地獄のクロアゲハ 3
「さて、帰ろうか」
そういって電柱から身を離し、とっとと先を行くライア。
「…あんた、どこに泊まる気?」
「ん? そりゃー忠誠を誓うご主人様の家だよ」
これといってなんら問題ない。とでも言うように、さらっと言ってのけた。
「……本気か?」
「もちろん」
肩越しに振り返ってにっこりとほほ笑む。私とて、こんな奴には興味ないが、仮にも異性と同じ屋根の下で生活するのは気が引ける。というか、必要以上にライアとともにいるのは嫌だ。
「そうはいっても、俺は君から離れられないんだよね」
私の思考を読んだのか、困ったように肩をすくめるライア。
「仕方ないよ。俺だって君に手は出さないさ」
殺されそうだからね、と付け足して踵を返す。
私も黙って十歩程後ろを付いていった。
「…おお」
一定の距離を保ちながら家にたどり着いた私は、門を開け玄関へと足を運ぶ。
後ろではライアが無駄に広い庭を見て、感嘆の声を上げていた。
「広いんだね、君の家」
「…別に。邪魔なだけ」
「あはは、言うと思ったよ」
乾ききった笑みを浮かべ後を付いてくるライアが、玄関に入るのを見届け、私は二回の自へ向かう。
「俺も行っていいのかい?」
「別に問題はない」
階段の下で呼びかけるライアにそう答えた私は、3つドアがある内の階段から一番遠い左端のドアを開けた。
半拍遅れて部屋に入ってきたライアは、翡翠の瞳を小さく見開き、入口に固まる。
「はは、まいったね。まったくの予想外だよ」
肩をすくめ、部屋に一歩足を踏み入れる。
「クローバー柄の若草色のカーテン。窓際の蒼い竜胆。本棚は本でいっぱい、ベットは水玉の布団。…うん、まったくの予想外で予測通りだね」
『予想外で予測通り』。私は、その言葉に引っ掛かりを感じ、後ろを振り返る。
「どういうこと?」
怪訝そうに聞くと、ライアは目を細め、にっこりと笑うだけで、何も答えなかった。そのかわり、ぐるっと部屋を見渡してから口を開く。
「ここは本当に君の部屋かい?」
「……」
決して私の質問に答えようせず、話をそらしたライアを睨めつけ、無言で背を向ける。
風呂に入るときに邪魔なコンタクトを取り、夜出てくるときに外していた眼鏡の横に置いてある、ケースの中に入れた。
「無視って酷いなあ。あ、別に文句があるわけじゃないからね? ただ、俺の『予想』では真っ白のベットと小さな机だけだったから驚いたまでさ」
「……失礼な奴」
「褒めことばとして受け取っておくよ」
コートをハンガーにかけ、箪笥から寝巻のジャージを取り出す。
「お風呂に入るのかい?」
そう問いかけたライアに頷いてみせ、手を前にかざした。それだけでライアの体は針金に巻かれる。
ドンッと鈍い音を立てて、床にうつぶせになったライアはうめき声一つ上げずにただ困ったように私を見上げた。
「…まさか君があがってくるまでこの状態?」
呆れたようにうかべる微笑とともに聞いてくるライアを見下ろし、ドアノブに手をかける。
「大人しくそこで倒れてて」
「酷いなぁ。もうちょっと使い魔信用してもいいんじゃない?」
「あんたを信用するのは無理」
私は吐き捨てるようにそう言って、部屋を出た。服に付いた返り血がすごく気になる。
こびりついて取れない血を払いながら、閉まっていくドアを振り返ると、そのわずかなすき間からライアの笑みが見えた気がした。