第8章:秘密の旋律
光がカーテンの隙間から漏れ、僕の頬を照らす。目覚まし時計が鳴る前に、既に意識は冴えていた。昨日の出来事が現実であると思い出し、胸に重い鉛が沈んだような感覚に襲われる。
デビューが決まらなかった。レオと同じステージには立てない。現実を受け止めなければ。
でも、あの雨の中でのキスは確かな現実だった。指で唇に触れると、レオの温もりがまだ残っているような錯覚に陥る。彼の熱い想いに包まれて、この上ない幸福感に浸っていた。今はレオの存在が僕の希望の光だ。
「おはよう」
突然のメッセージ通知に、ベッドから飛び起きた。画面を覗き込むと、レオからの言葉が輝いている。
「今日は練習が早く終わるから、19時に駅前の本屋で待ち合わせよう」
鼓動が加速する。昨日の雨に濡れた告白は幻ではなかった。レオは本当に僕を...
「了解!」
シンプルな返信を送りながらも、僕の表情は期待に満ちていたに違いない。
◇
事務所には沈黙が漂っていた。デビューが決まらなかった練習生たちは、順番に社長との面談を受けることになっていた。
「次は、レイン」
スタッフの呼びかけに、大きく息を吸って立ち上がる。社長室のドアをノックすると、中から「どうぞ」という声が返ってきた。
「お疲れ様。座りなさい」
社長の声は意外と柔らかい。ソファに腰を下ろすと、緊張で膝が小刻みに揺れた。
「レイン、君はピアノと作曲の才能がある。それは疑いようがない。ボーカルは絶対音感の持ち主だから、音程の安定感は抜群だね。ダンスはまだ平均レベルだ。ネクセラは全員がエースクラスのパフォーマーで構成されている」
社長の言葉に、僕は無言で頷く。それは理解している。でも認めるのは苦しかった。
「しかし、君を諦めるつもりはないよ。わざわざポーランドから来てもらったんだ。作曲家としての道を歩んでみないか?そして並行して練習生としても続けることができるし」
僕は瞳を見開いた。作曲家?それは視野に入れていなかった選択肢だった。
「つまり……デビューのチャンスはまだあるんですか?」
僕の声が期待に震える。
「もちろんだ。君の才能は無駄にしたくない。これからも精進しなさい」
社長の言葉に、瞳に熱いものが浮かんだ。まだ諦める必要はない。レオとの約束、叶えられるかもしれないという希望が生まれた。
◇
駅前の本屋で、僕はレオを待っていた。約束の時間より30分も早く到着してしまったけれど、待つ時間さえも愛おしく感じられる。
音楽雑誌のコーナーで、最新号を手に取ると、これからデビューする「ネクセラ」の特集が組まれていた。センターを務めるレオの笑顔が眩しすぎる。指先で彼の写真に触れると、心が温かさで満たされた。
「見つけた」
背後から声がした方へ振り返ると、マスクとキャップで変装したレオが立っていた。彼は周囲の視線を避けるように、僕を本棚の陰に引き込む。
「レオ……」
僕が名前を呼ぶと、レオはマスクの上から指を当てて「シー」と静かにさせた。その仕草に色気を感じ、血流が速くなるのを自覚する。
「ここじゃまずい。来て」
レオは僕の手を取り、本屋の奥へと進んだ。手のひらから伝わる体温に、顔が火照る。二階の静かな参考書コーナーに辿り着くと、ようやく彼は声を潜めて話し始める。
「もう注意が必要なんだ。今日もスタッフに『ファンに見つからないように』って釘を刺されたよ」
レオの言葉に、複雑な感情が湧き上がる。彼はもう一般の練習生ではなく、デビュー直前のアイドルなのだ。
「社長との面談はどうだった?」
レオの質問に、今日の面談内容を話した。作曲家としての道と、デビューのチャンスがまだあることを。
「それいいな!作曲家ならレインの才能を十分に発揮できる。そして...いつか同じステージに立つんだ」
レオは周囲を確認すると、さっと身を乗り出して僕の頬に唇を寄せた。一瞬の出来事だったが、顔全体が熱に包まれる。
「レオ!ここ、誰かに見られるかもしれないよ」
僕が慌てて辺りを見回すと、レオは悪戯に笑った。その表情は、僕の心を鷲掴みにする。
「もっと安全な場所に行こう。ついてきて」
そう言ってレオは僕の手を引いて外に向かった。
◇
