第11話
初めてお客さんの髪を切ったとき、
それは仕事というより、頭痛との戦いみたいな感じだった。
髪を切るとき、僕の頭の中には展開図が出る。
仕上がりの形を先に思い浮かべて、そこから逆算して手を動かす。
理容師として当たり前にやってきたことだ。
いつもなら、呼吸と同じくらい自然に出てくる。
でも、その展開図が——出した瞬間に頭痛になる。
切り始めても終わらない。
むしろ、ずっと頭の中で思い描き続けるから、頭痛がどんどん強くなる。
「この角度」
「この長さ」
「ここをつなげる」
頭の中でやっている作業が、全部痛みに変わっていく。
考えるほど痛い。集中するほど痛い。
なのに、考えないわけにもいかない。
髪は勝手に整わないからだ。
それでも手は動く。
体は覚えている。
櫛の角度も、ハサミの入れ方も、指の力も、勝手に動いてくれる。
でも頭がついてこない。
一人終わると、足が棒みたいになる。
立ってるだけなのに、急に重さが来る。
足が疲れる、というより、体が内側から「もうやめろ」と言ってくる感じだった。
そのあと、一時間休憩しないと収まらない。
頭も、体も。
それを繰り返した。
昔の自分なら、何人でも続けて切れた。
普通にやっていた。
予約が詰まっていても、手も頭も回っていた。
でも今は、「一人」が勝負になる。
情けない、って思う日もあった。
お客さんに見せないように笑って、帰ってから落ち込む日もあった。
「戻りたい」と思っていた“あの頃の自分”に、まだ追いつけない。
それでも、切り終えたあとに思う。
今日もできた。
今日も戻ってきた。
その小さな確認を励みにして、僕は毎日を続けた。
通院するようになって、もう一つ“現実”を知った。
僕は車を運転してはいけない、ということだった。
医師から、くも膜下出血は道路交通法上の「一定の病気」に該当し、運転免許が停止になることがある、と説明された。
診断書や、教習所でのテストなどをクリアしないと運転できない、とも。
しかも僕には視野の欠損もある。
通院先の先生に「どれくらいかかりますか」と聞くと、半年以上かかると言われた。
……たぶん、運転免許をクリアできることが、本当の意味での“退院の目安”だったんだろう。
体が動くようになっても、生活が回らなければ、戻ったことにならない。
だから半年以上運転できない僕の代わりに、妻が運転してくれた。
僕の通院。
娘の習い事。
家の買い物。
全部、妻が運転してくれた。
当たり前みたいに言ってしまいそうになるけど、当たり前じゃない。
僕ができないことが増えたぶん、妻のやることは増えている。
その重さを、僕は後から、じわじわと理解した。
妻には、本当に感謝しかない。
いつも支えてくれて、ありがとう。




