悪役令嬢ざまあのために純潔を散らされましたが、当て馬宰相を私のものにしました
『純潔』この王国で貴族令嬢の価値を左右する、重大な要素。
花嫁衣装を脱ぐまでに、純潔を失えば娘の価値は大暴落。
出身家は笑い物にされる。
だから、この仕打ちはあまりに理不尽なこと。
たとえ悪役令嬢と呼ばれた、わたくしにだって。
そう、わたくしは今「悪役令嬢には人権なんていらないでしょ?」
と王女からの嫌がらせで純潔を奪われかけている最中──
「や……! こんなことっ、許されるわけ……!!」
夜会の空き部屋の、ベッドの上で男に押さえつけられた。
肩口の布地が無理やり引っ張られ、赤いドレスが破けて。
その衝撃で一枚絵の場面が──薄膜みたいに目の前の光景に被る。
(あら……? これは? 乙女ゲームの攻略キャラ? 宰相ゼフィルじゃないの!!)
なにを考えているのかしら、わたくし。
いえ、やっぱりそうよ。
わたくしはこのゲームをプレイしていて──そう。わたくしは日本で、遊戯としてこの世界を遊んだわ。
遊戯をしていた、以外はふんわりしか記憶から引き出せないけど、それで十分。
『ヒロインが当て馬の男キャラに悪役令嬢の純潔を散らさせて“ざまあ”する』イベント……その、わたくしは悪役令嬢!!
「熱い……君、媚薬飲まされたの?」
「たしかに……身体がおかしいわ」
「俺もだ。そして、クラリエッタ王女に命令されたんだ。君を……やれって、この部屋に行ってこいって」
「……なんて、ことを」
当て馬役、ゼフィルはとても苦しそうに顔を歪めた。
これは、彼にとって地獄でしかない。
ゲームの設定では、彼はヒロインに恋していた。攻略対象とヒロインを挟んで恋の鞘当てをするのだ。それなのに、ヒロインの攻略がうまくいくとすげなくされ、杜撰な扱いを受ける。
ライバルを貶める、悪役になってこいと。
好きな女性への恋に敗れた上、媚薬を盛られ命令され、どれほど、その心は傷んでいるだろう。
わたくしだって、媚薬を盛られて空き客室に寝かされて、純潔を散らされるなんて。
どんな理由であれ、純潔を失った令嬢は、他所でまともな結婚ができない。
とてもひどいことだわ。
ひどいことなはず、なんだけど。
(ゼフィルは、わたくしの……一番好きなキャラ!!)
この一点の思考が、拒否感のすべてを一掃した。
「……すまない。君が綺麗すぎて、俺は……」
すまなくなんか、ない。
だって、あなたは私の大好きな──
悪役令嬢ざまあの、イベントの夜。
それは、わたくしにとって、最推しとの身を溶かすような熱の記憶になった。
✿⠜
(……つい、気持ちよくなってしまった夜でしたわ)
盛られた媚薬の効果がプラスに働いて、痛みはまったくなかった。
ただ、好きだったゲームの、憧れのキャラと気持ちよくなれて。
よかったんじゃなくて? 画面の向こうで手の届かなかった相手と、あんな……。
ざまあイベント、ご馳走様でしたわ!
薬の影響は抜けていて、身体もすっきり軽い。
はあ、いい目覚め。
ベッドから起き上がり、わたくしは両手をあげて伸びをする。
そうしていたら──ベッドの脇に人がいた。
しかもその人は土下座してる。
ガチの土下座。
額が床から離れない。
肩と声を震わせて……小さく「すみませんでした……」とお詫びが聞こえた。
「あっ、あなた……?!?」
(起きてからずっと、そうしていたの……?)
