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今更好きになった? ご愁傷様。

作者: 千秋 颯

 嫁入りした日の晩。

 夫婦の寝室で夫のシャーキーは私、ユリアに背を向けたままこう言った。


「お前と子は作らない」


 初めは耳を疑った。

 大抵の言葉には即座に応じられるが、この時ばかりは流石に返答に悩んだ。


「後継はどうされるおつもりですか」

「他の者と作る」

「はぁ」


 シャーキーとは幼い頃から婚約を交わしていたが、彼の横暴さは今に始まった事ではない。

 そして私が否定や拒絶をすればする程、彼が頑なになっていくのももうわかり切っていた。


「そもそもお前は両家がどうしてもと言うから婚約を続けていたにすぎない。俺はお前なんかと同じ部屋で寝る事すら耐えられないというのに」


 因みに私達の婚約のきっかけは彼が私に一目惚れし、両親に何度も強く頼み込んだからだ。

 そんな彼が私を嫌悪するようになった理由も知っている。

 傲慢な彼はどれだけアプローチや自慢を重ねても一切靡く様子を見せない私に嫌気が差したらしい。

 こちらからしてみれば、下しか見ず満足している者の虚勢を延々と聞かされる訳なので、真顔になるのも許して欲しいものだったのだが。


「では、私との結婚は本来必要ないが、周囲の目を気にして渋々承諾するしかなかったと」

「そうだ」

「わかりました。では――離婚しましょう」

「は? お前、話を聞いていたか」

「婚約を破棄できなかった理由は承知しました。すぐに離婚する事は難しいでしょう。ですから――二年の期間を経てから離婚するのです」


 シャーキーは漸く私を見た。

 そして相も変わらず感情を出さない顔を見て、少なくとも冗談などで言っている訳でない事を悟ったらしい。


「貴族の結婚は勿論、世継ぎを産む事を前提としております。ですから結婚から一年、多く見積もっても二年あれば殆どの家庭が子を持つ。……そんな中、私達が子を持たず、尚且つ双方の同意のもと、夫婦関係を解消したいと言い出せば大抵の者は勝手に察してくれるでしょう」


