女御さまはこの辱めを甘んじて受けるおつもりですか?」


 琴を奏する手を止めてわずかに目を細めた。

途端に彼女はびくつき、部屋の中は凍りつく。


「辱めとは」


 低めの声で尋ねると、硬くなったままで答えた。


「あの身の程知らずの更衣が和琴で、女御さまの筝の琴など……」


 私は声をやわらげて言葉を返した。


「人に貴賤はありますが、楽器に貴賤はありません。たとえばひちりきは吹くときに頬を膨らます様が見苦しいと厭う人は多いけれど、あれは曲の流れを作る立派な笛です。同じように筝も単一でも魅力のある曲を奏でる素晴らしい楽器です」

「けれど格という点で…」

「その点に目を向けると琴の琴が一番ですが今や学ぶ人さえ稀なもの。もちろん私は弾けますが」


 声を落として凄みをきかせる。


「どんな楽器でも私はかまいません。すべて……返り討ちにしてくれるわ」

「お見事な決意でございます」


 感に堪えぬように先の女房が私の目を見る。


「うむ。当方に迎撃の用意あり、です」


 並み居る女房たちが感激のあまり拍手をしてくれたが、乳母子は今一つ気が収まらないようだ。



「だからあちら側の態度が気に入らないのよっ」


 夜になって大殿油の下で漢書を読んでいると言いつのる乳母子の声が聞こえた。


「一見大人しくふるまっているように見せかけて、その実こちらを軽んじているのがミエミエ。癪に障るわ」

「確かに、『つれーわ。後見ないのに寵愛されてマジつれーわー』と言いながら、ちらっちらっとこちらを見ているようなウザさがありますわ」

「でしょ。楽の遊びに出られないように手を打つべきだと思わない?」


 漢書をパタリ、と閉じると慌てて彼女が寄ってきた。

「そのことは不要です」とだけ告げ、御帳台(みちょうだい)に入った。



 次の日困惑した様子の女房が私のもとへいざり寄った。


「例の更衣に仕える者が現れて『こちらの方を差し置いて和琴などとは恐れ多いので、前回と同様のあり方でかまわないでしょうか』と尋ねています」

「すぐに乳母子を呼びなさい」


 怒りのこもった私の声にその女房がなんだかひきつけを起こしそうな顔ですっ飛んでいった。

小さく仕切られた局にいた彼女が駆けつける。


「いったい何を仕掛けたのですか」

「いえ、まだ何も」

「そんなことはないでしょう。先方が断ってきています」

「本当にまだ、何もしておりません」


 必死な顔で言いつのる。彼女の態度に嘘はなさそうだ。他の女房たちも同意する。


 不可解な思いでいっぱいだ。

 前回の音の遊びの更衣の技量。あれから推し量るに他の楽器が弾けないなどとは到底思えない。また、今までの様子から見るに、急に怖気づいてこちらに媚を売る女とも思えない。


「お受けしますか」


 女房に尋ねかけられたが首を横に振った。


「主上側の依頼に従いたい、と断りを述べなさい」


 すぐに消えた彼女の代わりに乳母子が憤った。


「絶対に何かありますわ」

「約なくして和を請うは、謀あるなり――――相手が弱ってもないうちに和睦を申し込むのは計略があるからだ、と孫子も言ってますが……」


 はたしてそうであろうか。


「相手がどのような攻撃をしてこようが恐るに足りません。私は遊びを楽しみにしています」


 あの日のあの音が耳もとによみがえる。

 そして、次はそれぞれがあの時と逆の楽器だ。

 胸の内に我知らず、一つの心が生まれていく。

 それが期待という名を持つことに驚いて、私は黙って目を伏せた。



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