青みがかりそうな、見事な艶のあるゼフィルの黒髪が、床に滑稽なキスをしている。
(こんな姿をされると、ますます放っておけないじゃない)
わたくしは、彼の事情をよく知っている。
よく知りすぎている。
✿⠜
【ゼフィル】
「──っが、この……飲み物は!?」
【クラリエッタ】
「媚薬よ。ゼフィルにはね、やってほしいことがあるの」
【ゼフィル】
「なに……、媚薬が必要とは、俺になにを?」
【クラリエッタ】
「ほら、さんざん私に酷いことしてきたあの悪役令嬢。あの人を懲らしめてきて欲しいのよ。彼女の純潔、散らしてきてよ。
この向かいの部屋の奥に、媚薬を盛った彼女を寝かせているから、……あの女を、やって」
【ゼフィル】
「そんな……いやだ、だって……おれは……君の、ことを……」
【クラリエッタ】
「なに? あ、そうだ、私はもうティンダーのところに行くから。彼ね私を王太子妃にしてくれるって!」
「婚約者になるのよ!」
【ゼフィル】
「……そうなのか……」
【クラリエッタ】
「早く行って、やってきてよ。体、辛いでしょ。じゃ、よろしくね」
立ち去る音。
【ゼフィル】
「……うう……クラリエッタ……」
──クラリエッタのトゥルーエンド確定──
✿⠜
これよ……! 乙女ゲームで攻略キャラとの恋愛よりもわたくしを萌えさせたのは!
この、当て馬としてボロ泣きした曇りまくったゼフィル!!
恋する王女に無体な命令を受け、媚薬まで盛られて、それを叶える行動をするしかなかった彼。
(……美しくて、切なくて最高でしたわ)
そう……、あのイベントのあとって悪役令嬢側ではこんなふうになっていたの。
ざまあイベントのあと悪役令嬢はフェードアウトだったから、知らなかったわ。
(それに、これならわたくしは、ゼフィルと結ばれる運命、にもっていけるのでは!?)
ゲームでは、悪役令嬢はこれで求婚者がいなくなって、尼僧院か当て馬ゼフィルに娶ってもらうしかない。というナレーションで終わっていた。
ならいいでしょう?
ゼフィルと結婚したって……いいでしょう!?
「宰相……ゼフィル……!!」
「あああ! すみませんでした! すみませんでしたって! だから……どうか爪を剥ぐのだけは!」
「……なんですのそれ」
「だって……あなたは、評判の悪役令嬢で。人の爪を収集しており、常に無礼を働いた相手の爪を剥ぐ機会をうかがっている、とは有名な……」
ちょっと!? どれだけ非道なことになっているの!?
ゲームでもそこまで酷い性格設定されていなかったわよ!?
苛立ってゼフィルを眺めたら、彼は「ヒッ」と喉を鳴らし震えている。
自責もあるのだろうけど、相対するわたくしへの恐怖が大きいみたい。
わたくし! 非道な悪役令嬢ではないわ!
ゲーム中では、残虐で高慢な女に見えるようになっていたけれど、あれは、ヒロインの視点だったから。
世間も、同様の誤解をしているのね。
ゼフィルも……。
「……ゼフィル様、落ち着かれて。わたくし、人様の爪を剥いだことなどございませんし、未来においてもその予定はないので安心なさって」
顔を床に向けたまま、上目遣いされた。
きゅんっ。
この目線……すごく胸が締め付けられて苦しい。
好き。
「ゼフィル様……どうか立ってくださいまし。わたくし、決めたことがあるのです。わたくしに悪いと思う気持ちが少しでもあるのなら、したがってくださいな」
「…………」
まだ怯えられているわね。
「あなたを傷つけることにはなりませんわ」
「……では、なんなりと」
立ち上がったゼフィルは、くっと顎を引き眉を寄せた目でわたくしを見た。
わたくしは、腕を組み、彼に宣言する。
「わたくしと結婚してください。わたくしが、あなたを幸せにしてみせます!」
「──は?」
「だいじょうぶ、どうか大船に乗った気で」
「どろ船……ではなく?」
「まさかですわ」
「……ホーネリス嬢、あなたは無体を働いた男に寛容すぎやしませんか?」
「それは……ねえ」
日本でしてたゲームでの最推しがあなただったから、では突飛すぎるし。
きっと言葉が通じないわ。
おいおいで良いでしょう。
「わたくしがあなたの運命の女だからですわ! 幸せ……もぎ取っていきますわよ!」
✿⠜
【拝啓、ホーネリス・エマル・ヒーロリア公爵令嬢へ
先日の、出来事のあとお身体に障りはございませんか?