 多くの推測や噂を呼ぶ事になるだろうが、当事者たちが明言さえしなければそれらはあくまで不確定な要素に留まる。

 そして時が経てばそんな噂も新しい噂に上書きされ、誰も興味を持たなくなるだろう。


「私は結婚の適齢期を逃すことになりますが、別に構いません。私とて貴族の女としての義務くらいは熟したいですし」

「離婚後に新たな相手を探すと? ハッ、お前のような可愛げのない性悪女に相手が見つかるとは思えんがな」

「どうでしょうか。これでも生家は侯爵家ですし、どなたかのお眼鏡には適うかもしれません」

「老いぼれた男爵の家ならば可能性はあるかもな」

「構いませんよ、それでも。一番避けなければならないのは今のような夫婦関係が延々と続く事です」


 生涯、白い結婚のままと言うのは困るという事が言いたかったのだが、シャーキーは自身との婚姻関係への嫌味として捉えたらしい。

 彼は顔を歪め、怒りを滲ませた。


「こちらだって、お前のような奴がパープ侯爵夫人を騙り続けるような光景など見たくはないに決まっている! お前との婚姻関係など願い下げだ!」

「では決まりですね」


 元はと言えばシャーキーが私を拒絶した事から始まったこの話し合いであったが、こういう場で正論を述べるのは火に油。

 私は私の為に最善を尽くした行動を心掛けた。


「今晩の契約がなかった事にならないよう、契約書を作成しましょう」

「契約書……? いいだろう。お前が路頭に迷って泣きついてきても追い払えるようにな」


 それから私達は法に強い使用人を呼び出し、契約書を作成した。

 私達の結婚は二年間という期限付きである事、そしてその夫婦関係も白いものである事。

 また、私は彼が認めた新たな本妻候補を愛人として家へ招き入れる事。それまでの間も愛人との交際を承諾する事。

 署名と同時に双方は以上に同意したものとし、この件に関していかなる場合も撤回を申し出ない事。

 これらを記した二枚の契約書にそれぞれがサインし、無事に契約は締結される。

 契約書をそれぞれ一枚ずつ分け合った後、シャーキーは寝室を出て自室で就寝した。


 図らずとも広々としたベッドを占領できる事になった私は広大過ぎるシーツの海に身を投げて大きく伸びをした。


「漸くね」


 長きに渡る散々な男との付き合い。

 それの終わりが見えてきたことに私は安堵と喜びを覚える。


 お父様やお母様、お兄様はきっと彼の言動に激怒するだろうが、その後はきっと「そんな男とは別れて良い」と言ってくれるはずだ。

 それから、父は生家の――コーレイン侯爵家の家訓とも言える言葉を言うはずだ。


「――『やられたからには、百倍にして返せ』」


 我が父ながら、何とも過激な言葉。

 しかしわかりやすく、また世間体や常識に縛られ過ぎない家柄を表しているようなこの言葉が私は好きだ。


「わかっておりますわ、お父様」


 彼の言動は私を――延いては我がコーレイン侯爵家を下に見、侮辱する行いであった。

 易々と見逃していいものではない。


 くすり、と。

 誰もいない寝室の中で私は静かに微笑んだのだった。




 さて、翌日の事。

 まだ愛人を家へ招き入れていないからか、はたまた家族の前では最低限取り繕うとしているのか。

 彼は朝食の場にやって来た。


「おはようございます、シャーキー」


 私が笑顔で挨拶をすればシャーキーは目を見張った。

 当然だ。彼に笑顔を振りまくような事はこれまでなかったのだから。


「あ、ああ……おはよう」


 動揺しながらも彼は席に着き、私達と侯爵夫婦の四人は食事をとった。

 お義父様、お義母様からは式後の二人きりの時間や初めて迎えた夜の事を聞かれた。シャーキーは言葉を詰まらせ、上手く答えられていなかったので、私が代わりにそれらしい返答をする羽目となった。

