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第3章:水と風の共鳴

 雨が降り始めた月曜日の朝。カーテンの隙間から覗く空は鉛色で、乱層雲が空を覆う。


「今日も雨か」


 窓際に立ち、ガラスを伝う雨粒を眺める。多くの人が憂鬱になる雨の日も、僕にとっては特別だ。幼い頃から、雨音を聴くと魂が不思議と落ち着く。まるで水が僕に何かを語りかけてくれるような気がして。


 時計を確認すると、レッスンまであと一時間。スターエンタの練習室に向かう前、部屋の隅に置かれた小さな電子ピアノの前に腰掛けた。これは、ワルシャワから持ってきた数少ない宝物だ。


 指先がキーに触れた瞬間、不意にレオの姿が脳裏に浮かぶ。風のような彼の動き、彼が放つ神秘的な存在感、そして「魂の半分」という言葉……。


 気づけば、指が自然と動き出していた。これまで一度も弾いたことのないメロディが、雨音と重なるように部屋中に広がっていく。


「これは……新しい曲?」


 自分でも驚いた。頭に浮かんだメロディをそのまま形にしていくと、長年練習してきた曲のように指が自在に動く。窓を伝う雨粒が、音に合わせて輝きを増したような錯覚すら覚えた。


「不思議だな……」


 ピアノを弾き終えると、急いで譜面に書き留める。直感が告げていた。これは何かの前触れだと。そんな予感を胸に、傘を手に取り練習室へと足を向けた。


 ◇


「今週から、本格的に新曲の練習に入ります。オーディションの課題曲でもあります」


 ミナ先生の声が練習室に響き渡る。昨日の社長の発表から、練習生たちの間には、選考への不安と期待の入り混じった張り詰めた空気が漂よう。


「まずは基本的な振り付けから。その後、各自でアレンジを加えてもらいます」


 レッスンが始まり、新曲のリズムに合わせて体を動かす。難易度の高い振り付けだが、意外と身体は音楽に自然と反応している。


 二年も練習生をしているからか、前よりかは踊れるようになった。でも、レオたちに比べればまだまだだけど。隣で踊るレオと視線が交差する。彼も僕が踊れていて安心しているみたいだ。


「レインとレオ、前に出てきて」ミナ先生が僕たちを指名した。

「昨日の即興が素晴らしかったから、他の練習生にも見せてあげて」


 僕たちは前に進み、新曲に合わせて踊り始める。レオの動きに呼応するように僕も動く。彼が風なら、僕は水。互いの存在を感じ取りながら、二人で1つの物語を紡ぐように踊った。