あの朝、結婚で責任を取らせていただく運びとなった件、当方も前向きに検討させていただいております。
つきましては、当方の不肖を詫びる花をお受け取りください。 ゼフィル】
ときましたわね!
わたくしは、使いが持ってきた手紙と添えられていた花束から花を一本抜き取ってクルクル回した。
前向きって……、確定事項なのに。
まだまだ、わたくしの想いは伝わっていないのね。
言葉にしていないから、しかたないわ。
でもいきなり前世から好きですって言ったら、たぶん引かれるだろうし。
大好きな人と幸せになれる道を誤って尼僧院なんていや!
しっかり! 関係性を育みたいの!!
詫びとかいう余計な名目がついているけど、花束をもらったわ。
お礼をしないと……。
わたくしは、ダリアの花びらに唇を寄せてキスをする。
愛するゼフィルを、思い浮かべて。
✿⠜
パカラッパカラッ、ギャリイイイン!!
「ちょ、ホーネリス嬢! 俺を、どこへ拉致る気ですか!」
「拉致じゃありませんことよ」
「しかしっ! この状況は!?」
あら? 訪問して、時間があるというので襟首掴んで馬車に乗せたことかしら?
「申し遅れましたわ、ゼフィル様、お花をありがとうございます」
「は、はあ……?」
「わたくし、嬉しかったですわ」
「よかったです」
「う れ し かったのです。とても!」
「え、ええ……?」
「ですから、お礼をしたくなって」
あんぐり口を開けているゼフィルもいいわ。眉目は秀麗だし、体格だっていい。引き締まった筋肉はそれはわたし好みの鋭い線を描いているの。
うっとり見つめているうちに、目的地に着いたから、わたくしは馬車の戸を開け放ち、ゼフィルを招く。
「ここは……」
「お花屋さんですわ」
可愛らしい店舗はベランダからも窓辺からも溢れそうなほどお花で山盛り。
わたくしは、ゼフィルを向いてウインクしながら、ひとつの鍵を手渡した。
「あなたのものですわよ」
「は……はい?」
「ここの所有権をわたくし手に入れておりますの、それで、あなたに譲ります。このお花屋さんはあなたのもの。わたくしからのお礼です」
「は、花屋を……丸ごと? それが礼!? 俺は花束を贈っただけなのに!?」
「よいではないですか。それだけわたくしの気持ちは大きいのです」
「まさか……そんな。バカな」
「……本当です」
目を合わせて、しっかり見つめた。
藍色の綺麗な瞳が揺れて見える。
わたくしの真剣さが伝わったかしら?
その眼のすぐ下、頬を赤く染めて。
腕を上げ、袖口で頬を隠したゼフィルは、視線を横に逸らした。
「ふふっ。次にお花をくださるときは、このお花屋さんで選んでくださればいいですからね」
「なんて……人だ、あなたは」
ゼフィルは女の子ではないから、お花屋さんをプレゼントされても直接嬉しくはないと思う。
でも……わたくしがどれほど、彼のくれた花束に喜んだかは、伝えられたはずよ。
✿⠜
一流職人の作ったネックレスには、古代遺跡から発掘した秘宝のメダリオンで返し。
人気シェフのレストランでの料理には山の上の夕食時二時間しか開かない、予約三年待ち料理人のディナーで返す。
そんなやり取りをして、しばらく経ったわ。ゼフィルって負けず嫌いなのね。
わたくしを喜ばせようとする彼のサプライズやプレゼントの格が上がってきましたわ。わたくしも、うかうかしていたらお返しに困るくらい。
「もっと……ちゃんと、あなたを驚かせて喜ばせたいな」
髪留めのお礼に、懐中時計を返した帰り。ゼフィルと馬車止めまで並んで歩く。
「あら、ああやってお返しをしてはいますが、わかりませんこと? わたくしはあなたがくれるから、嬉しいんですのよ」
地球のように蒼い目が見開かれる。
ゼフィルが一歩下がったことで、彼のカフスボタンが、私のブレスレットにカチッと当たった。
こんなに手が近くにあるのだから、繋いでくれないの?
