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第2章:魂の半分

 練習生たちが集まるダンスレッスン室は、汗と熱気で満ちていた。先週の月末評価の上位で合格した三十名ほどの練習生たちが集められている。


 大きな鏡に映る自分の姿を見ながら、僕はレッスン前のストレッチを始める。レオは隣でウォーミングアップをしていた。まるで冷気を纏った風の精霊のような、神々しさと優雅さが彼から溢れ出ている。


「今日のレッスン、難しいらしいぞ」とレオが小声で言った。

「社長が見学に来るらしいし」


 その言葉に、練習室の空気が一瞬凍りつく。社長の視察は練習生にとって大きなプレッシャーだ。それはつまり、デビューメンバーの選考が近いという合図でもあるからだ。


「デビュー選考が近いのかな」僕は声が少し震えるのを感じた。


 レオは僕の肩を軽く叩き、「俺たち、一緒にデビューしような」と言う。彼の目は真剣で、僕は言葉なく同意を示した。


 そこに、ホワイトブロンドの練習生がこちらに駆け寄る。アントニーだ。スペインの血を四分の一引く美少年。月末評価ではいつも上位にいる。何でもこなせて明るい性格なのでみんなを和ませてくれる。


 僕と同じ芸術高校のヴァイオリン科で同じ学年。彼のヴァイオリンの伴奏を任される程の親しい間柄だ。音楽論ではしばしば対立する事もあるけど……まあ仲が良いと思う。


「また双子ちゃんコーデだね〜兄弟みたいでなんか似ているよね!レオとレイン。ライトブルーのパーカーなんて珍しいのに被るなんて」


 顔を見合わせる僕とレオ。そういえば今日の服装も似ていた。示し合わせたのではなく、不思議なことに偶然被ってしまうことが多い。指摘されて少し恥ずかしさが込み上げる。


「あっ、それと、噂で聞いたんだけど事務所で新しいユニット出来るらしいよ。今日デビュー発表だったらやばいよね!ハハッ」


 僕とレオが返事をする間もなく、アントニーは他の練習生を見つけてそちらに行ってしまった。これはいつものことなので、僕たちはすぐ気を取り直す。


「それじゃ練習しよっか、レイン」


「うん」


 練習を始めてお互いの振り付けを確認していく。


「レオ、ここの振り付けって、これであってる?」


 質問すると彼は僕の背後に回った。


「ここはこうだよ」


 そう言って、僕の腕の位置を直す。優しく触れる彼の手の感触から温かさが伝わってくる。長くこの状態を続けるのは耐えられなかったので、僕はレオにお願いした。


「レオ、踊って見せてよ」


 うんと頷いて踊り始めるレオを、僕は憧れの眼差しで見つめる。高身長で手足が長く、少し動くだけでも映えるのに美しい小さな顔が付いている。アイドルデビューするために生まれてきたようなパーフェクトビジュアル。


 僕は心の中で「なんて綺麗なんだろう。光を操る精霊のようだ……どんな魔法を使えばこんなに美しく踊れるんだろう……僕も踊りたいよレオみたいに……」と思わず呟く。


 レオの舞踏科で行われる定期公演を見た時から、強い憧れを抱いている。K-POPダンスとはまた違った芸術性の高い舞踏に心を奪われていた。


 それは二年前の夏、僕がスターエンタに入ってすぐの時だった。芸術高校の紹介イベントに派遣された練習生の一人として、ピアノ伴奏を頼まれたのだ。緊張しながらホールに入ると、そこには数十人の学生たちが集まっていた。


 レオとの出会いは、衝撃的だった。初めて見たのはリハーサルで彼が躍る姿。オーガンジーの白いシフォンの布を纏った姿は、手足が長くしなやかなレオの身体の表現力、妖艶な目つきや表情が美しさを最大限に生かして、まるで幽玄の美の化身のようだった。