 無理に言い訳を考える必要がなくなったシャーキーはちらちらと私を見ていた。


 満面の笑顔を貼り付ける私は視界の端に映るそれに気付いていたが、時折、わざと彼の視線に気付いていなかったかのような反応と共に彼へ笑い掛けてやった。


 動揺を顔に滲ませる彼の様子と言ったら。

 何ともわかりやすく、操りやすい男だと私は思った。




 それからすぐに、シャーキーは夜の外出が増えた。

 両親にバレると面倒な事になるという事はわかっているようで、彼は裏口からこそこそ出入りをしているようだ。

 向かう先は勿論次の妻候補――浮気相手の場所だろう。

 ヤコミナ・ファン・ボーンチェ子爵令嬢。


 愛らしい容姿に全ての才を吸い取られてしまったかのような女性だ。

 貴族としての最低限のマナーすら頭に入っていない彼女はしかし、とても美しい容姿をしている為に身内から甘やかされ、また異性の気を引く事も得意としていた。


 ある日の事。

 夜に目が覚めてしまった私は綺麗な星空を窓越しに見て、ふと外から見上げようと思い至る。

 そして部屋を出て、エントランスまでやって来た時。

 豪奢な玄関扉が控えめに開いて、外からシャーキーが姿を見せる。


「ッ、ユリア……」


 顔を顰めるシャーキー。

 まさか鉢合わせるとは思っていなかった私も少し驚きはしたが、数度瞬きをした後、私は彼へ笑い掛けた。


「おかえりなさい」

「あ、ああ」

「寒かったでしょう」


 冬の夜は随分冷えるというのに、よくもまあ必死に浮気相手の元へ通い詰められるものだ、と思った。

 勿論顔には出さないが。


「何をしているんだ。まさか、俺を待ち構えて――」

「いいえ。ただ、気晴らしに夜空を眺めようと思っただけです。……貴方の邪魔はしない約束ではありませんか」

「……そう、だな」


 あくまで穏やかな口調で答える。

 それから私は彼の首筋に触れた。


「っ、な、何を――」

「ご注意くださいね、シャーキー。私は許しても……ご両親はそうではないのでしょうから」


 そう言いながら私は指先についた紅を見せる。

 ハッとした彼は慌てて、紅がついていた箇所に触れた。

 私はただ困ったように笑ってから言う。


「温かいものでも用意させましょう。お部屋でお体を温めておいてください」

「あ、ああ……」


 何も言わない……どころかあまりに優しい対応にシャーキーはしどろもどろになっていた。




「おはようございます、シャーキー。公務の引継ぎが大変だと伺ったのですが、良ければお手伝いさせていただいても?」



「あら、シャーキー。ご機嫌よう。今ね、丁度庭師から花を分けてもらったんです。貴方に似合う色だから一輪いかが? ……あら、やっぱり素敵だわ」



「誕生日にプレゼントなんて、まるで本当の夫婦のような事をするのですね。ふふ、わかっています、偽装の為でしょう? けれど……うん、素敵だわ。大切にしますね、ありがとうございます」



「一緒にお茶を……? 私でよろしいのですか? いえいえ、勿論ご一緒致しますが……ふふ、あんまりこういったことをして来なかったから、少し照れ臭くなってしまいますね。嬉しいです」




 それから一年の間。私は彼へ笑顔を振りまき、優しく穏やかな淑女として振る舞った。

 夫婦として参加するパーティーでは常に彼の顔を立たせてやる言動を心掛けたし、私は自分の容姿が整っている方であると悟っていたから、それを存分に利用して愛嬌を振りまいた。