二人が向かったのは、街の片隅にある小さなカラオケボックス。防音室のような個室なら、誰にも見られる心配はなさそうだ。ここは、レオが日頃から歌やラップの練習をしていた秘密の場所らしい。
「ここなら大丈夫」
レオは部屋に足を踏み入れるなり、僕を腕の中に閉じ込めた。強く、それでいて優しく。彼の抱擁に包まれ、安堵感に浸る。
「レオ...これからどうなるの?僕たちの関係」
僕の問いかけに、レオは黙って僕の手を包み込んだ。
「俺たちは半分同士だろ?何があっても離れないよ。秘密にしなきゃいけないけど...それでも君を愛している」
レオの言葉に、感情の波が押し寄せる。「愛している」という言葉を、彼の口から直接聞くのは初めてだった。
「僕も...愛しているよ」
照れくささを押し殺しながらも、素直な気持ちを伝える。
レオは柔らかな表情を浮かべると、僕の唇に自分の唇を重ねた。昨日の雨の中での出来事よりも、今日の触れ合いはより深く、情熱的だ。レオの手が僕の背筋をなぞり、思わず小さな吐息が漏れる。
「これからは会うのが難しくなりそう...デビューしたら、もっと厳しくなるかな...」
レオの声には悔しさが滲んでいた。
「でも会いたい。どんなに忙しくても、レインに会わずにはいられない」
その言葉に応えるように、僕はレオの首に手を回して、積極的に唇を求めた。二人の間には、言葉では表現し切れない感情が行き交う。僕の内に宿る「水の記憶」がざわめき、レオの中にある「風の囁き」と共鳴するのを感じた。
◇
寮に戻る時間が迫っていた。二人はカラオケボックスを後にし、人気のない裏道を歩いている。手を繋ぎたい衝動を抑えるもどかしさ。
「次はいつ会える?」
僕の問いかけに、レオは考え込んでから答える。
「デビュー前のスケジュールは厳しいけれど...土曜の夜なら少し時間が取れるよ。寮の屋上で会おう」
「でも他のメンバーは?」
「心配ない、みんな実家に帰省する日だから。俺は『練習がある』と言って残るつもり」
レオの計画に、僕は不安を覚えた。
「嘘をつくのは良くないよね...」
「レインに会うためなら、どんな事だってするよ」
レオの真剣な眼差しに、言葉を失う。彼の決意の強さに圧倒される。
「じゃあ...土曜日の夜、屋上で」
僕が応じると、レオは辺りを確認してから、素早く僕の頬に口づけた。
「待ってるよ、半分さん」
彼の言葉に、心が温もりで満たされていく。
◇
その後の日々は、まるで二重生活を送るかのようだった。
昼間は音大で作曲を学び、事務所では練習に励む。レオはデビューに向けての猛特訓に明け暮れる。そして夜、人目につかない場所で二人は逢瀬を重ねた。
事務所の人々に僕たちの関係が気づかれる様子はない。元から仲が良かったからか、同性だからか怪しまれることもなかった。これは、思いがけない幸運だ。異性だったらすぐに監視の目が光っていただろう。
寮の屋上、営業終了後の練習室、深夜の公園……二人だけの秘密の聖地が増えていった。会えない日は、電話で何時間も語り合う。多忙なパートナーを持つ、どこにでもいそうなカップルのような関係。
ある夜、寮の屋上で星空を眺めながら、レオは僕の肩を抱いていた。
「来週、いよいよデビューショーケースだ」
レオの声には期待と緊張が混在している。
「準備は万全?」
僕の質問に、レオは自信に満ちた表情で頷いた。
「完璧だよ。特にソロダンスのセクションには自信がある。見届けてくれ、レインのために踊るから」
彼の言葉に、僕は星明かりの下で微笑む。彼の特別なファンになった気分だった。
「必ず見に行くよ。最前列で見守っているから」
レオは僕の顔を両手で包み込み、額を合わせる。
「レインがいるから、俺は強くなれる。いつか必ず...同じ舞台に立とう」
その言葉に、僕は深く頷く。これは約束ではなく、二人の誓い。必ず実現させるものだ。
星空の下、屋上の片隅で二人は抱き合い、熱のこもったキスを交わした。レオの手が僕の背中から腰へと移動し、僕は思わず彼に縋り付く。許されざる恋だからこそ、その甘美さは格別だった。
「ずっと一緒だよ...半分同士なんだから」
僕の囁きに、レオは強く頷く。二人の影は月明かりの下、1つに溶け合っていく。