 その後、伴奏者として挨拶をするために、舞台袖で待機している彼の元へ。目が合った瞬間、互いに驚きの表情を浮かべた。二人とも同じ白いシャツと黒いパンツを着ていたのだ。まるで双子のように。


「君、新しい練習生?」とレオは訊ねた。


「水沢玲音です。レインと呼んでください」と僕は答える。


 彼は柔らかな表情で、「風間玲央だ。レオって呼んでね。よろしく」と名乗った。


 互いの姿を見て笑い合った後、彼の言った言葉が今も心に残っている。


「面白いな。まるでもう一人の自分に会ったみたいだ。何だか俺ら似てるよね」


 そのとき、僕には彼の言葉の意味が分からなかった。しかし今、彼と過ごす時間が増えるにつれ、その言葉の重みを少しずつ理解し始めている気がする。


「レインが伴奏してくれるんだよね?楽しみだよ」


「はい。リハ見せてもらいました。本当に凄かったです。キレイで……」


「本当に?あの衣装も凄いよね」


「はい。妖精みたいでした……」


「ハハッ。大げさだな。ねぇ、少しピアノ聞かせてくれない?ポーランドから来たんでしょ?めちゃくちゃ上手いって聞いたよ」


「はい。ピアノは得意なので。でもダンスが下手です。レオ君みたいに踊れたらなって……凄く憧れてます」


「へー教えてあげるよ。俺は踊ることしか出来ないから」


 僕はふとレオとの初めての出会いを思い返していた。あの日から仲良くなり、彼はいつも僕のピアノを聴かせると凄く喜んでくれる。僕のピアノが一番好きだって言ってくれて……。僕もレオの踊る姿が一番好きなんだ。


 懐かしい想いとレオへの思いにふけっていると、振付師のミナ先生の声が聞こえてきて、現実に引き戻された。


「よし、全員集合!今日は特別なレッスンよ」


 ミナ先生は厳しいことで有名だが、その眼力は確かだ。彼女の評価が、デビューメンバー選考にも大きく影響するという噂もある。


「最近、二人ずつのユニットパフォーマンスが流行ってるわ。今日はペアを組んで即興で踊ってもらうわよ」


 ミナ先生の言葉に、練習生たちがざわついた。ペアパフォーマンスは相性が重要だ。互いのリズム感や表現力を引き出せるかが鍵となる。


「レイン、レオ。あなたたち二人から始めましょう」


 僕とレオの名前が呼ばれ、全員の視線が集まった。僕たちが一緒に練習する姿をよく見かけるので、選ばれたのだろう。緊張と共に、少しの高揚感も感じた。


 レオと向かい合い、音楽が流れ始めるのを待つ。スピーカーは、ジャズとチルがミックスされた音楽を流し始める。レオが僕に小さく頷き、二人の即興ダンスが始まる。


 音楽が流れ出し、レオの風のような動きに応えるように、僕は水の流れのように身体を動かした。レオのターンは完璧に決まるが、僕は軸がぶれてしまう。すかさずレオが腕を伸ばし、僕の身体を支えてくれた。


「レオ、ごめん……」僕が謝ると、レオは笑顔を浮かべ両肩に手を置いて姿勢を正してくれた。


「こうした方がいいよ」


 縮まった距離から伝わる体温、触れる指先の温もり、胸の奥で轟く心音、振り付けを示す彼の真剣な眼差しに意識が引き寄せられる。呼吸を同調させて踊ると、まるで魂が共鳴しているみたいだ。


 レオの動きは自由奔放で、まるで重力を無視する蝶のよう。僕は水飛沫のようだ。跳ねるように彼の周りで踊る。不思議なほどに息が合い、まるで何年も踊りを共にしてきたかのような一体感があった。


 二人の動きは同じじゃないのに、どこか共鳴し、調和していた。森の中でひらひらと舞う葉っぱみたいだ。その葉っぱを避けながら飛び回る蝶のように、風と水は溶け合っていく。


