第17話
死にかけたから。
やらないで終わりたくない。
それが一番大きい。
「なろう」を読んで、頑張って、ダウンして。
それを繰り返しているうちに、変な癖がついた。
ダウンしている時に、考えてしまう。
「自分なら、物語をこういう感じで進めたい」
「こういう展開の話、ないかな」
「ここはこうしたほうが好きだな」
読んでいるのに、頭の中で勝手に続きを作っている。
探しているのに、探すだけじゃ足りなくなる。
物語を受け取る側だったはずの自分が、いつの間にか“作る側”の目線で読んでいる。
そのうち、思った。
……これ、もう書いたほうが早いんじゃないか。
読むのも楽しい。
でも、書くのも楽しいかもしれない。
もちろん、すぐに自信なんて出ない。
四十八歳だし、理容師だし、脳の手術もしてるし、左半身も思うように動かない。
「今さら何を」って自分で思う理由なら、いくらでも並べられる。
でも、だからこそ思う。
明日が当たり前じゃないって知っているのに、
「いつかやる」で終わるのは変だ。
やらないで終わりたくない。
たぶん、その時点で僕はもう、書き始めていた。
紙の上じゃなくて、頭の中で。
一番初めに書くなら、と決めていた題材がある。
救急車に乗った時の、救急隊の人。
あの夜、僕を運んでくれた人。
あの現実の中で、僕にとって“物語の入口”みたいな存在だった。
僕が見ていたアニメには、悪い神様も、いい神様もいた。
「神様なのに?」と思った。
じゃあ異世界で神様になろう——そんなふうに、単純に考えた。
設定はどんどん出てきた。
神様一人じゃ星が機能しない。
だから神様を増やそう。
神様に任命する上司の神様を作ろう。
こういう種族の住む星にしよう。
ああいう展開にしていこう。
考えはいっぱい浮かぶ。
浮かぶだけなら、止まらない。
頭の中で世界が勝手に広がっていく。
思い返せば、僕は昔から“考える”こと自体は嫌いじゃなかったのかもしれない。
娘が小さい頃、寝かしつけの読み聞かせで、桃太郎みたいな昔話をよくアレンジして話していた。
「じゃあ次はこうなるよ」って、勝手に足して、勝手に変えて、娘が笑ったら続ける。
考えるのは楽しかった。
でも——国語が嫌いで、今まで小説を読んでこなかった僕は、アイデアを文章にできなかった。
頭の中には景色がある。
会話もある。展開もある。
それなのに、文字にしようとすると止まる。
出口が見つからない。
“考える”のと、“書ける”のは別の力なんだと、その時初めて知った。




