手の目
『怪談・奇譚持ち寄りの方、酒代とりません』
この貼り紙は効果的だった。初日二日目は普段通りでも、三日四日と経つと次第に客も増えてきた。
飲み屋屋台の主、弥吉は取り立てて怪談が好きなわけではない。信心深いわけでもない。むしろ全く信じていない。まことしやかに話す酔った客を、内心で嘲笑うのが、弥吉の数少ない趣味だった。
化け物だぁ祟りだぁ、そんなもんあるわけない。弥吉はそう吐き捨てる。今まで五人殺したが、誰ひとり化けて出た試しはない。
弥吉が初めて殺したのは、飲み代を払わない浪人だった。毎日毎晩好きに呑んで、刀をチラつかせて金も置かずに帰る。それを繰り返す呑んだくれのろくでなしだ。
浪人を思い出し、弥吉はフンと鼻を鳴らした。腕を痛めた浪人なんて怖いものでもない。奢りだと酔わせてしまえば、弥吉が石で殴るだけで簡単に殺せた。
ふたり目は弥吉の女房だった。浪人を殺した下手人が弥吉だと知った女房は、同心に駆け込もうとした。それを止めようと、絞め殺した。
後の三人は行きずりだ。口がきけない男を殺し、足の悪い女を殺し、屋台で悪酔いした男を殺した。こうしてみると、自分は殺す相手を選んでいるのかもしれない。
「おぅ店主。聞いてるかい」
猪口を口に寄せたまま、頭巾を被った男が言った。
「ああ、すいませんね、なんでしたっけ」
声を聞いて、弥吉は我に返った。そうだ、今は客の話を聞いているところだった。
今夜は客が少ない。普段はもっと多く客が来るものを、なぜか今夜に限っては、この頭巾の男がちびりちびりと猪口を舐めるだけだ。新月だと、迷信好きは出歩きたがらないのか。
「すいませんね、もう一度聞かせてもらえませんか」
すきっ歯の間からヒューと息が漏れる。細工の良い顔ではないが、へりくだっておけば、酒の回った客は気前よく法螺話を聞かせてくれる。
男が猪口を舐めながら言った。
「手の目、って知ってるかい」
「手の目、ですか。いいえ、とんと聞かない話です」
「目の見えねぇ坊主の話よ。今日みてぇな、新月の夜かな。すすき野原を歩いていた坊主が、野党の集団に襲われたのよ。野党は坊主を脅し、金をせびり、しまいには坊主をよってたかって斬り付けた」
男は一度言葉を切った。空けた猪口に酒を注ぎ足し、それを口に寄せて続けた。
「おっかねぇのはここらよ。坊主はてめぇを殺した下手人を探してやろうと、夜な夜なすすき野原を歩き回るって話だ」
「探して回るんですかい? しかしお客さん、その坊主、目が見えないんでは?」
「おう。下手人を見つけたい。だが目が見えないから見つからない。それが悔しくって、悔しくって、その怨念が、坊主の手に目玉を生えた。その目で見つけてやろうと、坊主は手を突き出してふらふらゆらゆら、歩き回ってるって話だぜ」
男はくいと猪口を傾け、中身を空けた。徳利から酒を注ぎ足す。
「いやなるほど、おっかねえや」
男の前に新しい徳利を渡し、弥吉は笑った。本人は朗らかに笑ったつもりだが、性格が滲み出た顔は見た人を深いにさせる、つまらない助平心を表しているようだ。
口では怖がっているが、内心では男を鼻で笑っている。そんなものが出るなら、弥吉はとっくに合っているだろう。
ふたつ目の徳利から酒を注ぎ、それで口を湿らせながら男は言った。
「ところで店主、最近ここらで起こる殺しだがよ、下手人に心当たりはないかい?」
「・・・・・下手人、ですか。いいえぇ。あたしも毎夜ここに出てますが、それらしい輩は見かけませんねえ」
男は猪口の中身を呑み干し、もう一杯。
「ところで店主、最近ここらで起こる殺しだがよ、下手人に心当たりはないかい?」
「いやあ見ませんやね。あたしも目端の効くほうじゃないんでね、何かあっても、見落としているかもしれませんが」
男は猪口の中身を呑み干し、もう一杯。
「ところで店主、最近ここらで起こる殺しだがよ、下手人に心当たりはないかい?」
「・・・・お客さん、同心か何かですかい? だとしても、あたしは何も知りませんよ。知らないものは教えられません」
苛立たしげな弥吉とは対照的に、男はゆっくりした動作で猪口を傾けた。猪口で口元を隠すように、もう一度。
「ところで店主、最近ここらで起こる殺しだがよ、下手人に心当たりはないかい?」
「いい加減にしやがれ!」
言葉を荒げた弥吉が男の頭巾を取り払った。徳利ごとそれをたたき付け、衿元を掴んで怒鳴り付けた。
「知らねえものは知らねえんだ、何度も言わせるんじゃねえ!」
ふと弥吉は妙な感覚を覚えた。付き合わせた顔に、どうも見覚えがある。
「よお店主」
男が言った。いや、確かに今まで聞いていた男の声だが、目の前の男は口を動かしていない。
「俺を殺したのが誰か、知らねえかい」
男の手がそう言った。
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