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くも膜下出血で倒れた理容師が、復帰して小説を書き始めた話  作者: antomopapa


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第6話



……このあとに起きていたことを、僕は後から妻に聞いた。

手術のあと、病状説明のために妻と娘が病院へ行った時のこと。

娘が泣き叫んだらしい。

「お父さんを元に戻して」

その言葉は、子どもが言える言葉の中で、いちばんまっすぐで、いちばん残酷だと思う。

戻して、と言われても、戻る方法なんて誰にも分からない。だけど娘は、戻ってほしい。それだけだった。

先生は、娘を不憫に思ったのかもしれない。

面会はできない。コロナ禍で、それはどうにもならない。

その代わりに先生は、一般病棟に移る時のエレベーターを教えてくれた。

「一般病棟に移る時は、あそこのエレベーターを使うよ。

たまたま人がいても止められないよ」

——止められない。

言い方は淡々としているのに、そこには優しさが隠れていた。

“偶然なら仕方ない”という形にして、家族にほんの少しだけ、希望の隙間を渡してくれたんだと思う。

そして実際、ICUを出る日が来た。

天井しか見られない僕が、ストレッチャーの上で運ばれていく。

廊下の灯りが流れて、エレベーターの箱に吸い込まれて、また開く。

僕がエレベーターを出た。

そこに家族がいた。

面会、だったと思う。

正式な面会じゃない。だけど、僕にとっては面会だった。

娘をベッドの横に座らせて、ちょっとだけ喋れた。

ほんの少しの時間。ほんの少しの会話。

でも、その瞬間、僕は思った。

——生きて戻ってきた。

それだけで、胸の奥にあった何かがほどけた。

痛みも、怖さも、全部が消えるわけじゃない。けれど「戻る場所がある」という事実が、体の芯に入ってきた。

先生はあとで看護師長にかなり怒られたらしい。

それでも先生は笑ってくれたという。

「娘さん、会えてよかったですね」

僕は先生に感謝している。

あの“偶然”がなかったら、家族はもっと苦しかったと思う。僕だって、もっと孤独だったと思う。

一般病棟に移った。

でも、そこで終わりじゃなかった。

立っては駄目だった。

ICUを出たら終わり、じゃない。

そこからがリハビリの日々だった。

体が言うことをきかない。

動かない。歩けない。

ベッドの上で、できないことが増えていく感じがした。

できないことが増えるって、体が弱ることだけじゃない。心が削れていく感覚も、確かにあった。

左半身の麻痺は、今も残ってる。

当時はもっとひどかった。

左手の握力が十キロしかなかった。

十キロって、数字だけ見るとピンとこない。

でも実際は、持てない。掴めない。落ちる。

自分の手なのに、他人の手みたいだった。

「ここにあるのに、思った通りに使えない」って、こんなに怖いんだと初めて知った。

家に電話しても、うまく喋れなかった。

言葉が出てこない。口は動いているのに、届かない。

伝えたいことがあるほど、言葉は出てこなくなる。

そのせいで、娘に泣かれたこともある。

小学校五年生。いつも笑っている娘。

その娘が泣く。

「お父さんじゃない」

その瞬間、胸の奥が痛くなる。

頭痛より、そっちのほうが効いた。



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