目配せすれば、ゼフィルはくぐもった吐息を吐いてわたくしとの間にもう一歩を追加した。
(初心ですわね)
わたくしたち、一夜を共にしたのに。
まだあれが最初で最後。
その後は……結婚を前提としただけで、清い関係。
袖と袖が触れ合うところで終わり。
見上げれば、紺から白に濃淡を描く空に、星の輝きがちらほらと。
この遊戯の……パッケージみたいな空だわ。
わたくしはヒロインじゃない。あなたも、攻略キャラではない。
(でも、私たちのほうが、この空にお似合いじゃありませんこと?)
✿⠜
気合いが入るわ……わたくしは、マーガレットの花が印刷された紙袋を抱き込んだ。
今日は「恋菓の日」この世界の恋人にお菓子を贈る祝祭。
日本のバレンタインの男女両方版ね。チョコレートに限ったわけではないから、お菓子の種類を選ぶのは悩ましかった。
ノックがされて、侍女がゼフィルの来訪を告げる。
来たわね。あなたはわたくしにくれるはず。
どんなお菓子を贈ってくれるの……?
「ホーネリス嬢、来てください」
「贈り物のお菓子の件?」
「はい、そうです」
「さて、どこへ連れて行ってくれるのかしら。老舗パティシエ? 新進気鋭の若手のお菓子? 有名シェフのレストランもありそうね」
ゼフィルが不敵に笑って、わたくしを馬車に乗せる。
道中も、彼は今日こそわたくしを驚嘆させられると、自信たっぷりに、でも楽しそうにそわそわしている。
(これは……お手並み拝見ね)
やがて馬車が到着したのは、屋内コロシアムのようなところ。
庶民から貴族まで楽しそうに行き来する催し……、看板に『宰相主催 ホーネリス嬢杯』とある!!
ゼフィルはそんなものを開いたの!?
特設ステージに案内されたわたくしは、このスイーツコンクールのメイン審査員ですって!
ゼフィルが鼻高々に言うの「あなたが一番に選んだお菓子を、俺からいくらでも贈らせていただきます」って。
目移りするくらい、見た目も味も素晴らしいお菓子たち。
わたくしの名前が冠されたコンクールに、参加した挑戦者はパティシエからシェフまで有名どころで、倒れそう。
迷った果てにわたくしは飴細工に似たカップケーキを一つ選び出した。
ゼフィルは優勝者からそのお菓子をたくさん買い込んで、わたくしへ贈るお菓子にした。
会場から受けたたくさんの拍手、コンテストのスイーツを買い込む人並みの中に、一瞬クラリエッタ王女の姿が見える。
彼女はスイーツ好きだったから、ここへお菓子を買いにきたのね。
大量のお菓子を捧げられ囲まれているわたくしに、一瞬刺すような視線を向けていた。
彼女が選んでエンドを迎えた他国の王太子キャラとは、お菓子のやり取りをしないのかしら?
……女遊びの激しい男キャラだから、エンドまではともかく、エンド後は苦労しているのかもしれない。
日本でのプレイ記憶では「軽い女たらしが自分だけ特別に好きになってくれるって萌えるけど、あのキャラはヒロインと結ばれたって治るタイプじゃない、将来は浮気しまくりそう」って思っていたわ。
もしかして……?