 そうしていく内に、シャーキーが私へ冷たく当たる頻度は減り、代わりに罪悪感を滲ませる頻度が増えていった。

 しかし、結婚から一年が経った頃。


「ヤコミナをパープ侯爵家へ?」

「ああ。正式に愛人として招き入れる事になった」


 ヤコミナがパープ侯爵家へやって来ることが決まった。


「何故? ……ああ、申し訳ありません。そういう約束でしたわね」


 シャーキーはあまり多くを語らなかった。きっと申し訳なさを感じ、いたたまれなくなっていたのだろう。

 私は悲しんで見えるように目を伏せて微笑んだ。


 その後、パープ侯爵夫妻は私へ深く謝罪をした。

 何でも、ヤコミナは既に身籠っているのだとか。

 未婚の少女を既婚者が身籠らせたとなればその名声は地に落ちる。

 故に致し方なく、シャーキーの申し入れを承諾したとの事だった。

 とはいえ、息子の我儘を聞き入れてしまうくらいにはこの両親がシャーキーに甘いことを私は知っている。

 でなければ彼はこんな風には育たなかったはずだ。

 私は許すふりをしながら内心で彼らを軽蔑していた。


 彼がヤコミナの元へ通い詰めていた頻度を考えれば遅すぎるくらいだっただろう。

 また、ヤコミナの赤子の存在が分かるまで彼女を家に招かなかったのは……シャーキーに何かしらの心境の変化があったからだと私は踏んでいた。


 全てはいい方向へ進んでいる、と私は密かにほくそ笑むのだった。




 パープ侯爵邸へやって来たヤコミナが出産したのはそれから半年が経った頃だ。

 ヤコミナ、パープ侯爵夫妻、そしてシャーキー。誰もが可愛らしい赤子に夢中になった。


 出産後からヤコミナは横暴な言動が目立つようになり、私を呼びつけては乳母に任せるべきである雑務を押し付けた。

 そして赤子を持たない私への当てつけのように、自分の赤子へ関わらせたのである。


 そして頻繁に言い掛かりをつけてはパープ侯爵夫妻へ言いつけ、パープ侯爵夫妻は私をきつく責め立てた。




 一年と八ヶ月が経った頃。

 私とシャーキーは王宮のパーティーへと参加する。

 その馬車の中でシャーキーは気まずそうに口を開いた。


「ユリア」

「何でしょう」

「その……すまない」

「何がですか?」


 私は知っていた。

 彼の言葉が冷遇された私に対しての謝罪である事を。

 そして、赤子を愛す反面、シャーキーの心は私へと傾きつつあった事を。

 産後からのヤコミナの気性の荒さが目立つようになった。

 元々の性格がそうだったのだろう。

 使用人に強く当たり、継嗣を産んだ立場に胡坐を掻いてわがまま放題。


 初めは下手に出て接していたパープ侯爵夫妻も困り果ててシャーキーを頼り、シャーキーが口を出せば、私との浮気を疑って激昂する始末。

 彼は疲れ果てていたのだ。


 言葉に迷っているシャーキーを見て私は微笑む。


「私は、感謝していますよ」

「は?」

「存外、悪くない生活でしたから」


 怪訝そうな顔をしているシャーキーを真っ直ぐ見ながら続ける。


「貴方と顔を合わせる時を、少し楽しいと思う自分が居ました。ですから、悪くはなかったなと」

「ユリア……」

「……あと三ヶ月、ですね」


 私は名残惜しそうに呟き、俯いた。

 馬車の中は静寂で満たされていた。




 年に一度の国一番のパーティー。

 多くの人と挨拶を交わしていた時、私達の前にお兄様と彼の結婚相手のお義姉様がやって来た。


「よ」

「お兄様」


 軽い挨拶を交わした後、お兄様はシャーキーを冷ややかに見た。


「義弟殿は随分と派手な事をしたものだ。社交界では貴方達が気になるような者も増えていますよ」

「そ、の……」


 子爵家の愛人を家に招き、本妻を差し置いて愛人との子を産んだ。

 その噂はすっかり社交界に広まっていた。

 シャーキーが目を泳がせて口籠ると、お兄様は彼と肩を組む。


「まあまあ、こんな場所で小言を言う事はしませんよ。それより妻を持つ男同士、ちょっと世間話でもしませんか」


 ぐいぐいと半ば強引にシャーキーを連れ出すお兄様。

 助けを求めるようにシャーキーが私を見たが、私はそれを静かに見送った。

 お義姉様も柔く微笑んで会釈をすると二人の後を追って離れていく。


 大勢の人の中でぽつんと一人になった私。

 ふう、と息を吐いて落ち付いたのも束の間。


「ご機嫌よう、ユリア夫人?」


 聞き覚えのある声がした。


「あら」


 傍に立っていたのは黒髪に紫色の瞳を持つ美青年。

 レクス・ヒディンク公爵――お兄様のご学友だ。


「ご機嫌よう、ヒディンク閣下」

「よしてくれ。俺は君を他人とは思っていないよ」

「では、レクス様」


 よく家に遊びに来ていたレクス様とは私も面識があった。

 遊びに来る度、私に勉学を教えてくれたり、学園での話を聞かせてくれたりと、何かと構ってくれた人だ。


「あいつから聞いたよ。災難だったようだね」

「まあ、わかり切っていた事ではあります。残念ながら、結婚までに浮気の確固たる証拠が掴めず、家の体裁的にも長年の婚約を破棄する理由を確立する事は出来ませんでしたが」

「君の前ではヘラヘラとしているけれど、あいつはカンカンだったよ」

「でしょうね。親バカとシスコンで構成されたような家です」

「そう言ってやるな」

「嬉しいしありがたいとは思っていますよ、勿論」


 シャーキーが去って行った後の私は笑顔を消して淡々と話す。

 その様子を見たレクス様がくつくつと笑う。


「さっき遠目で見た時とは大違いだな」

「可愛げがないというお言葉でしたら言われ慣れていますが」

「まさか。君のそれは照れ隠しだ。……顔に出ずとも言動の端々に出るものはわかりやすいからね。存外隠すのが下手だという点や、当人はそれが出来ていると思い込んでいる点はむしろ愛らしいと言えるだろう?」

