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源氏物語:零  作者: Salt
第一章
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弘徽殿(こきでん)登場

弘徽(こき)殿(でん)視点

「ずい分とご機嫌ですね」


 広々とした右大臣邸の寝殿(しんでん)(メインの建物)で鼻歌交じりに漢書を開く私の横に、乳母子(めのとご)が座った。


「そりゃそうです。入内(じゅだい)まであと少し。私が世を司る日が近づいてきたわけです」

「はぁ」


 近日中に元服する春宮(とうぐう)(皇太子)のもとへ行くことになっている。父は支度に大わらわだ。


「不安にはお思いにならないのですか」

「なぜ?」


 不思議なことを言う。凡俗の女ならさもあろうが、今回嫁ぐのは私だ。 知性、美貌、楽の才。どれをとっても不足ははない。単身でも寵愛は深かろうが、更に後見の父は出世街道まっしぐら、その勢い欠けることなき右大臣である。


「おまけに私は春宮の()()しと決まっています。つまり公式にNo.1なのです」


 一という数字は大好きだ。

 

 乳母子は困ったような顔をした。


「あの、たとえば姫さまが春宮さまよりお年上であることとか、真名(まな)(漢字)などを平気でお読みになることとか」


 彼女は開いた書物にちらり、と目をやる。


「年の差など全くかまいません」


 強く言い切る。


「伝え聞く限り春宮はさして学に長けたお方ではない。そのようなことに熱を入れると体を壊す、などと信じていらっしゃる。ならば私が代わりに補佐してやらねばなりません。師として教えるには私が年上の方が都合がよろしい」


 漢書を見せつけるように更に開く。


「真名も女人には不要なもの、と思われていますが、私は例外です」


 胸を張った。


「なにせ私は中宮(ちゅうぐう)(皇后)を目指す身。この程度単なる基礎教養です」

「はぁ」


 乳母子は言い足りなさそうだ。寛容な私は言葉を促した。


「春宮さまはやがて帝におなりになります。様々な女人が入内してくると思うと、私は姫さまが案じられてなりません」

「どんな女人が来ようとも、この私にかなうわけがないではないか」


 まったく、この女は乳母(めのと)より心配性だ。


「おまえ、もしかして内裏(だいり)に行くのが嫌なの」

「いえ、そういうわけではありません」

弘徽殿(こきでん)(たまわ)ることになっているから、そう不自由ではないと思うけど」

「場所に不安を感じているわけではありませんわ」


 同じ年のこの娘は、知性は足りぬが忠実に私に仕える。いつもは素直に従うが、今度ばかりは何か含むものがあるらしい。多分、新しい経験を前にして気後れしているのだろう。

 励ましてやることにした。従者の心身の安定は主人の勤めだ。


「安心しなさい。三史五経をはじめ諸子百家、史記なども読みこなせる姫などそうはいない。どのような女がきたとしても恐るに足りず、です」


 彼女はいっそう肩を落とした。そしてしばらく私を見つめると、ふいに我が手を握った。


「何があろうと、私は姫さまの味方です」


 驚いていると、更に力を込めた。


「私が、お守りいたします」


 思わず吹き出しそうになった。逆ならともかく、この非力な女が我が盾になろうと志すとは滑稽(こっけい)な夢想だ。

 だが、その気持ちは嬉しかった。


「ありがとう。よろしく頼みます」


 悲愴な顔で勢い込む彼女に笑いかけると、彼女も少し微笑んだ。



 やがて入内の日が訪れた。

 乳母子に手を引かれて立ち上がる。父が迎えにきた。


「おお、なんと美しい。吉祥(きっしょう)天女かと思いましたぞ」

「それは誉めすぎですわ、お父さま」


 せいぜい衣通姫(そとおりひめ)といった程度である、と謙虚な私は考えた。

 いや、もしかすると楊貴妃の域はいってるかもしれない。しかし、中宮となるはずの私は貴妃より上であろう。


牛車(ぎっしゃ)の用意が整いました」

女童(めのわらわ)、スタンバイOKです」

「お付きの殿上人(てんじょうびと)も参上いたしております」


 御簾(みす)(すだれ)が掲げられた。今まで(しゃ)(薄絹)で(とざ)されていたようであった世界が鮮明に私の前に広がる。ゆっくりと最初の一歩を踏み出す。

 扇をかざしても降り注ぐ光はまぶしい。

 静々と、私は進む。

 まだ見ぬ春宮のために。

 自分自身の栄光のために。


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