雪原の禍根
ラムザはニクスを一瞥すると、何も言わずに扉を押し開けた。
その無言の背中が、同行の許しのようにも、別れの覚悟のようにも見えた。
外は、白一色の狂気だった。
風が獣の遠吠えのように唸り、
雪が横殴りに叩きつけてくる。
「すご……何も見えない……!」
「こっちだ! 逸れると村の中で遭難するぞ! 入り口へ行く!」
ラムザの声が吹雪に呑まれそうになる。
わずか数歩の距離でも、もう輪郭は霞んでいた。
ニクスは口元を覆いながら杖をしっかり握りしめる。
「シエラ、聞いてましたね? 戦闘になりそうです。
もしそうなったら、ちゃんと手伝ってください。
私が死んだら、あなたも一緒に消えますからね!」
『なっ、何ぃ!? 聞いてないぞそんな契約!』
「千年も生きてて、そんなことも知らないんです?」
『ぬぅ……魔族とやり合ったことはあるが、あやつらは小娘より弱かったぞ!』
「相性の問題です! 氷像の呪いは近づくだけでも危険なんです!
私、言っときますけど近接戦闘は専門外ですからね? 本職は超・長・距・離!」
『あれほど剣や槌を嬉しそうに振り回しておいて何を言う!
……だが、近接が危険なのは承知した。我も死ぬ気はない』
「むぅ……本当なのに……」
「誰と話してるんだ? もう着くぞ」
吹雪の向こう──薄闇の中に、ひとつの影があった。
ボロボロの羽、砕けかけた角。
それでもどこか神聖で、絶望的な美しさをまとった女性。
「あれが……ゲルダ?」
ニクスは唇を噛む。
彼女の魔力が、氷のように刺すような冷気として肌を裂いた。
「俺が出会った時もボロボロだったが、治療のあとには回復していたはずだ。
一年前に再び現れたときには……もう、この状態だった」
「……ノス、クロノス……どうして……」
ゲルダが凍った唇で名を呼んだ。
その名を聞いてニクスの顔色が変わる。
「クロノス……どこかで……」
「ゲルダの夫だ。一年前に雪原で討たれた」
「一年前……。北の勇者さまの魔王討伐の旅の途中……」
雪の中、二人は息を呑んだ。
「ラムザさん……ゲルダをどうするつもりですか?」
「もう終わりにする。話が通じなければ──戦う」
「……分かりました。シエラも、聞いてましたね!」
ニクスは杖を高く掲げ、詠唱を開始した。
『蒼穹犯す空の覇者──嵐の化身、嵐王シエラ。
"双杖の魔女"ニクスの名の下に! 顕現せよ!』
蒼い光が弾け、雷鳴が雪を裂いた。
光の中から現れたのはふてくされた表情の蒼翼の巨影。
ラムザが一歩進み出る。
「ゲルダ……」
「ラムザ……? お前、何度言えば分かる……村から出ていけと……。
もう誰も助からん。お前だけでも──」
彼女はふらつきながらも、氷の杖を抱きしめるように握りしめていた。
その瞳は濁っている。涙が凍って頬に張り付き、
表情というものを失っている。
「ゲルダ、俺は……お前を止めに来た」
「止める? ……ふふ、ならばこの雪も止めてみせろ……」
空気が凍りつく。吹雪が竜巻のように渦を巻いた。
瞬間、ゲルダの指先から無数の氷片が弾丸のように放たれる。
「シエラ! 防御っ!」
『どうせこうなると思っとったわ!!』
シエラの翼が広がり、雷の膜が張られる。
だが、氷の刃がそれを裂き、音もなく貫通した。
『な……!? 雷膜だぞ! どれほどの威力の氷塊なのだ!?』
「くっ……あれがゲルダの氷の魔法……!」
ラムザが踏み込む。剣がきらめく。
だが、刃は届く前に氷壁に弾かれた。
「ゲルダァ!」
「クロノス……クロノス……彼がもうすぐ……」
彼女は虚ろな瞳で、空の一点を見上げる。
『ニクス、どうする! 防御も攻撃も全然通らんぞ!』
「一点突破です! 三分だけ抑えてください!」
ニクスは杖を地に突き、詠唱を開始した。
──金属音が、トン、トン……と雪の上で響く。
杖が宙を舞い、ニクスの周りを円を描いて回る。
「『……紅き紅き、劫罰の炎……」
周囲の雪が一瞬にして蒸発する。
ニクスの瞳が紅く光り、空気が焼ける。
「我が手に集い──蒼白の氷を貫き、敵を焦がし尽くせ! 焔葬百花!!』」