と、その思考は遮られる。
ゼフィルがスイーツの山の間から割り込んできて、わたくしのかたわらに立ったから。
「今日こそは、俺の勝ちだと思っています。……俺のほうが、あなたへの想いが深いと」
わたくしの顎をとって、しかと見つめながら艶めいた文句をかけてくる。
……わたくし、もしかして口説かれている?
「さあ、今日は『恋菓の日』です。あなたは俺に何をくれるかな? ……満足できなかったら、あなたで補填してもらおうかな?」
何を言っているのかしら! 終わったからもう気に留められていないとはいえ、会場にはまだ人がいるのに!
それに困ったわ。
わたくしが今回、ゼフィルに用意したのは、彼がくれたのに比べればあまりに……粗末なの。
テーブルに置いていたマーガレット柄の包みをわたくしはさりげなく、陰へ移す。
「おや? もしかしてこの袋ですか? そういえば朝から大切に抱いていましたね」
「……こ、これは。その、あまりに残念で」
「今回の、あなたから俺へくれる分ですね。いいから、見せてください」
あっという間に、包みを掻っ攫われてしまった。
なんてこと……あれは、わたくしの手製のチョコレートパイ。ゼフィルが用意したのと比べるとあまりに見劣りして、今日はわたくしの負け確定なのよ。
「──これはっ、もしかして……?」
わたくしは観念して、火傷と切り傷のある手を差し出した。
「はじめてつくりました。だから、不出来なの。たくさん試して、それでも“いちばんいいの”をもってきたのよ」
ゼフィルは言葉に詰まっている。
やっぱり、手作りはみっともなかったわね。
「……今日こそはと、思ったのに。俺はっ、なんて愚かなんだ」
ゼフィルが、崩れ落ちてわたくしを支えにするように、すがりつく。
「今回も俺の完敗です」
「え!? ゼフィル?」
「こんなの、勝てるわけないじゃないですか。あなたが俺のために作ってくれたものには、世界中から集めた高級菓子だって敵わない」
そんなふうに思ってくれる?
わたくしの“はじめて”を頬張ったゼフィルは破顔した。
「……おいしい! とても甘い……これは、あなたから俺への気持ちが甘いからだと、自惚れていいですか?」
「や、やだ……それはもちろん。わたくしがあなたに持つ想いは甘いですけど、でも! ……お菓子に出てしまうわけが……」
「出ています。俺にはわかりますよ。あなたからの……俺への気持ちが」
ゼフィルは、決意するようにくっと頬を引き締めたあと、わたくしの手をとった。
そして……切り傷の痕にキスをする。
「ゼフィル……っ」
「あなたの傷すら、俺には慕わしい」
まだ、手にキスされただけなのに。それ以上はないのに。
わたくし……これまでになくゼフィルとの間に、通うものを感じる。
胸のドキドキを隠して、わたくしはゼフィルと微笑み合う。
「来年は、俺もあなたにお菓子を作りたい。いいですか」
「もちろんですわ。わたくしも、来年はもっと上手くなっていますから」
✿⠜
俺の真の恋は、いつはじまったのだろう。
一つの恋が砕けて、その欠片に胸を刺されながら、手の届くところにいた令嬢の美しさに目を奪われた。
媚薬の熱に浮かされていたからといって、理性を溶かし──彼女の無垢を奪ってしまった。
許されない罪だ。
けれど、その相手が俺を「幸せにする」と言い出して度肝を抜かれた。
はじめは疑念もあったんだ、だが……彼女、ホーネリスはいつも俺の予想の斜め上をいく。
花束に、花屋ひとつを返されて微笑まれたとき。器の違いを見せつけられた。
圧倒された。
それだけでなく……心臓が早鐘を打って収まらなかった。
あれで恋は芽吹いたに違いない。
エスカレートするように贈りあったのは、ものだけじゃない。
いつもホーネリスの心と努力で裏打ちされていてた。
今度こそ俺の気持ちが勝るのだと用意したスイーツコンテスト。
そこでも俺は完敗を悟った。
外部のプロの力に頼った俺に対し、手づくりの気持ちであたってきたホーネリスが……俺はもう愛しくてたまらない。
できるかぎりのことをするんだ、俺は。
あなたのためになることなら、なんでも。
したいというそれは、俺の中心に凛と燃える、核だ。
名は、愛という。
✿⠜
──大切な記念だから『いちばんいいドレス』を着てきてください。
ゼフィルにお願いされて、わたくしは今日、気合いを入れて支度して彼の邸宅で開かれる夜会に来た。
『宰相就任5周年記念祝賀会』
宰相ともなると、こんなことでも夜会を開くの?