「……相変わらず、意地の悪い人ですね」

「好ましい相手の色んな様子を見たいと思うのは当然の動機だ。なぁ」


 レクス様は私の手を掬い取ると手の甲――左薬指の付け根を親指で撫でた。


予約(・・)、してもいいかい?」

「これから結婚歴に傷がつく女ですが?」

「勿論、君の計画についてはあいつから聞いたさ。だが……関係ないな。君の聡明さと愉快さ、愛らしさが全て上回る」

「私としては、都合がいいですから。……好きにしてください」


 レクス様から手を離す私。

 彼はその顔を見て更に笑みを咲かせた。


「顔が少し赤くなったな。……ほら、やはり君はわかりやすい」


 レクス様は視界の端、私の元へと戻って来るシャーキーを捉えると私のわきを擦り抜けてその場を離れる。


当日(・・)、迎えに行くよ」


 すれ違いざま、耳元で一言囁いて。


「シャーキー」


 私は笑みを貼り付け直し、何事もなかったかのように振る舞った。

 顔の熱は僅かに残っていた。




 そして三ヶ月が経った。

 この間、シャーキーはヤコミナの部屋よりも私の部屋を訪れる頻度が圧倒的に増えた。

 時折、機嫌の悪いヤコミナの叫び声が屋敷に響き渡っていたが、彼は変わろうとはしなかった。

 結果、シャーキーとヤコミナは大喧嘩をし、二人の仲には修復不可能な程の亀裂が入った。


 そんな中迎えた、『二年後』。

 私は前日までパープ侯爵夫妻にもシャーキーにも何も言わず、いつも通りに振る舞った。

 だからきっと、シャーキーは私が契約の事を忘れているか、気が変わったとでも思っていた事だろう。


 だが勿論、そんな事はない。

 当日の早朝、私は正門の前で何台もの馬車をパープ侯爵邸へ招き入れ、コーレイン侯爵家の使用人らに引っ越し作業をさせた。

 次々と運び出される私物たち。


 忙しなく行き来する人や物。そして響き渡る物音。

 それを聞きつけて真っ先に駆け付けたのはシャーキーだった。


「ッ、ユリア……!」

「あら。おはようございます、シャーキー」


 顔を蒼白とさせるシャーキー。

 私は素知らぬふりでいつも通りに笑いかける。

 残っていた最後の私物を運び出す使用人らがその横をすり抜けていく。

 自室のものは全て使用人が持ち出してくれた為、私自身は手ぶらに近い。唯一の持ち物と言えば一枚の紙だけだ。


「な、何を」

「何、と言われますと……引っ越しですね」


 キョトンとする私。顔を強張らせるシャーキー。


「お約束通り、私は今日でこちらを去ります。これまでお世話になりました」


 深々とお辞儀をする。

 そして私は、唖然とするシャーキーのわきを通り抜け、足早に玄関へと向かった。


「な……っ、ま、待ってくれ、ユリア!」


 制止の声と共に、私を追いかけるシャーキー。

 しかし私は足を止めないので、必然的に彼は私と並んで早足になるしかなかった。


「一旦話をしよう? な?」


 口を閉ざし、さっさと玄関まで辿り着く私。

 すると今度はパープ侯爵夫妻が困惑した様子で立っていた。


「ご機嫌よう、ご夫妻」

「ユリア……これは一体どういう事だ……!?」


 問い詰める彼らへ、私は持っていた書類を見せる。


「私とシャーキーの婚姻は、二年に渡る白い結婚を終えて解消する事になっております。今日がその日です。よって私は本日を以てパープ侯爵邸を去ります。今までお世話になりました」