轟音が夜を裂く。
紅蓮の閃光がゲルダを包み──紅い炎の花が咲いた。
氷の結界がついに音を立てて砕けた。
その瞬間、ゲルダは微笑んでいた。
「……ありがとう、ラムザ」
静かに彼女の身体が崩れ落ちた。
氷の粉が舞い上がり風に消える。
吹雪が止んだ。
夜空には星がひとつだけ瞬いていた。
ラムザがゲルダに駆け寄り、倒れた体を起こす。
「どうして……ゲルダ……」
「ここは……龍脈のマナが吹きあがる地だ……北の雪原から一番近いここに、
クロノスは還る。彼はきっと……この地の人々を殺し尽くすだろう。
そうなる前に……この地の人々を、ラムザを、遠ざけたかったのだ」
ゲルダの体が淡く白い光に包まれる。
「我ら魔族は不滅だ、死しても龍脈に還り、また何百年か後に顕現する。クロノスは……人を恨んでいる……彼がこの地に還らぬように私も向こうへ行くとしよう」
「ゲルダ……俺も連れていってくれ。お前とはもう……離れたくない」
ゲルダは一瞬驚いた表情を見せたが、すぐに穏やかな顔になり。彼の頬に手を添え微笑んだ。
「ラムザさん!?」
ラムザはニクスを見ると、微笑み……そのまま氷像へと姿を変えていった。
雪が静かに降り積もっていた。
さきほどまでの喧騒が嘘のように、村は静寂に包まれている。
「勇敢な魔女と……その精霊よ……迷惑をかけた。私の抜け殻と……彼の氷像は……マナの噴出口近くに置いてくれないか」
「……わかりました。クロノスは……」
「大丈夫だ、お主が生きている間に顕現する事はない。それと……私が死ねば……ラムザ以外の氷像は元に戻るだろう。この地から去るように伝えておいてくれ」
「それについてもわかりまし……、…………シエラ、マナの噴出口まで運ぶの、手伝ってください」
『恋だの愛だのは我にはわからんのう』
──ゲルダとラムザの氷像、その表情は穏やかで、まるで眠っているようだった。
◆
──翌朝
「悪い夢を見ているようだ……そんな事が」
「この地は北の雪原からかなり距離があったからなぁ……魔族の脅威も少ないと思っていたんだが」
「ありがとうございました。ギルドにも報告しておきます。この地は放棄しても問題がない……と」
助けた村人や冒険者、ギルドの職員たちを氷像から溶かし一息つくニクス。
「ふー、これで全員かな? 夜の大技からのみんなの救助、流石に魔力もすっからかんだよ……もう少し魔力量あったらなぁ……お師匠さまくらい……は言い過ぎか」
彼女は静かに立ち上がり、雪の中に残された足跡を見つめる。
風が吹く。
シエラの羽根が羽音を立てる。
『ニクス……行くのか』
「ええ。旅は、まだ終わっていませんから……。
……ん? なんで勝手に外に出てるんですか?」
『うん? ワレにもわからんが、この恰好なら出られたぞ?』
ペチーン!
『にゅわ?! どうして杖で叩くのじゃ!』
「……使役は出来てますね……なんでだろう。まぁ、いっか」
白い大地に新しい足跡が刻まれた。
夜明けの光が、その背を淡く照らす。
──雪は、静かに降り続いていた。
◆ ◆ ◆
白い息 凍てつく風の中で
名を呼ぶ声は もう届かない
氷に閉ざされた微笑が
私の旅の 灯となる
焔は 雪を焦がし
雪は 焔を包み込む
それでも 夜明けの空には
薄灰色の光が残っていた
聞こえるのは 遠い鼓動
あなたの罪も 祈りも すべてが静寂の中へ沈む
けれど私は歩く──
凍てた夢の続きを探して
蒼と紅が 交わるところ
そこに世界の答えがあるという
だから 私は杖を取る
雪がやむ その日まで
◆ ◆ ◆
「ふぅ……」
『その祝詞と踊り……行く先々で行うのか?』
「もちろんです!! 私の旅の目的の一つです!」
ニクスは古地図を広げ思案する。
『次はどこに向かうんじゃ?』
「うーん……シエラが印を付けた所の近く……ここ、横に何かメモが書かれてるんですが、読めますか?」
『うむ? これは……かなり古い人間の文字じゃな? 《竜住まう都》かのぉ?』
「竜……ここに行きましょう。ここから南の渓谷……か」