でも、ゼフィルは良い宰相をしていて人望があるから、お祝いに来ている人がたくさん。
……取り巻きが多すぎて、今日はちょっと近寄れないわ。
人がはけるのを待っていましょう。お仕事の人たちと話すのは大切なことだもの。
『いちばんいいドレス』……純白の地に、胸元とスカートにビーズ刺繍でつくられた虹色の蝶が留まっている、わたくしのお気に入り。
裾は幾重かの花びら型になっていて、乙女チックすぎる。けど、きっとゼフィルならわたくしといっしょで気に入ってくれる。
このドレス姿に、彼がどんな反応をくれるか今から楽しみ。
わたくしの期待の気持ちを色にしたような、鮮やかな赤のワインを手に取る。
グラスに映り込む姿で、わたくしはすぐ背後に立つクラリエッタ王女に気がついた。
「あ、あら……? クラリエッタ王女。わたくしに何かご用?」
警戒で、一歩身を引いた。彼女がわたくしによくない感情を持っていることが、佇まいでわかったから。
「ごきげんよう。ホーネリス公爵令嬢、今日はあなたにいいお話があってきたの」
「いいお話……?」
「あなた、もう処女じゃないから仕方なしにゼフィルに責任をとらせようとしているところなのでしょう? それを解消してあげる」
「は……?」
「バージンじゃなくていいから、あなたを妻にしたいって男性が現れたのよ。隣国の王族。王女の私が取り持ってあげるから、嫁ぎなさいな」
「はああ?」
わたくし、このクラリエッタ王女の『いわゆる小悪党ムーヴ』に先の予想がついたわ。
おそらく……。
「ゼフィルだけど、私が結婚してあげようと思って」
(ほら来ましたわよ。遊戯でも、小噺でも日本で嗜んできたやつですわ)
「ホーネリス公爵令嬢、知っておいで? ゼフィルは私に夢中だったのよ。それこそ、私があなたを抱いてこいって言ったらホイホイ聞くぐらいに」
媚薬を盛っておいて、よく口が回るわ……。
「ねえクラリエッタ王女、その前に教えてくださいな。あなたが選んだご立派な恋人、ヘーシンキ国の王太子はどうなさったの?」
「あ……彼? 彼は私にふさわしくなかったのよ」
「……そうでしょうね。王太子はあなた以外に三股していましたものね」
サアっと、クラリエッタ王女の血の気が引く。
「なぜ知っているのだ」と言いたげに、唇を震わせて。
クラリエッタ王女のことは気になっていた。今世は公爵家で財力が有り余っているのだから、密偵の十や二十雇って調べるわよ。
「ゼフィル様は、わたくしのためにスイーツコンテストを開いてくれましたが、王太子があなたに渡したのは庶民店の既成菓子箱だったとか。それでは王女にはふさわしくありませんわね」
「あ、あんた……! こっそり人のこと嗅ぎ回ったの!! それこそ、ゼフィルにはふさわしくないわ!」
「ほんの自衛ですわ」
