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CALLAIS  作者: ねこじゃ・じぇねこ
隠れ里の仲間はずれ
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12.術の取り消し

 ここからの記憶は、非常に曖昧だ。混濁する意識をどうにか保ち、ただただ眠らないように抗うので必死だった。その間にもじわじわと精神が蝕まれていく。凍えてしまいそうなほど冷えていく。ずっと腕を握っているルージュの手のぬくもりだけが、癒しとまで思えるほどだった。

 そんな状況下であっても、なお、ルージュとクレセントの会話だけは、はっきりと聞こえ、どうにか脳裏に刻まれた。


「まずは礼を言いましょう」


 穏やかな声でルージュがクレセントに言った。


「あなたのように、広い視野を持つ人がこの村に居てくれてよかった。おかげで、この村の人たちを皆殺しにせずに済みそうだもの」

「礼には及びません。私はただ、この村を守りたかっただけです」


 クレセントは落ち着いた声で答えた。


「ですが、どうか約束していただきたい。この村の者たちに手を出さないと」

「ええ、いいでしょう。今後、この村に不用意には近づかないと約束するわ。けれど、そのためにも、あなた達の方も城に近づかないと約束してくださる? 小さな子供や、老いた者たちが迷わぬように、よく目を光らせておいてちょうだい」

「分かりました。約束通りにいたしましょう」


 短い取引の果てに、ルージュは満足そうに笑ってみせた。


「話が早くて嬉しいわ。いい事、絶対よ。月光の城は今、獰猛な番犬がいるの。狼殺しに取り憑かれた男よ。迂闊に近づけば撃ち殺されかねない。そうして命を落とす者がいても、私は責任を取れない。いいわね?」

「ご安心ください。あなたの城には誰も近づけません。たとえ、アンバーであっても」


 その名が聞こえて、私は一瞬だけ我に返りかけた。このままでは、引き離されてしまう。その実感が高まるにつれ、焦りは強まった。

 そんなのは嫌だ。


「アンバー……」


 私がその名を口にすると、咎めるようにルージュの手に力がこもった。一瞬だけ、心が怯みそうになったが、私は黙らなかった。


「アンバーに……伝えないと……狩人が──」


 だが、うまく言葉にならない。気持ちが急くと同時に、意識が混濁していたのだ。起きている事だけでも精一杯なのだから仕方ないだろう。

 譫言のように繰り返すことしか出来なかった私を無視する形で、ルージュは再びクレセントへと声をかけた。


「番犬はしばらくの間、城の周辺をうろつくわ。けれど、ずっとではない。そう経たないうちに、ここを離れる予定にしているの。その時には契約も切れる。ここで狼狩りが出来ないと分かれば、彼もいなくなるでしょう」

「承知しました。それまでの間、あなたの邪魔をする者が現れないように取り計らいましょう。アンバーがその方を巡って勝手に動きそうになった時は、我々が幽閉いたします」

「お願いするわ。出来れば、殺したくはないもの」


 そう言ってから、ルージュは音もなくしゃがみ込んだ。

 背後から私を抱きしめると、囁くように彼女は言った。


「クレセント。ついでにもうしばらく周囲を見張っていてくださる? アンバー、あの子が来てしまわぬように」

「構いませんよ」


 短い同意の後で、ルージュの手が私の衣服の中へと入り込んできた。敏感な場所に触れられ、身が強張った。求める感情と、拒絶する感情が同時に沸き起こり、心が引き裂かれそうになった。


「……いやだ」


 意地とプライドを頼りにして、絞り出すようにどうにか拒絶の言葉を口にするも、抵抗には及ばない。あっさりと触れられて、私はぎゅっと両目を瞑った。震える私に対し、ルージュは囁いてきた。


「相変わらず頑固な子ね。こうやって、意識を保ち続けられるなんて凄い事よ。けれど、それだけに可哀想。さっさと飲まれてしまえば楽だったのにね。なまじ抵抗できるだけに却って苦しい思いをすることになる。ねえ、カッライス。抵抗はやめなさい。この村であなたは何に悩んだの? 愛しいあの子と最後に何を話したの? あなたも分かっているのでしょう? あの子の未来の為にも、あなた達はここで別れた方がいいってことを」


 そう言いながらルージュが触れていくのは、アンバーにつけられた傷跡だった。もともとはルージュにつけられた傷を取り消すようにつけられたものばかりだ。だからだろう。ルージュの手が触れるたびに、熱ってしまう。まるで、喜んでいるようで恐ろしかった。

