閑話4 巣立つ少年と冒険者
思いのほか時間が掛かった。
依頼を片付け、深緑の森へと引き返そうとしたが、急な討伐依頼を回されてしまった。
他に出来そうな奴が居れば、そいつに任せるのだが、生憎と腕の立つ者は出払っていた。
しかた無く依頼を引き受け、臨時PTを引き連れて討伐に出たものの…。
依頼はゴブリン退治。
それだけ聞けば、実に簡単な依頼だと思うだろう。
しかし、その実体は違う。
余りに増えすぎたコブリンが、辺境の山岳を越えて進行して来たのだ。
依頼の内容は、辺境警備隊と合同でゴブリンの間引き、可能ならば追い返す事だった。
無理そうならコブリンを引き付け時間を稼ぐ、そして騎士団の到着を待つ事。
さすがに新米連中には任せられず、そこそこ腕の立つものがいる。
結果、いいところに戻ってきた俺に白羽の矢が立った。
結論からいえば、コブリンの群れは討伐された。
えらく時間はかかったが…。
俺たちが辺境警備隊と合流した時には、ゴブリンの群れは山岳を越え、平原いっぱいに広がっていた。
これは不味いと感じた俺たちは、すぐさま騎士団に応援要請を送る。
ゴブリン一匹一匹は大した事のない相手だが、これほど多いと厄介だ。
警備隊の魔道師達が、妨害の魔法で進路を塞ぎ、遠距離から数を減らす事に努めた。
そうして時間を稼ぎ、騎士団が合流後一気に攻勢に出た。
怒涛の勢いで蹂躙し、根絶やしにする。
でなければ、ゴブリンという魔物はどんどん増えるのだ。
あらかた片付いたのを確認し、その後の残党討伐に入る。
徹底的に片付けて、依頼達成だ。
多少の討ち漏らしもあるだろうが、さすがに完全な根絶やしには出来ないだろう。
これでしばらくゴブリンの大群を見ることはあるまい。
そうしている内に、一月近い時間が過ぎていた。
フリアスに戻った俺は、ギルドで報酬を受け取り、その後遠出するむねを伝え準備に入る。
今回は、帰りの事を踏まえて二人分の食料を持つ。
時間が掛かる可能性も考慮して、食料や燃料などは多めに持った。
その他にも、外套や、寝具も二人分。
いつも使う商店の店員には、怪訝そうな顔をされたが気にはならなかった。
準備が整うと、俺はようやく深緑の森を目指して出立する事が出来た。
森へと向かう二日の行程は、これまでのどんな時よりも苦にならなかった。
うきうきと心が弾む、こんな気分は何時以来だろうか?
まるで、少年時代に戻ったように足取り軽く歩いた。
深緑の森に近づくと、一月前のように騎士に呼び止められた。
「あ、貴方は」
以前出会った若い騎士だった。
「また依頼ですか?」
以前の様に、刺々しい空気は感じなかった。
馬から下りると、にこやかに身分証の提示を求められる。
「いや、今回は個人的な用事だ」
懐から、ギルドカードと飾り紐を取り出しながら答える。
「個人的な用事ですか?」
カードと飾り紐を確認した騎士は、怪訝そうに言う。
「ああ、ちと聖獣さまに聞きたい事があってな」
そう言うと、騎士は驚いたように目を丸めた。
「はぁ、流石に信を得るほどの方だと、聖獣さまも会って下さるのですね」
人前に出る事を嫌う深狼は、騎士の前に姿を見せるのは稀だ。
だからこそ、信を得たい騎士にとって、俺のような存在が羨ましいのだろう。
羨ましそうに言う騎士から、カードと飾り紐を受け取り別れを告げる。
こんな所で、ぐずぐすしている暇などないのだから。
騎士に見送られ森に入る。
目指すべきは、聖獣の住処だ。
以前来てからさほど時を置いていないから、今度は迷う事無く住処を目指す。
住処の入り口に辿り着いた俺は、いつものように跪こうとした。
しかし、その前に聖獣深狼が姿を現したのだ。
『待っていた、カリュートよ』
深狼は、底冷えのする様な冷たい目で俺を見る。
俺は、なにか気に障るような事をしただろうか?
