No.1 鎖は奴隷を、十字架を繋ぐ。
第一章 戦士の決意 終幕後〜
神はいる、救いの手は差し伸べられるのだと。此処でも、同じことが言えるだろうか。
奴が、
女の子を追いかける未開の扉を開く夢を見始めた今、夜泣きを終えた頃からの間柄は、四肢に繋がれた鎖と枷だけで、他にいない。
奴の、
最早、親同然の両者も歳なのに、全身全霊の反抗期は稚児の癇癪かとあしらわれ、開き直った歪な愛の嘆きが骨の髄まで響き渡る。
奴っだけは、
正に悪魔の所業だ。
必ずッ殺す。
それまでは、この死にたくなる痛みも、地獄の苦しみも、魂にでもしまっておこうか。
「!」
ん?
天から親不孝者のお迎えか。ずっと昔に誰かが聞かせてくれた子守唄とは対極に在る、殺伐とした気が雑音ばかりの間にまで谺した。
「ギギッ」
他人様の淀んだ血反吐を何方が啜るかで醜く争う、溝鼠と烏合の衆なる糞虫の最低最悪な日常のひと時すらも忘れさせてくれる程に。
終わった、もう。
そして、この身に背負う十字架の柱の替え? が、雑に落ちてきた。
遅れて足元を蠢く群衆が我先にと散っていく。どうやら誰か独りが地下へ来るらしい。
異様に無機質、死神の如く存在感で静寂を好み、気付けば実家改め自室の扉を開けた。
重苦しい沈黙に来訪者の影を夢見る矢先、鎖は繋がれたまま手枷の固定具を外されて、永らくの眠りが故に上から下に、部分的な幽体離脱で自重落下。
まただ、また……。
珍しく息を吹き返した腕に無関心なまま、
いや、これで最後だ。
次の鍵穴に手こずっている。
絶好の機会。
徐に口ん中から馴染む残飯処理の賜物を、骨の刃を握りしめ、先払いの代償を負って。
取り出していると、糸さながらの視界が俺を前にして初めて首を垂れた隙を覗き見る。
ゆっくりゆっくり、限界まで影に忍んで刃先が素肌の産毛に触れんばかりに迫った時、刹那的に常人を超えた速さ――拳を繰り出す。
ッ。
どれだけ待とうと、手応えはこなかった。
仕留め、損なった。
最後の武器を幾ら拳で固めようとも圧倒的な力の差に押し負け、指先から離れていく。
次は無い。
。
誰だ?
床に走る、鋭い音。
「まだ、生きて……いたのか」
奴の客――何も感じられないが、彼には朧げなお日様の光が揺蕩っている絶対に違う。
「待ってろ、今解く」
「」
さっきのせいで一声だって出てこない。
「!」
何かで、鎖も枷も全て断ち切ってくれた。
「後は、好きに生きろ」
その人が遠のいていく。光が、手の届かない場所に行ってしまう。きっともう帰ってこない。
いかないで。
もし明日、この身が朽ち果てようとも「ありがとう」を言いたいんだ。それと心の奥底でうるさい「このままじゃくたばるだけだ」の脅しが後押しして。
!
第一歩を続けて数十回、天高く床を蹴った足で、ずっと先の、向こう側に飛び越えた。
後の後、思うように体は動かず、外までの蟻の進行並みの道半ばに、ばったりひっくり返った二匹目のくたばり損ないにぶつかった。
妙に生温かな液体に爪先が触れ、思わず見開きゃ辺り一面に血溜まりが広がりつつある。
見上げ、
「ぁっ、あ」
見下ろす。
辛うじて、互いが互いの眼球を通じて。
虚飾に満ちた聖職者気取りの丸々肥えた家畜擬きは、ボロ切れ骸骨の今の目路でも収まりきらねぇ。
――?
生まれて初めて、体中刻まれた古き十字架模様の縫い目に並ぶ、傷痕を目の当たりに。
ききたいことは腐るほどあるが、どちらにせよ、口が利けるような状況じゃない。
「たぁっ、すぅけぇ」
剣。
自由の象徴は心臓手前を直立不動で貫き、鍔には奴の神への誓いが手向けられていた。
力を掌に。
肉肉しい鞘から絶えず溢れ出す鮮血を抑えながら、天へと手を伸ばす外道に目も向けず。
正しさを。
……。
いや、
「か、か」
欲する先は、
「み」
俺は、
「ょ」
感情の赴くまま指先に鎖を絡め、放った。
救いとは呼べぬまでも、くだらねぇ命乞いなんざ聞かずに済むように。掴み取らせた。
末、
消え入りそうに囁いたのは、
「神よ、どうか私をお救い下さい」
ぁぁ。
きっと後にも先にも例えに挙げることすらない。この行為を、悪魔退治と称するのは。
ただ剣を鞘から抜き取り、その刃を払う。
「ッァ゙ァ゙ァ゙ァ゙ァ゙ァ゙――ッッ!!」
額に皮膚の一部が血飛沫を乗せて派手に飛び跳ね、雫に撫でられるみたいに頬を伝う。
「ハァァ」
煤汚れた灰色だらけの殺風景な空間は、何処までも真っ赤な彩に染め上がっていった。
そして、
「あ」
剥き出しの瞳は真っ暗闇を見る。
お前の最期の祈りが天に届くことはない。もし、そんなことがあるのなら俺は、神の断末魔をこの鼓膜に響かせなければならない。
ぁぁ、魂までもが救われた気分だそうに違いない。
「ギギッ」
こっちが浸ってんのをお構いなしに連中が舞い戻り、屍を満たさんばかりに貪りやがる。
ッ。
その身に覚えのある有様に気持ちが先走ったとき、揺らいだ視線が懐かしの物を拾う。
同時、記憶の欠片が鮮烈に蘇っていった。
寒空の下に、折り目も栞も落書きだって燻る火種となって凍てつく吹雪が運んでくる。
おれの唯一の思い出を焼き尽くして。
お前は、本当に。
頭上に振り上げていた刃は空を切り――この剣が己が身より遥かに重いのだと知った。
それは、いつからだろうか。
いやもういい。
行こう。
その場を後にして、
ふー。
出口前であろう螺旋階段に差し掛かった。
痛い。
まだ見えなくたって上がっていく、
苦しい。
一段ずつ、よじ登り、
さむい。
あ。
光が、俺の全てを包み込んでくれた。
ただひたすらに、
真っ白な世界を手探りで、前へ。前へ!!