「……! いい? 私は王女よ! 格から言ったら私のほうが高いのよ! お父様に告げ口してやるんだから! そうしたら王命で、ゼフィルは私と結婚するわ!」
クラリエッタ王女は腕組みして顎を上げる。
「ゼフィルは長年私に恋してたのよ、距離が近づけばすぐ私を愛してくれる。一途な気性だから、妻の私だけを大切にするのよ!」
鼻息荒く捲し立てるクラリエッタ王女、そこへ、ふっと冷笑が落とされた。
わたくしたちの間に割って入るゼフィルだった。
「そんなことにはなりませんよ」
「ぜ、ゼフィル!!」
ゼフィルは三人の男女を伴っていて、手を叩いて会場内の注目を集める。
「皆さま方、お伝えしたいことがあります! 彼らの話に耳を傾けてください!」
これに応え、まず、貴族学院の同級生が。
「……クラリエッタ王女に、自分がよく見えるようホーネリス公爵令嬢の悪虐な噂を流せと言われそのようにしました」
次に、以前家にいたメイドが。
「お金を渡されて、お嬢様に爪を剥がれたと触れ回りました」
王宮役人と見られる男が。
「舞踏会の夜、ホーネリス様のグラスにお薬を盛りました」
数々の悪行、想像がついていたけれど、改めて知ってため息を吐く。
「よくそれでヘーシンキ国の王太子のことをふさわしくないと言えましたわね……」
三人の証言に、会場内は大いに波だった。
クラリエッタ王女に侮蔑の視線が容赦なく注がれる。
「わ、私は王女よ! こんな……こんな扱い……」
ゼフィルが軽く咳払いをして、冷めた目でクラリエッタ王女に言う。
「俺は、先に陛下に謁見してこれらの証言を聞いていただきました。俺にしたことも。陛下は激昂されて、『クラリエッタ王女は勘当だ。人前に出せるものではないので親として最後の責任をとり、以後は幽閉する』と仰っていました」
「な……! なっ! パパが……そんなことを……」
ふらりと膝をついたクラリエッタ王女がゼフィルの袖を掴んですがる。
「ゼフィルなんとかしてよお! 私と結婚していいから助けてよお! 私のこと好きだったでしょう! わかってたのよ!」
ゼフィルはぐいっと手を引いて、クラリエッタ王女を引き離す。
「あなたへの想いは、恋に恋した若気の至りでした。恋する自分に酔っていただけだった」
ゼフィルの言葉に、クラリエッタ王女の顔に朱が差した。もうゼフィルが自分に情の名残すらないと理解し、恥辱にわななく。
ゼフィルはわたくしの腰に手を回し、抱き寄せた。
「彼女と心を通わせていくことで、真に恋するとは何かを悟りました。俺は、ホーネリス嬢を深く! ……深く、愛しています」
ゼフィルが、わたくしのこと愛してるって言ったわ。
深く……って。
どうしましょう、顔が火照る。荒くなった息まで熱い。
そんななさけないわたくしなのに、ゼフィルのわたくしを見つめる眼差しが、強い……!
