嫉妬より先に見積書を
慈恵修道院の再建案をまとめるため、私は隣国との共同街道視察に同行することになった。
相手は北境ハルヴェン伯爵家の当主、ベアトリス・ハルヴェン伯爵夫人。三十歳。黒髪をきっちりまとめた、いかにも切れ者の女だった。
「噂の公爵夫人ね。会えて光栄だわ」
彼女はそう言って私ではなく、なぜかルシアンを先に一瞥した。
「グレイフォード公爵、前よりだいぶ顔色がいいじゃない」
「妻のおかげだ」
さらりと返すな。こちらの心が追いつかない。
私は笑顔のまま見積書を差し出した。
「では本題へ参りましょう。青銀街道の共同修繕費案です」
ベアトリスは紙へ目を落とし、すぐに口角を上げる。
「あなた、嫉妬している場合ではないと思っている顔ね」
読まれている。
「経理担当は感情より先に数字を見る性分です」
「いいわ。そういう女は好きよ」
彼女は見積書の三行目を叩いた。
「ただしここ、石橋補強費が甘い。春先の増水を舐めている」
私は即座に修正し、流木対策費を加算した。隣国側の荷駄回数も増えるため、関税配分を少し変える。
ベアトリスは満足そうにうなずいた。
「なるほど。噂通り、甘いのは旦那様への視線だけかしら」
横からルシアンが低く咳払いした。
「からかうな」
「本当のことでは?」
私は見積書へ視線を固定した。夫婦になっても、こういう話題への耐性だけはつかないらしい。
だが、ベアトリスは味方として非常に頼もしかった。彼女は川港の関税記録と自国側の到着記録をその場で突き合わせ、“消えている荷の流れ”を三本に絞ってみせたのだ。
「一つは港礼拝堂。もう一つは旧税倉。最後が――」
彼女は地図の一点を指す。
「青銀街道沿いの廃修道院跡地よ」
慈恵修道院とは別の、古い修道院。
私はルシアンと顔を見合わせた。
どうやら相手は、一つの修道院だけで済む気がないらしい。