 早口で淡々と話す私の言葉に夫妻はぽかんと口を開ける。

 そんな二人を置いて私は外へと飛び出した。

 尚、シャーキーは未だに私と並走している。何なんだ。


 ただ……まだ混乱しているのか、力ずくで止めるという発想に至っていないのはむしろありがたかった。

 彼は何とかして止めたいが、その言葉が思いつかないとでも言うように私を呼んではまごついている。


 そうしているうちに、私は正門へ辿り着いた。

 既に引っ越しの為に呼びつけた馬車は全て去った後だ。


 私は開いていた正門を潜る。

 その時だ。


「ッ、ユリア!!」


 私が本気でこの場を去ろうとしている事に危機感を覚えたのだろう。

 彼は漸く私の手を掴んだ。


「シャーキー様?」

「行くな!」

「行くな、と言われましても……」


 私は視線を持っていた契約書へと落とす。

 すると言わんとしている事に気付いたシャーキーが声を張り上げる。


「こんなもの、互いの同意があれば取り消せるし、契約書に従って離婚してもすぐ再婚できる! ……今からだってやり直せるだろう!」


 私は何も言わない。

 彼は必死過ぎて、私の表情に気付いていないようだ。


「俺が間違っていた、すまない。気付いたんだ。真実の愛に……ッ、俺に必要だったのはお前だった! これからは妻として扱うと誓おう! 世継ぎだってお前との子を選ぶ! だから、どうか――」


 その時だった。

 私を掴んでいた腕が何者かによって引き離される。

 そして私は背後に立っていた第三者に引き寄せられた。


「失礼」

「……な」


 私を抱き寄せたのはレクス様だ。

 彼は私を腕の中に収めると勝ち誇った様な笑みを浮かべる。


「ひ、ヒディンク閣下……ッ!?」

「残念ながら、彼女には次の予定(・・・・)がある。お引き取りを」

「よ、予定……? だが、彼女は」

「まだわからないか? 彼女は二年前に絶対にここから逃げ出せる道具として契約書を用意していた。――貴方は最初から見限られていたんだ」


 『予定』何を意味しているのかを理解したシャーキーが反論しようとするも、レクス様はそれを許さない。


「そ、そんな…………いや、仮にそうだとしても! 俺達の二年間は確かに存在した! 彼女が俺に心を開いてくれていた日々は――」

「貴方は自分が彼女にどんな扱いをしたのかを理解していないのか? はぁ、救えないな。……ユリア、教えてあげればいいさ」


 お花畑でも見えそうな、けれど悪寒しか覚えないような言葉を聞きながらわたしはシャーキーを見る。

 彼は情けなく涙と鼻水で顔を濡らしながら縋るような目を私に向けていた。


 私はそれを見て口角を上げる。


「ご愁傷様」


 正解は明言しない。

 けれど私の真意は明白な返答。


 シャーキーは両膝から崩れ落ちた。


「行こう」

「ええ」


 私は彼の叫びを聞きながら、レクス様と共にその場を去ったのだった。



***



 その後。離婚は無事に成功した。

 彼らはごねたが、契約書の存在が公にされた事で周囲から圧力を受ける事になり……それに屈したパープ侯爵家は渋々離婚を受け入れたのだ。

 そして契約書の滅茶苦茶な内容――妻をあまりにも下に見たようなそれが社交界で広がり、シャーキーは社交界から居場所を失った。


 また彼の家に残ったヤコミナの暴走は止まらず、彼女は自分の意にそぐわなければ残った唯一の後継を連れてパープ侯爵家から逃げると宣言したらしい。

 世継ぎを失う訳に行かないパープ侯爵家は彼女の我儘に付き合う事となったが――その結果、彼らが保有する財は悉く食い散らかされ、結局家ごと潰れてしまった。




 斯くして、最悪な二年を過ごした者達と会う機会が消えた私は――


 ――その一年後、二度目の式を挙げる事になった。




 夜が更けるまで散々話し尽くした私とレクスは同じベッドに入る。

 レクスは仰向けに倒れた私の頬に優しくキスを落としてから、笑いを堪えるような上ずった声で言う。


「契約書は必要ないかい?」


 予想外の言葉に少々面食らった私は、数秒置いてからその眉間に皺を作った。


「もう」

「そういう顔も愛らしいって事、そろそろ君はわかっておいた方が良い」


 それから私達は唇を重ね……絆された私は彼の顔が離れる頃には笑みを隠しきれず。

 二人で笑い合ってから、私達は長い夜の中で愛を伝え合うのだった。

最後までお読みいただきありがとうございました!


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パープ家の人たちは頭パープかよ… 子爵令嬢にいいように扱われて没落とか
パープ侯爵家の人達はヤコミナと子供と引き離して監禁するなり毒で弱らせて「病気」にすれば良かっただけなのに、それすら出来なかったのか…。
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