渓谷アジトの戦い
夜が明けきらぬ渓谷に乾いた風が流れていた。
空はまだ眠りの色を残し岩壁の影は濃く、吐く息は薄く凍る。
「……う~さぶさぶ! さむ~、やっぱり寒すぎるよ……前に近くを通った時はもう少し暖かったのに」
『そうじゃな……この百年程でも一番の寒さだと思うぞ』
「年々寒くなってる……私が生まれる前の村……夏には作物が育てられたって聞いたけど……今は夏でも雪が降るんだもんなぁ」
ニクスはローブの裾を押さえ、崖沿いを慎重に進む。
足元には古びた石階段──おそらく、かつて鉱山だった頃の名残。
その奥に暗い裂け目が見えた。風が抜けるたび、誰かの呻きのような音がする。
『……いるな』
シエラの声が低くなる。
洞窟の奥から、鉄の擦れる音。獣の呼吸のような重い唸り。
「間違いない。あそこが野盗たちのアジトね」
ニクスは杖を構えた。
入口の岩壁に貼られた無数の札。歪んだ符文。鈍く光る魔石。
──封魔陣。
「やっぱり、準備してるね……厄介だなぁ。どこからあんなに封魔の札を集めてきたんだろう」
『どうする? 力ずくでは術が乱反射するぞ』
「迂回しよう……あんな雑に貼られた札くらいなら……」
指先が踊る。
──小さく結んだ呪文が風の層を生み、封魔の札を谷底に吹き飛ばした。
『ふん、器用なもんだな』
「へっへーん。術の精度には自信がありますからねぇ」
暗い洞窟を抜けた瞬間、鼻をつく鉄錆の匂い。
壁には武器、鎧、そして──青白く輝く箱。
「……貧者の箱」
鈍い金属光が闇の中で青白く揺れる。
箱の前に立つ影──野盗だ。
「待ってたぜ、北の魔女……"双杖の魔女"ニクス……だったか?」
「ずいぶん早い情報ね。どこで聞いたの?」
「さーどこだったかなぁ」
ニヤニヤと下卑た笑いを浮かべる野盗。
「お前の魔法は使えねぇ! 見ろ!! 洞窟じゅうに“封魔札”を仕込んでやったぜ!」
洞窟の天井から札が光を帯び始める。
魔力が抑えられ、体の芯が冷える。
「……くっ……、最低」
『ニクス、奴ら……何かを喚ぶつもりだ!』
野盗が笑いながら箱に手をかけた。
「見ろよ……! 北の魔王を討った勇者の秘宝だ。寿命なんざ安いもんだ」
白い霧が吹き上がり、洞窟全体が鳴動する。
箱から現れたのは、黒き魔槍。
刃先は光を喰らい、空間そのものを裂くように震わせている。
「ぐっ……、は、ははは! 見ろよ! すげー槍が出てきやがったぜ!! トロルを出せ! こいつであの魔女を串刺しにしてやろうぜ!」
「な、なに……あれ……っ」
『呪いの魔槍か!? なんてもん出しやがるんだあの男!』
ガラガラと鎖を引きずる轟音と呻くような声。
現れたのは鎖に繋がれた巨体──トロル。
「またトロルか……シエラ……魔法使えそ?」
『うーむ封魔札のせいで威力も精度も保証できんな』
「困ったな……トロルはともかくあの槍……ただの呪具には見えない」
野盗がトロルの鎖を外し槍を握らせる。
瞬間、黒い霧が爆ぜる。
トロルの筋肉が歪に隆起し、血管のように脈動した闇がうねうねと走る。
「グォオオオオッ!!」
「や、やめろっ! 俺じゃねぇ! あっち──ぐあああっ!」
悲鳴。肉の潰れる音。
飛び散った血は即座に凍りつき、洞窟に散る。
残された野党は散り散りに逃げ出している。
ニクスは歯を食いしばった。
「……人の欲が一番の呪いね……シエラ! 封魔の札! 剥がせるだけ剥がしてきて!!」
『あんなバケモノ……万全でもやれるのか?!』
「出たとこ勝負!」
杖を握り直し、地を打つ。
『氷の双輪、巡れ──交わり、結び、凍ての鎖と成れ!
永久の静寂を以て、万象を封ぜよ!
双輪氷縛!!』
光が走り氷の紋が床を這う。
二重の光環状の魔法陣が交差し、白銀の輪がトロルを囲む。
冷気が爆ぜ、空気が軋む。
氷の鎖が唸り巨体を締め上げた。
霜の光がトロルの全身を包み、その動きを止める。
──が、トロルは凍りついた体を軋ませながら、なお前へ進む。
凍結の鎖を砕き、禍々しい黒槍を振り上げた。
「くっ……封魔陣のせいで威力が……」
『っ! ニクス!!』
槍の先端が閃き、彼女の胸元へ迫る──。
瞬間、蒼い羽が舞った。
鋭い音と共に、シエラの翼が槍を受け止める。
槍の先から血が地面に滴り落ちる
『ぐぅ……! お、お主に死なれたら我も困るのでな……!!』
翼の羽根を散らせ、天井に貼られた封魔の札を切り裂いてゆく。
ニクスに魔力が戻っていく。
凍てついた空気に新たな流れが生まれる。
「シエラ、ありがとう……! これなら!!」
大きな金属の杖を逆手に持ち身構える。
トロルが拳を振り下ろす瞬間、腰に下げた小枝の杖を手に取り叫んだ。
「──氷縛しろ!」
小枝の杖先から出た白い霧が爆ぜ、拳が瞬時に凍りつく。
すぐさま杖を振り抜き魔法の刃で腕を断ち落とす。悲鳴と共に巨躯が崩れ、膝をつくトロル。
「チャンス! ────つぅらぬけぇッ!!」
金属の杖先から放たれた光線がトロルの頭部を貫いた。
眩い閃光が洞窟を照らし、爆風が渓谷の空を震わせる。
やがて静寂が戻り、凍りついた巨体が崩れ落ちた。
「くっ……! はぁ、はぁ……! ふぅ……シエラ…………無事ですか?」
膝を持ち肩で息をするニクス。
『う、うむ、なんとかな……。だが……どうやらまだ終わりではないようだ』
トロルの亡骸がゆらりと起き上がる。
首のないその体が槍を抱え、ゆらゆらと揺れている。
「どうして……これ……槍の効果ですか?」
『あの箱から出てきたものだ……何が起こっても驚かぬわ』
ニクスは息を吸い込み、両手の杖を強く握りしめる。
「……勇者さまに関わる物はこれだからほんと……まぁでも、全部ぶっ飛ばせば解決ですね!」
夜明けの光が渓谷に差し込む。
静かに運命の輪は回る──。