 レッスンが終わると、練習生たちは各自の練習に移っていく。アントニーが僕とレオに近づいてくる。


「また二人そっくりだよ!今日も似たようなグレーのスウェットだね」


 彼はそう言うと直ぐに去っていった。僕は自分とレオの服装を見比べる。確かに、二人とも同じグレーのスウェットを着ていた。レオもそれに気づいて柔らかな笑みを浮かべる。


「本当だな。気づかなかった」


「意識してないのに、いつもこうなるんだよな」レオは肩をすくめた。

「どうなってんのかな?やっぱり……運命なのか……」


 運命。その言葉が耳の奥で反響する。レオとシンクロするのは、本当に宿命なのかもしれない。


 ◇


「レイン、ちょっといいか?」自主練中にレオが声をかけてきた。

「新曲、一緒に練習しよう」


 僕は同意して、二人で別室に移動する。そこには小さなピアノがあり、僕は朝思いついたメロディを弾いてみることにした。


「実は、今朝、ひらめいた曲があるんだ」


 ピアノの前に座り、雨の中で浮かんだメロディを奏で始める。レオは静かに聴いていたが、途中から体を動かし始めた。彼は僕の音楽に合わせて、即興で踊っている。


 弾き終えると、レオが僕の肩に手を置いた。彼の手の温もりが背中を伝わる。


「レイン、お前の曲、心に響いたよ」


 彼の声は低く、耳元で囁くように優しかった。その瞬間、僕たちの視線が絡み合う。全身に電流が走ったかのように、頬が紅潮するのを感じた。


「あ、ありがとう……この曲、レオのイメージにぴったりだと思って」


「俺のこと考えてこの曲作ったの?」


 耳元で囁かれた言葉に、全身が硬直する。言葉を失い、鼓動だけが激しさを増していく。やっと絞り出すように言葉を発した。


「うん。雨の音を聴きながらピアノを弾いていたら、レオのこと思い出して、それで、この曲が生まれたんだ……」


「嬉しいよ。こんな美しい曲が俺のイメージだなんて」


 レオはそう言うと僕に熱い視線を向ける。心の中の小さな箱を覗かれているみたいで身体が硬直した。もう、僕の気持ちがバレているのかな?そう思うと怖くなった。


 ◇


 その日の練習が終わり、夜になっても雨は止まらなかった。寮に戻ると、僕はピアノの前に座る。そして、ショパンの「雨だれ」を弾き始めた。雨の日にふさわしい曲だ。


 弾いているうちに、不思議な現象が起きた。窓から入ってきた雨粒が、音楽に反応するように宙に舞い上がったのだ。ピアノの音に合わせて、水滴が虹色に輝きながら踊っているように見える。


「これは……」


 驚きのあまり、弾くのを中断した。すると水滴も静止し、普通の雨粒として窓を伝って落ちていく。もう一度弾き始めると、再び水滴が反応する。


 ワルシャワにいた頃、先生に「奇跡の音感」と言われていたことが蘇る。雨の日に弾くと、特別な音色が出ると周囲から不思議がられていた。それは単なる繊細な耳ではなく、水と共鳴する特別な才能だったのだろうか。


「水の記憶……」


 そう、これは水を通して音楽の記憶を共有できる力かもしれない。朝思いついたメロディ、レオに捧げた曲を弾き始める。するとより強く水滴が反応し、まるで小さな踊り子のように宙を舞った。


 翌朝、雨は上がっていたものの、空気には湿り気が残っていた。練習室に着くと、レオがすでに練習している。今日も二人は同じ服を着ていることに気づく。今日は白いTシャツ。


「おはよう、レイン」レオが手を振りながら笑顔で迎えてくれる。


「おはよう……」僕は彼の服装に気づいて目を丸くした。「またかぶっちゃったね。白T」


 レオは軽く肩をすくめる。「シンクロするんだ、俺たちは」と当然のように言った。


 その言葉に、心の底から幸福感が波のように押し寄せる。


 そこへミナ先生が入ってきて、僕たちの姿を見て口元を緩めた。


「今日も同じ服?白いTシャツ、息ピッタリね」


 ミナ先生がクラップ音で練習生を集め、レッスンを開始する。新曲のダンスの練習が本格化し、僕とレオは自然とペアを組んでいた。鏡に映る二人の姿は、まるで双子のように同じ動きをしている。