 そして同時に気づいた。この村に来てからずっと、アンバーと肌を重ねていなかったことに。きっと、村の食事が彼女の欲望を満たしてくれていたからだろう。それは勿論いい事ではあったのだが、私にしてみれば、不安なことでもあった。私の心身が、アンバーの手のぬくもりを忘れかけていたのだ。


「この様子だと、五分もかからないわね」


 その先は、あまりにも一方的に事が運んでいった。


 アンバーのかけた術が、破られていく。五分もかからないどころか、一分もかからなかっただろう。意地も、プライドも、粉々にされていく間、私はひたすら後悔していた。

 クレセントを信用しすぎた事。ナイフすら持たずに出てきてしまった事。無警戒で捕まってしまった事。そして、アンバーと最後に喧嘩をしてしまった事。

 どうにもならない後悔が私を苦しめ、最後の抵抗のための気力すら削いでいく。やがて、術が完全に破られた時、私の心はとうとうルージュに屈してしまった。


「……ルージュ」


 その名を呼ぶ自分の声が違う。自覚はあったし、違和感もあった。けれど、少し前までの感覚にはもう戻れなかった。

 私の本来の主人はルージュだ。愛しい相手はルージュなのだ。アンバーではない。その事実をやっと思い出した時、ルージュは私の体を解放した。


「おかえりなさい、カッライス」


 やや冷たい声でルージュは囁いた。


「あなたとの追いかけっこ、なかなか楽しかった。本気で私を殺そうと頑張ったのよね。可愛いあなたになら殺されてもいいかもと思ったくらいだったけれど、ハニーがそれを許さないの。だから、もうおしまいにしましょう」


 おしまい。その言葉が強く頭に響いた。従わなくては。そんな思いが強まり、抵抗する気にもなれない。けれど、そんな中で、涙だけが溢れてきた。

 どうして泣いているのか、自分でも分からない。悔しいのか、悲しいのか、それすらも自覚できないまま、小さな子供のように泣き続けていると、ルージュは静かに笑った。


「泣いても無駄よ。どちらにせよ、あなたの居場所はここにはないの。ペリドットは子育てから解放されて恋人とようやく落ち着いた。アンバーは本来の家族と故郷に巡り合えた。じゃあ、あなたは? あなたの居場所は何処にあると思う?」


 問いかけられ、私は息を飲んだ。答えたくない。そんな抵抗が一瞬だけ浮かんできた。

 アンバーの術を破られ、秘術に乗っ取られた心身であっても、少しは自由意志の入り込む余地が残っていたのだろう。その僅かな意識に縋りついて、私は唇を結んだ。


「本当に頑固な子ね。まさか秘術に抗ってくるなんて」


 呆れたようにルージュは言った。


「けれど、その頑固さも魅力ではある。簡単に奴隷になってしまうのはつまらないもの。従順ないい子よりも、わがままで癖のある子を飼い慣らしたときの方が喜びは大きい。いいわ、あなたがその気ならば、私も容赦はしない」


 そして、ルージュは私に唇を重ねてきた。柔らかいその感触に、私の胸が高鳴った。長らく、アンバーの感触しか馴染みがなかったはずなのに、一瞬にして思い出してしまった。秘術をかけられた日の事。攫われたその日のうちに、その当時、アンバーとは超えられなかった一線を超えさせられた時の事。

 あの時、私はルージュに対してどんな思いを抱いていた。憎しみでもなければ、恨みでもない。恐れは多少あったかもしれないが、それが全てではない。

 私は確かに、ルージュの事を愛していたのだ。

 小さい頃は母親に対するものだと思っていた。だが、あの日、ルージュと私はそういう関係ではないとこの身をもって教えられた。そもそも私が生まれる事を望んだのだってルージュだったのだ。アンバーのように故郷があるわけではない。居場所があるわけではない。仮に居場所があるとすればそれは、ルージュの傍なのだろう。

 一頻り口づけを交わしてから、ルージュは唇を離し、冷たい声で私に告げた。


「これは命令よ。私に服従しなさい」


 その言葉が頭に響いた瞬間、私の視界は真っ暗になってしまった。

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― 新着の感想 ―
物語の展開としては絶望的な状況だけど、ずっと見たかったシチュエーションでもあって複雑ぅっ! 「アンバーさんNTRれてるよっ!」って気持ちと「ルージュ様おめでとうございますっ!」って気持ちがせめぎあって…
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