われらの肉声をもって闇を呼び覚ます夜に
師走の終わりも終わり、街路樹がその枯れ枝を夜気のなかへ骨格標本さながらに突きだしている郊外の住宅地の一角に、かれの属するそれとも属さないとも判断しかねる共同体の、すでに廃業した鍼灸院の二階に、段ボール箱と旧式のブラウン管テレビと、もはや再生することもないビデオテープの山とが、まるで誰かの内臓を模造したかのごとく雑然と積み上げられた六畳の部屋があり、かれはそこで、自分でも説明のつかない理由から、三日前に書き始めた原稿用紙を、今しがた、四百字のますめを前にして、ちょうど四百字の地点で止まったまま、動かせずにいた。
窓の外では、犬がいちど吠え、それからまた沈黙した。
かれが書こうとしているのは、亡き父の話でも、失われた故郷の話でもなく、もっと根源的な、というよりはより下等な、しかしだからこそ逃れがたく粘着的な、ある記憶のことであった。それはかれが二十三歳の秋、まだ大学院の籍を持ちながら実質的には除籍も同然の宙吊り状態にあったころ、国道沿いのガソリンスタンドでアルバイトをしながら、壊れた機械の歯車さながらに、噛み合うべきものと噛み合うことなく空転しつづけていた、あの奇妙な期間のことであって、かれはそこで、自分がはたして人間の範疇に収まりうる存在であるのかどうか、とおなじ問いを、排気ガスの匂いのするユニフォームを脱ぐたびに、脱ぐことなく眠るたびに、つまりはほとんど絶え間なく、自分の内側へ向けてくり返し投げつけていたのだった。
鏡の中の自分、とかれは当時のことを思いながら書こうとする。しかし鏡の中の自分という比喩はもはや手垢にまみれており、かれはそのことを知っているがゆえに、書けない。書けないという事実が、まさにかれが書こうとしていることの核心であるかのように、原稿用紙の白い空白は光っていた。四百字を超えたところで立ち往生しているということは、かれにとって、もはや文学的な挫折などというなまやさしいものではなく、生きた足の上に乗って街へ出てゆく存在としての自分の、根拠そのものが問われているということに、じわじわと、描写が先んじるかたちで、気づきはじめていた。
そのとき、階下でなにかが倒れる音がした。
鍼灸院の廃業したあと、この建物の一階部分を管理しているのは、かれとはほとんど没交渉の家主の息子で、その息子はまた別の病気を、外部からは見えない種類の病気を抱えていると、近隣ではひそかに噂されており、かれ自身もその噂をたしかめるともなくたしかめていたのだが、いずれにしても、この真夜中の倒れる音は、説明を要求するようなものではなかった、とかれは判断しようとした。しかし判断しようとすることと判断することとのあいだには、さながら大陸棚の縁と深海底との落差と、それとも二枚の硝子板のあいだにはさまれた薄い空気層との差異と、どちらが正確な比喩であるかをかれは確定できないまま、ともかく、判断しようとすることと判断することとのあいだには、埋めがたい距離があり、かれはその距離の内側に、長年住み慣れていた。
原稿用紙の四百字の地点で、かれの書いた文章はこうなっていた。「あの秋、おれは自分がおれであることを証明する術を、ひとつも持っていなかった。ガソリンスタンドの制服はおれをガソリンスタンドの従業員にしたが、おれをおれにはしなかった。おれは毎朝、鏡を見るたびに、そこに映っているものが人間であることは認識できたが、それがおれであることは、もはや確信できなかった。」
もはや、とかれは書いていた。もはや確信できなかった、と。
しかしいまここで、この廃鍼灸院の二階で、師走の真夜中に、かれが原稿用紙を前にして感じていることは、あの二十三歳の秋の記憶にたいする郷愁でも、再解釈でも、清算でもなく、もっと直截な、内臓を握りしめられるような感触をともなった怒りであった。怒り、とかれは書こうとする。しかし怒りという語もまた手垢にまみれており、かれはその手垢を一枚一枚剥がすことなしに、この語を使うことができない、という事実が、かれをさらに怒らせた。異形の存在、とかれは心のなかで呟く。おれは異形の存在さながらに、まともな怒りさえ手垢なしには表現できない種族に属しているのか、と。怒りが追いついてきたのはそのときであり、描写がずっと先を歩いていたのに、感情が追いついてきたのはそのときであって、かれは原稿用紙の余白に、文章ではなく、文章にもなれない黒い線をいっぽん、それからもういっぽん、引きはじめた。
階下ではもう音がしなかった。犬も吠えなかった。
かれがいま書こうとしている、あるいはもはや書こうとすることをやめて、ただ黒い線をいっぽんずつ引きつづけている、この原稿用紙のまえで、作家という職業が、外部から与えられた枠組みの庇護なしに、いかにして自立しうるか、というよりは、そもそも人間という職業が、与えられた輪郭の庇護なしに、いかにして自分の怒りを怒りとして怒りのまま言語化しうるか、という問いは、かれの内部でゆっくりと、しかし確実に、臨界点へ向かっていた。鏡の中の自分はもはや鏡の比喩を必要としない段階へ、壊れた機械はもはや修理の可能性を問われる段階を超えて、ただそこにある、壊れたまま存在するということの暴力性のなかへ、かれの怒りは降りていき、降りていった先でかれは、原稿用紙を丸めることも、破ることも、窓から投げることもせず、ただ、もういちど、ペン先を白い紙に当てた。
街路樹の枯れ枝が、夜気の向こうで、揺れているのかいないのか、かれには判断できなかった。