「レオとのシンクロ、本当に魂の半分みたいだね」


「ああそうだな。前世は双子だったのかも。それで現世ではレインはポーランドから俺を見つけるために日本へ来たんだ。きっと……」とレオは遠くを見つめながら言った。


 ◇


 レッスンの合間、僕はレオに「水の記憶」について話すことにした。


「ねえ、レオ」僕は少し緊張しながら切り出した。「実は、不思議な発見があったんだ」


「何だ?」彼は興味深そうに尋ねた。


 僕は昨夜の出来事、ピアノを弾くと水滴が反応して踊るように見えたことを話す。レオは真剣な表情で聞いていた。


「それって、俺にも似たものがあるかもしれない」彼は静かに言う。

「『風の囁き』とでも呼べばいいのかな。踊っていると、風が次の動きを教えてくれるんだ。身体が意思を持つように動かされるんだよ」


 驚きで声が上ずった。「レオにも特別な力が?」


「ああ。幼い頃から、風が俺に語りかけてくるのを感じていた。それに身体が導かれるように、自然と踊りだすんだ」


「試してみよう」僕は興奮して提案する。

「二人の力を合わせたら、どうなるんだろう」


 僕がスタジオの片隅の小さなピアノに向かうと、レオはセンターに立ちスタンバイした。


「お前の水の記憶が反応する曲を弾いてくれ」


 指がピアノの鍵盤に触れる。深い呼吸をして、意識を集中させると、穏やかなメロディが部屋に広がり始めた。


 レオはを瞼を閉じ、音に身を委ねる。ゆっくりと腕を広げ、舞い始めた。その動きは風そのものだった。軽やかで、しなやかで、そして力強い。


 僕はレオの動きに合わせて音を紡いでいく。指先から伝わる振動が、空気中の水分を揺らし始めた。窓からの光に照らされ、微かな水滴が浮かび上がる。


 レオの動きに変化が生まれた。彼の周囲には目に見えない気流が生まれる。現実の風ではなく、彼の舞いが紡ぎ出す空気の波。その繊細な流れが、僕の奏でた音で生まれた水滴と融合していく。


「すごい...」


 微細な水粒が気流に乗って螺旋を描き、光に触れるとプリズムとなって七色の輝きを放った。夜空の星々のように煌めく水の粒子。レオの舞と僕の音色が溶け合い、風と水の神秘的な調和が空間を満たしていく。


 踊りながら、レオが僕の背後に回り込み、突然、腰に手を添えて椅子から立ち上がらせた。そして、一緒に踊らせる。


「レイン、この動きできる?」


 彼の声が耳元で響く。温かい息が首筋をくすぐり、理性が揺らいだ。彼の手に導かれるまま、僕も体を動かす。ピアノから離れても、メロディは空間に残り続け、僕たちは二人で踊る。


 やがて曲が終わり、二人は向かい合って立ち止まり手を繋ぐ。息が上がり、胸が激しく上下している。スタジオは静寂に包まれたが、空気は僕たちの感情で満ちていた。手を繋いで生まれたサークルから風と水飛沫がトルネードを作りながら天井に舞っていく。


「レイン...」レオが息を整えながら言った。「これが俺たちの力だ」


「うん」僕も同調した。「風と水...一緒になると、こんなに神秘的なんだ」


 レオの前髪がフワリと風になびく。水飛沫が消えるまで僕たちは天井を見つめていた。


 ◇


 翌日、練習室には緊張感が漂っていた。デビュー評価が近づいているからだ。ミナ先生は練習生たち一人ひとりの成長を確認していた。


 僕とレオが前に呼ばれると、他の練習生たちの視線が集まる。


「二人とも、今日もお揃いだね。ブルーのパーカー」ある練習生が口にした。「本当に双子なんじゃない?」


 その声に周りから笑い声が上がったが、僕たちは互いに目を合わせて微笑むだけ。日常の出来事に過ぎないから。


「準備はいい?」ミナ先生が尋ねた。


 僕たちは同意して、ポジションに就く。レオが目配せし、始まりの合図を送る。


 深呼吸して、僕は昨日練習した新しいアレンジを披露し始めた。レオも踊り始める。練習室のスポットライトが僕たちを照らす。


 最初は普通のパフォーマンスに見えたかもしれない。しかし、徐々に変化が起きた。僕の音楽と彼の踊りが深く調和し始め、空気中の水分が光を受けて輝き始める。演奏パートを終えた僕もレオと一緒に踊り始めた。