「ゼフィル様……!」
「そんなに頬染めて、かわいらしいったらなくて困ってしまう……まだ、言うべきことがあるのに」
「言うべきこと?」
コクンとうなずいたゼフィルは、クラリエッタ王女の弾劾でざわめいているホールへ声を張り上げる。
「皆さま! 不快な証言をお聞かせしてすみませんでした。ですが、次はお耳直しの朗報、本日のメインです!」
再び、会場はしん、と静まり返る。
キョトンと目を瞬くわたくしに、ゼフィルは「『いちばんいいドレス』を着てきてくれたね、とても綺麗です……ありがとう。記念にピッタリだ」と囁く。
そして、ホール内に高らかに宣言する。
「俺は、ホーネリス公爵令嬢との結婚を決めました! 彼女が許してくれるなら『春綴りの日』に結婚式を挙げる準備があります!」
今度はホールは一気にホールへ歓声が湧く。『春綴りの日』は一年で一番結婚した花嫁が幸せになれると言い伝えられている日。
「……断らないですよね? あなたは、俺を幸せにしてくれると言いました」
もちろん。わたくしはぶんぶん首を縦に振る。
公爵令嬢として、はしたない返事だけど、嬉しいのだもの。
「よろこんで、その日あなたの花嫁になりますわ」
耳が痛くなるほどの、祝福の拍手喝采。
その反対側で、クラリエッタ王女は目を見開いて人形のように表情を固めていた。
「うそ……こんなのなにかの悪夢よ……うそ」
王城から来た衛兵が、彼女の両側から脇をとり、引っ張っていく。きっとこれから幽閉されるのだろう。
「いやよ! いやあああああああ!」
悲鳴が耳に残りかけたけど、ホールの扉が閉じられて断ち切られた。
みんなの気を取り直すように、ホールへ花びらのシャワーが撒かれて、わたくしとゼフィルに降り注ぐ。
『いちばんいいドレス』を着てきてよかったわ。
でも、きっと近いうちこのドレスが『いちばん』ではなくなる。
近い未来、『春綴りの日』にあなたの横で着るドレスに『いちばん』を譲ることになるわ。
✿⠜
『宰相就任五周年記念祝賀会』という、実質わたくしへの求婚がメインだった夜会は、話題たっぷりで終わったわ。
サプライズの連発に、少し疲れた。
お客様のお見送りが済んで、わたくしはゼフィルと彼の私室に来ている。
部屋に入ってからというもの、わたくしは長椅子で……なぜかゼフィルの膝に抱き上げられたまま。
「ねえ、そろそろ……おろしてくれません?」
「だめです」
「だ、だめですって、そんな!?」
「ふふっ、今日はあなたの慌てた顔がたくさん見れる」
ゼフィルの青い瞳と視線が絡み合った。恋しいと、温かさが心に滲んでくる。
「……祝賀会は驚きましたわ。宰相就任五周年なんて、名目だったのでしょう?」
「ええ、本当はあなたの汚名をそそぎたかった。何より、俺とあなたが結婚の決まった仲だと、世間に知らしめたかった」
「仕方のない人」
すこし、黙っていたことにつむじを曲げたふうを装えば、ゼフィルは余韻の残る息の吐き方をして、わたくしの頬を親指で撫ぜた。
「……あなたを、俺がこの手で散らしてしまった。その贖罪になりましたか?」
「贖罪だなんて、やめてくださいな。わたくし、ちっともあなたに『散らされた』なんて思っていません。まだわかってくださらないの?」
「あなたが、俺を広く深く受け止めてくれていると、知っています。でも……俺の認識で罪は罪で変わりない」
「頑固なんだから。それに生真面目」
「宰相として、良い資質だと思います」
そこで胸を張りますの?
わたくしは両手を上げて、ゼフィルの頬を手に包みこむ。
そして、堂々と言う。
「わたくし、黙って散らされるようなタマではございません。それに──」
意識して、目を細める。満面の笑顔を、あなたにあげる。
「散らされたとしても、また咲けばいいのよ。何度だって」
わたくしは、それくらいには逞しいのよ。
ぱちぱち瞬きしたゼフィルが、吹き出した。
「あなたらしい! そうですね、あなたはそういう人でした!」
ぎゅうっと、頬同士が触れ合うほど抱きしめて、ゼフィルは言う。
「何度だって咲き誇ってくれるでしょう、俺の横で。そうですね? ホーネリス」
「ええ、わたし綺麗に咲いてみせますから」
わたしは、この世界で──最推しのゼフィルと、きっと幸せな未来を築いていける。
最後までお読みいただきありがとうございました!
少しでも楽しんでいただけましたら、下部の星をポチッとしていただけると励みになります。
ぜひ、よろしくお願いします。