プロローグ
どうも柊叶です。今作は3年前、近所に越してきたミステリアスな『あの人』に堕ちた?少年が、高校生になってもなお挑む再戦の物語です。
なぜか徹底して性別を隠す怜と、必死に男を見せようとする一颯。二人の少し歪で熱い距離感を、どうぞ最後まで見守ってください。
3年前、あの人がこの街に越してこなければ、俺の人生はもっと平穏だったはずなんだ。少なくとも、こんなに自分の幼さに腹を立てたり、誰かの声一つに心臓をかき乱されたりすることはなかった。
始まりは、中学2年生の、なんてことのない春の日だった。
「……っ、重……」
指に食い込むビニール袋の重みに、俺は人知れず毒づいた。3軒隣のスーパーからの帰り道。両手にはパンパンに詰まった食材の袋。隣を歩く母の夏美は、財布をバッグにしまいながら「一颯、助かるわぁ」なんて呑気な声を上げている。
反抗期と呼ぶにはまだ幼く、母の手伝いを断るほど擦れてもいない。そんな、どこにでもいる「良い子」だった俺の日常が、その角を曲がった瞬間に一変した。
数軒先、普段は空き家だったはずの家の前に、大きな引越しトラックが停まっている。
「あら? あそこ、やっと人が入るのね」
母の言葉に視線を向ける。
作業員が忙しなく出入りする中、その家の玄関先に、一人の人物が立っていた。
春先だというのに、首元を完全に隠す黒いタートルネック。眩しいのか帽子を被っており、その下から、わずかに覗く肌は驚くほど白い。
作業員に指示を出しているその人の横には、落ち着いた雰囲気の男女が立っていた。
「お引越しされたのなら、ご挨拶しなきゃね。ほら、一颯、行くわよ」
母が歩みを早める。俺は重い袋を抱えたまま、半ば引きずられるようにしてその家の前までやってきた。
「こんにちは。すぐそこの角を曲がったところに住んでいる日向です。今日からお引越しですか?」
母の社交的な声に、そな家の両親が丁寧に頭を下げる。
「あ、どうも。急な転勤でこちらにお世話になることになった雪城です。……ほら、怜。お前もこっちに来て、ちゃんと挨拶しなさい」
父親に促されたその人が、ゆっくりとこちらを振り向いた。
帽子を少し持ち上げ、俺たちを見つめる。
その切れ長の瞳と視線がぶつかった瞬間、俺の心臓が、自分でも驚くほど大きく跳ねた。
「……初めまして。雪城怜です。自分、春から高校2年生になります。よろしゅうお願いします」
耳に飛び込んできたのは、ご両親の標準語とは違う、独特のリズムを持った関西弁だった。
驚いた母が「あら、関西の方なの?」と尋ねると、隣にいた雪城さんのお母さんの方が苦笑しながら言葉を添えた。
「すみません、この子だけ長く大阪の祖父母の家に預けていたもので……。言葉がすっかり関西の方なんです」
怜さんのご両親は冬真さん、氷華さんと言うようだ。
「あら、そうなのね。私は日向夏美です。こっちは息子の一颯。……ほら一颯、あんたも挨拶しなさい」
母さんに背中を小突かれ、俺は慌てて視線を泳がせた。
「あ、えっと……日向、一颯です。中2になります。……よろしくお願いします」
絞り出した声が、自分でも驚くほど上擦る。
すると、怜さんは俺の持つ重そうな袋に目を留め、ふっと唇の端を上げた。
「……ふふ。一颯くん、言うん?そんなにパンパンの袋抱えて、お母さんのお手伝い?偉いなぁ。一颯くん、ほんまに『ええ子』やねんな」
一歩、怜さんが近づいてくる。ふわ、と知らない香水の匂いが鼻を掠めた。「ええ子」という言葉が、まるで幼い子供をあやすような響きを持って俺の耳を打つ。
「一颯くん、顔真っ赤やで?そんなに重いん?手、貸してあげよか?」
「……っ!だ、大丈夫です!これくらい、全然!」
必死に声を張り上げた俺を見て、怜さんは「あはは、元気やなぁ」と楽しそうに笑った。その余裕たっぷりの笑顔に、俺は自分がひどく無力な子供に思えて、逃げ出したくなるような屈辱と、正体不明の動悸を同時に味わっていたんだ。
――これが、俺の敗北の記録。
翻弄わされ、あわあわと動揺するだけの子供として、俺はあの人の前に現れてしまった。
3年前のあの日。
俺が、あの人の「お気に入り」になった瞬間だった。
☆ ☆ ☆
それから今日まで、俺は何度あの日をやり直したいと願っただろう。
背が伸び、声が変わり、どれだけ「男」としてあの人の前に立とうとしても、あの人はいつも余裕の笑みを浮かべて、俺のすべてを無効化してしまうんだ。
昨日だって、そうだ。
あんなに近くで、あんなに必死に問い詰めた俺に、あの人は耳元でこう言った。
『答えを教えるんは、一颯くんがもっと大人になってからやで』
その言葉こそが、俺を繋ぎ止める鎖。
逃げることも、暴くことも許されない。
俺は今日も、あの人の手のひらの上で、飼い殺されている。
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日向 一颯(16歳/高校2年生)
誕生日: 11月1日(蠍座)
3年前、隣に越してきた怜に子供扱いされたことに悔しさを覚える。現在は背も伸び、低音ボイスのイケメンに成長したが、怜の前では「一颯くん」と呼ばれ、手のひらで転がされる「ええ子」に戻ってしまう。
雪城 怜(19歳/大学2年生)
誕生日: 6月6日(双子座)
常に肌を隠す完全遮光スタイルの美形。大阪育ちの関西弁と、双子座らしい多面的な性格で一颯を翻弄わす。性別は一楓には隠しており、存在そのものがミステリアス。
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日向 光輝と日向 夏美:一颯の父と母
雪城 冬真と雪城 氷華:怜の父と母
まずはプロローグ、物語の始まりのきっかけとなる3年前の、二人の出逢いを読んで頂きありがとうございます。
一途に「あの日」を抱え続ける一颯と、涼しい顔で彼を翻弄する怜。高校生と大学生になった彼らが再会し、どのような火花を散らすのか、ここからじっくり書いていければと思います。
柊叶