 レオの周りに風が渦巻き、その風が水滴を舞わせていく。そして眩い光を放ちながら、虹色の水の粒は輝き始める。


 練習室全体が固唾を飲んで見守った。


 僕たちの魂が1つになった瞬間。僕の中のレオ、レオの中の僕。水と風が完全に混ざり合い調和していた。


 パフォーマンスが終わると、一瞬の静寂の後、拍手が沸き起こる。ミナ先生は目を見開き、言葉を失ったように立ち尽くしていた。


「これは...素晴らしい。まるで二人が一人になったみたい……」


 レオが僕に近づき、両手で軽く頬を包む。


「レイン、素晴らしかったよ」彼の目は宝石のように輝いていた。


 僕は包まれた頬に添えらえたレオの手に自分の手を重ねた。みんなが見ているのに……止められなかった……完璧なパフォーマンスが出来て、レオが喜んでくれているのが分かって嬉しかったんだ。1つになれたんだって実感できたし。ただ、幸せだった。


 ◇


 黄昏時。練習が終わった僕たちは屋上に上がった。生ぬるい風が身体を包む。


「凄かったな、今日は」レオが隣に座った。

「あんなに反応するなんて思わなかった」


「うん」僕も同調する。「風と水、光との共鳴...幻想的だった」


 レオはしばらく黙っていたが、やがて小さく息を吐いた。


「実は...デビューが怖いんだ」


 その言葉に驚いた。いつも自信に満ちたレオが弱さを見せるのは珍しい。


「どうして?レオならきっと選ばれるよ。月末評価いつも一位じゃない。デビューに一番近いと思うよ?」


「みんなの期待が重すぎる。先頭を走るということは、躓くことが許されないってことだ」彼は空を見つめて呟く。

「もし、俺の『風の囁き』がステージで失敗したら...」


「大丈夫だよ」僕は彼の手に自分の手を重ねた。

「レオの『風の囁き』は特別だ。そして、僕の『水の記憶』があるよ。二人なら、きっと」


 彼は僕の手を見つめ、ゆっくりと指を絡めてきた。


「ありがとう、レイン」彼の声は深く響く。「お前がいるから、前に進める」


 その言葉が身体中に温かさを広げていく。レオが僕の方に身を寄せる。


「レイン、隣にいてくれて嬉しいよ」


 その言葉が心に触れ、胸の奥で小さな光となって広がった。肩と肩が触れ合う接点から温かさが全身を駆け巡り、指先から伝わる彼の体温が血管を熱くする。


「僕も」鼓動が早まるのを感じながら答えた。

「レオと一緒にいると、世界の色が鮮やかに見えるよ」


 レオはゆっくりと僕の顔を見つめ、手を伸ばして僕の顎に触れた。優しく顎を上げ、「レイン、俺の目を見て」と囁いた。


 視線が交わる。彼の瞳に街灯の光が映り込み、星のように輝いている。見つめ合いは続き、その視線は僕の理性を溶かしていく。


「俺たち、誰も見たことないステージを作ろうな」レオは真剣な眼差しで言う。

「二人なら、きっとできる」


 恥じらいを抑えながらも、僕は彼の瞳をまっすぐ見つめる。


「うん、どんな未来が待っていても、一緒にいよう」


 魂の誓いのようだった。レオとの絆が、さらに深まっていくのを感じる。これはもう単なる友情ではない。僕の中で息づく感情は、間違いなく特別だ。


 暫く見つめ合っていたら、空はすっかり星々で彩られていた。


「あ、流れ星だ」レオが夜空を指さす。


 一筋の光が夜空を横切る。僕たちは同時に目を閉じ、願い事をした。


「何を願ったの?」僕は尋ねる。


 レオは悪戯に笑い、「秘密だ。叶ったら教えるよ」と言った。


 僕の願いは、レオと一緒にデビューすること。そして、この言葉にできない感情が、いつか彼に届けられる事を。


 水と風の絆は、これからどんな物語を紡いでいくのだろう。デビューへの道は険しいかもしれないが、レオと一緒なら乗り越えられる。そんな確信が、夜空の星のように僕の中で輝いていた。


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