 音楽が終わると、練習室は静まり返っていた。ミナ先生がゆっくりと拍手し、他の練習生たちも続く。


「素晴らしい即興ね。まるで以前から振り付けを練習していたかのようだったわ」


 ミナ先生の表情は珍しく柔らかだった。僕はダンスではあまり褒められることがないから、その言葉で自然と口角が上がる。


 レッスンの後、休憩時間に僕はレオに尋ねた。


「どうして僕たち、あんなに息が合うんだろう?本当に不思議なんだ」


「レオが合わせてくれてるの?」


 レオはウォーターボトルを口から離し、遠くを見るような目で答えた。


「ううん。合わせてないんだ。自由に踊ってるだけ」そして、真剣な表情で続ける。


「昔、祖母が言っていたんだ。人の魂は時々半分に分かれて生まれてくるって。そして離れ離れになった半分同士は、いつか必ず巡り会うんだって」


「魂の半分……?」僕はその言葉を反芻した。

「それって……ソウルメイトやツインレイってこと?」


「かもな。俺たちが時々、鏡に映る自分を見ているような感覚になることがあるだろ?同じ服を選んだり、同じことを考えたり。名前も似てるし、雰囲気もそっくりだ」


 確かにそうだった。初めて会った日から、僕たちの間には理屈では語れない共鳴があった。服装が被るのは日常茶飯事で、練習生たちの間では「双子現象」と呼ばれていた。時には同じメロディを口ずさんでいることもある。


「レオの舞台、一度見に行ったことがあるんだ。芸大の公演」僕は告白した。

「まるで風を操っているみたいだった。重力に逆らっているような……」


 レオは少し照れたように髪をかき上げた。


「レインのピアノもそうだよ。ショパンを弾く姿を見ていると、まるで水の粒が周りを舞い、音符が空気中で輝きを放つみたい。水が歌っているみたいなんだ」


 僕たちの間に流れる沈黙は、不思議と居心地が良い。


 その静けさを破ったのは、アントニーの声だった。


「おい、二人とも。聞いたか?」彼は興奮した様子で近づいてくる。

「やっぱり、新しいユニットが結成されるらしいぞ。来月末にデビューメンバーが発表されるって」


 その言葉に、練習室の空気が一変した。練習生たちの間に緊張が走る。練習生二年目のレオと僕にとって、これが最後のチャンスかもしれない。


「一緒にデビューしよう」レオが小声で言った。「約束だ」


 僕は彼の瞳を見つめ返した。「うん、約束」


 その時、練習室のドアが開き、全員が一斉に振り返った。スターエンターテイメント日本支社の社長、リー・成龍が入ってきたのだ。


 彼は、韓国、中国、日本の血を引き、韓国で人気グループを沢山輩出してきた実績がある。彼の鋭い眼差しが練習生たちを一人ひとり見渡していく。


 リー社長の視線が僕とレオに止まった瞬間、身体が硬直した。これが運命の瞬間なのか。僕たちの夢への扉が開くのか、それとも閉ざされるのか——。


「皆さん、お知らせがあります」社長の声が練習室に響いた。「新ユニット『NEXERA ネクセラ』のデビューメンバー選考が始まります。


『Next+Era』『次世代のスターを創る』という意味を込めました。来月の月末評価の結果と日々のレッスン状況を見て全練習生の中から選抜します」


 言い終えると、社長は再び僕とレオに視線を向け、かすかに頷く。そして、来た時と同じように部屋を出て行った。


 練習生たちの間に興奮と緊張が広がる中、レオは僕の手を優しく握る。彼の手は温かく、力強かった。


「来月、運命が決まるな」彼は真剣な表情で言う。


「レオ、一緒にデビューしたいな。出来るかな……」


 僕は不安な表情を浮かべる。正直、デビューメンバーに入れる自信がなかった。月末評価ではいつも合格ラインギリギリの位置だから。


「出来るよ。レインならきっと。歌も上手だし俺に無いもの沢山持ってるよ。レインは歌の心を伝えることが出来るんだから。それに……俺の半分だと思ってる」


「えっ、半分?」


「うん。俺の魂の半分はレインだから、レインがいないと立っていることも出来ない……初めて会った時から魂の半分を見つけたような不思議な気持ちになってるんだ。なんなんだろうねこの気持ち……」