背に流れる冷たい汗を感じた。
「は、不肖カリュート、聖獣さまの気分を損ねる様な事を致しましたでしょうか?」
すぐさま跪き、頭を下げる。
今、下手に刺激すれば命はない、そう思わずにはいられぬ空気を聖獣は発していた。
『いや、すまぬ、そうではないのじゃ』
聖獣は今自身が発していた空気に気付いたのか、身を押し潰す重圧のような空気が薄れる。
ほっと小さく息を付き、頭を上げて聖獣を見上げる。
『カリュートよ、お前を見込んで頼みがある』
聖獣は真っ直ぐに俺を見据える。
ここで否とは言えまい。
「は、このカリュートに出来ますことなら」
『うむ、その、な。子供を1人、預かって欲しい』
「?、子供で、ございますか?」
『うむ、我が子だ』
「はぁ、聖獣さまの御子を、ですか?」
ここで頼みを聞けば、俺の望みも聞いて貰い易くなるだろう、
そんな打算もあって了承する。
「わかりました、このカリュートめが責任を持ってお預かりしましょう」
そんな俺の打算など見抜いていようが、聖獣はそれを気にする事無く頷いた。
『うむ、今呼んでこよう』
そう言って聖獣は、森へと入って行った。
待つこと数分。
聖獣は、その少年を連れて現れた。
『黒、こやつが以前話した人間だ』
子供に話しかけ、俺の事を説明する聖獣。
聖獣を見上げて頷いている少年を見て、俺の目は見開かれていた。
あの時の少年だ!
やはり、アレは夢ではなかった。
まだ少年と言っていい年齢だろうに、
長身で無駄の無い筋肉、そして引き締まった体をしていた。
手はむき出しで、足は裸足だった。
ぼさぼさの髪は長く、以前見たとおり、黒い獅子の鬣のようだった。
体のあちこちに走る獣爪、それに顔に走る爪痕がえも言わぬ威圧感を発していた。
その表情は硬く、俺を見据える目は冷たい。
信用されてないのか、警戒されているのか。
顔に笑みが浮かぶのを、我慢する事が出来なかった。
この少年を育て上げる。
その権利を、俺は聖獣に託されたのだ。
俺を冷たく睨む少年に近づき、出来るだけにこやかに話しかけた。
「俺はカリュートだ、よろしくな坊主」
できるだけ気さくに、相手の警戒心を解す様に。
その後俺は、少年に言葉は解るかと問いかけた。
こくりと頷く所を見ると、言葉は伝わっているらしい。
聖獣に育てられたとはいえ、人の言葉は解るようだと、胸を撫で下ろした。
流石の俺も、獣のような野生児を育てるのは苦労するだろうからな。
続いて読み書きは可能かと問えば、ゆっくり横に首を振った。
どうやら読み書きは出来ぬらしい。
まあ、それはおいおい教えればいい。
とりあえず、読み書きは出来ずとも生きていける。
必要なら代筆屋もあるしな。
「静かな子だ」
それは、偽り無き俺の彼に対する印象だ。
彼は必要な事しか喋らなかった。
ほとんど、声を発しなかったと言ってもいい。
聖獣とも、思念で会話している節がある。
一通り必要な事を聞いたあと、俺は少年から離れ聖獣の下に行く。
「教育方針ですが、それは此方の好きにしてもよろしいですか?」
『任せよう、あれには外の世界を見ろと言ってある、
お前の言うぼうけんしゃ、とやらになるのが一番よかろう』
聖獣の許可は出た。
彼を一流の冒険者にする。
俺は、その為の教育を施す。
わくわくが止まらなかった。
こんな気分は久しぶりだ。
まるで初めて冒険に出た、少年の頃の様だと思った。
振り返り少年を見る。
すると彼は、聖獣とよく似た獣と戯れていた。
あれらは聖獣の子供だろうか?
「良い子ですね」
獣たち相手に、屈託無く笑う彼を見てそう思った。
『うむ、我の自慢の子だ』
聖獣も答え、優しく笑う。
こんな顔もするのかと、聖獣を見る俺も、不思議と笑っていた。
『よろしく頼む』
そう言って聖獣が頭を下げた。
驚いて聖獣を見たが、俺も直ぐに向き直り同じように頭を下げた。
「責任を持って、お預かりします」
深々と頭を下げた後、俺は少年に近づいた。
彼の方も別れが済んだようで、静かな瞳で見つめてきた。
「じゃ、いくか」
俺の言葉に少年が頷くのを確認し、先導するように歩み出す。
森の出口まで、互いに言葉を発しなかった。
森の出口が近づくと、少年が振り返る気配がする。
釣られるように振り返り、その光景に驚愕した。
少年の後ろに、5匹の聖獣。
一番大きな中央が、俺の良く知る聖獣だろう。
ほかの4匹は、かの聖獣の子供だろうか?
だが俺が驚いたのは、それだけではなかった。
草木に隠れるように、森中の動物が集まっているようだ。
目に見える位置にも、かなりの数がいる。
まるで少年を見送るように。
いや、まるでではないだろう。
彼らは、少年を見送りに出てきているのだ。
それ以外に説明の仕様が無い。
いかに、この少年が森に愛されているのかが解る。
さしずめ、深緑の森の王、か…。
そんな事を思った。
森から一歩踏み出し、足が止まってしまった少年に先を促す。
「行くぞ、坊主」
俺の顔を見て、少し顔を顰める少年。
嫌がるなよ、親愛を込めて呼んでんだから。
少年が歩き出したのを認め、俺も歩き出す。
『待て』
そうして、歩き出した俺達に聖獣から静止の声が掛かる。
何事かと振り返れば、聖獣が少年の前に歩みだす所だった。
『我とした事が、肝心のものを忘れていた』
俺も、一歩引いて少年の隣に並ぶ。
そうしなきゃいけない気がした。
『外界では名が必要となろう』
まあ、当然だな。
名は個人を表すものだ。
黒などと言う、曖昧な呼称でいいはずがない。
いずれ俺が付け様と考えていたが、聖獣自ら与えられるなら文句もなかろう。
『愛し子よ、なれに我が一族の名を与える』
厳かに告げる聖獣。
これは既に名づけの儀だ。
息を潜める。
聖獣の名づけは、神聖な意味を持つ。
告げられた名は、魂に刻まれて偽る事が出来ない。
同時に、コレを騙る事も出来ない。
この世で唯一無二の、自身を証明する証を手にするのだ。
『汝の名はロム・ルフ、我ら深狼に連なりし黒の王』
ロム・ルフ、深緑の森の黒き王。
なんとも大層な名だ。
その名に恥じぬ者に育て上げねば。
やる気がむくむく湧いてくる。
『行け、我が子よ、息災であれ』
聖獣との別れが済んだのか、少年が振り返り俺を見る。
俺も足早に歩き出す。
少年が駆け足で隣に並び、同じ歩調で歩き出した。
その時、
ウゥゥゥゥオォォォォォォォォォンという鳴き声が聞こえた。
狼の遠吠えだ。
他にも、様々な動物の声が混じって聞こえる。
これは旅立ちを告げる、別れの歌だ。
旅立つ者に対する、門出の歌だ。
良いものだ。
そう思って、隣で必死に涙を堪える少年の肩を叩いた。
そう、これがお前の門出だ、坊主。
そうして2人、肩を並べて歩きだした。
森の動物たちの遠吠えは、長く長く木霊していた。