 レオの頬が赤くなり、つられて、僕の顔も熱くなる。


「レオ、それって……」


「ごめん。変なこと言って。でもね、レイン。俺たちは魂の半分同士だと思うんだ。何があっても、その絆は消えないから」


 そう言って、レオは他の練習生に、指導を頼まれて連れて行かれてしまう。


 窓の外では、小雨が降り始めていた。来月の選考会に向けて、僕たちの胸中は期待と不安が交錯する。雨粒が窓ガラスを伝い落ちる様子を見ながら、僕は心の中で祈った。


「僕たちが一緒にデビューできますように」


 その願いが叶うかどうかは、来月になれば分かる。今はただ、レオの存在に安らぎを覚え、隣にいることを望み、訪れる運命に静かに向き合うしかない。


 ◇


 レッスンが終わり、レオが僕に声をかけた。


「レイン、今から、俺の部屋来られる?」


 練習前に誘ってくれていた、音楽を一緒に聞く約束だ。レオが覚えてくれていて嬉しさがこみあげる。


「うん、行けるよ!」


 寮で食事とシャワーを済ませて、レオの部屋に二人で入った。疲れた体にようやく休息が訪れる。


「今日は疲れたね。色々発表もあったし……」レオが言う。


 彼の部屋は僕のより少し広い。中央に置かれたローテーブルとソファ、そしてシンプルなベッドとデスク。何回も来ているけれど、今日はなぜか特別な空気が流れていて、僕は妙に喉が乾いていた。


 二人っきりでいることが、今日はなぜか照れくさく感じる。僕はソファに腰掛けながら、部屋を見回す。レオは台所へ向かい、何かを準備し始める。


「今日は何の音楽を聴くの?」音を立てないように深呼吸しながら尋ねた。


「これ」彼はスマホの画面を見せてくる。


「K-POPの新曲で、パガニーニの曲がリミックスされてるんだ」彼は少し照れたような表情。

「クラシックを取り入れるアーティスト増えてるよね」


「そうなんだ。クラシックとK-POPの融合なんて面白そう」


 思わず身を乗り出して言う。


「うん。聞いてみよう。お待たせ」


 レオがふたつのマグカップを持って戻ってきた。湯気が立ち上り、甘い香りが漂う。


「ホットミルクティーいれたよ。少し甘くしといた。レッスンで疲れてるだろ?」


「ありがとう」


 カップを受け取る時、指先が僅かに触れた。その一瞬の接触で、静電気が走る。僕は慌ててカップを見つめ、視線をそらす。


 音楽が静かに流れ始め、部屋に心地よい沈黙が広がる。僕たちは並んで座り、時折感想を交わしながら音楽に身を委ねた。レオの体温が近くに感じられ、その存在感だけで思考が乱れる。


「ねえ、レイン」彼が突然言った。「今日のレインが弾いてた曲、すごく綺麗だったよ」


 窓の外は既に夜の帳が下り、雨はやんでいた。レオの言葉に僕は静かに同調した。


「うん。ノクターン第三番かな。ありがとう。また弾くね」


 僕たちの手が、ソファの上で偶然触れ合った。今度は彼も気づいたようだが、手を引かない。そのまま、二人の小指がそっと絡み合う。


 僕は自分の鼓動が耳に響くのを感じた。こんな風に彼と触れ合うだけで、世界の色彩が変わっていく感覚。これが「魂の半分」が近くにいる感覚なのだろうか。


 明日からの練習、月末評価、そしてデビュー選考……全てが待ち受けている。でも今この瞬間、レオの隣にいられる事が、その緊張感を和らげ、安心感で心が満たされている事に気づいた。


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