8.満月の祭り
悶々としたまま、時は過ぎていき、いつの間にか祭りの日は訪れた。
満月の日を挟んだ三日間に渡る行事。どうするべきか悩みつつも、私はとりあえず、小屋の周囲からあまり離れないということで、見学をすることになった。
村の代表であるエクリプスや、クレセントは、私に対しても丁寧だったし、モネやチャンドラ、それにルナをはじめとした子供たちは親しく接してくれたのだが、クレセントが言うには、村の者の中には私が人狼でないことにこだわる者もいるらしい。
そのため、私の見学にも様々な注文がついた。
「子供たちと一緒にいる限り、安全ではあるはずです。けれど、遅くまで祭りに参加するおつもりでしたら、あまり気を抜かないように。羽目を外して乱暴になる村人もいるかもしれませんので」
当日の朝、祭りの日らしく特別な格好をしたクレセントの忠告を、私はアンバーと共に大人しく聞いていた。
一頻り、注意点を語り終えて彼女が小屋を出ていくと、扉がしっかり閉まるのを待ってから、アンバーは呆れたように言った。
「気を抜くなっていうのなら、護身用のナイフの携帯くらいは許して欲しいものだね」
「仕方ないよ。子供や老人もいるって聞いたらさ」
「その子供や老人だって魔物なんだ。カッライス、いくらルナたちが無邪気に思えても、それは忘れるなよ。特に日が落ちた後は、アタシの傍を離れるな」
「……分かった」
三日間に渡る祭りというと盛大だが、これまで訪れた都に比べてこの村は小さい。出来る事も限られているし、大前提として人狼による人狼のための催しだ。用意された食べ物の殆どは口に合わないはずだし、それ以外の出し物もさほど期待できるものでもないだろう。と、そうは思っていたのだが、いざ祭りが始まってみると、それなりに楽しく見物することができた。
そもそも、魔物の祭りに参加できることなんて滅多にないだろう。貴重な機会なのだと思うと、一つ一つが途端に興味深いものに思えてくる。普段より人狼は人間と見分けがつかないと思ってきたものだが、この度の祭りもそうだった。何も知らずにここへ来たならば、彼らが人狼だなんて思いもしなかっただろう。ただただ陽気に歌い、踊るその空気を味わっていたに違いない。
村の子供たちの誘うような微笑みもあって、その高揚感と一体感につい飲まれそうになったが、私はぐっとこらえた。アンバーもまたそうだった。私の手を離さず、一定の距離を保って見つめている。
そんな傍観者の私たちに、モネやチャンドラたち一部の大人は優しく接してくれた。私の口に合うような食べ物も、わざわざ用意してくれたらしい。気遣いに感謝して口にすると、味はかなり良かった。
「祭りはこのまま続きますが、そろそろ離脱して就寝する者も出てくるころです」
辺りが暗くなり、眠気も生じてきた頃、そう教えてくれたのは、祭りの途中でそっと近づいてきたクレセントだった。
「この祭りの本番は明日。満月の日の朝から晩です。一日中参加したいのであれば、そろそろ眠った方がいいかもしれませんね」
静かに諭されて、アンバーはやや首を傾げた。
「……満月っていうと、つまり」
言葉を濁す彼女に、クレセントはこくりと頷く。
「皆、姿が変わります。本来の姿で歌い踊る。それがこの祭りの要なのです。陽気な狼たちの祭りを、ぜひ、ご覧ください」
本来の姿で。その言葉が頭に残った。
満月の日は、アンバーがいつも頭を抱える日だ。しかし、この村にいる限りは違う。狼の姿になろうと、堂々としていられる。いったいどれだけの解放感なのだろう。人狼ではない私には、どんなに頭を働かせようと、想像もつかなかった。
そして翌日、満月の日はやってきた。
目を覚ましてみれば、アンバーはもう起きていた。狼の姿でいるが、いつものように縮こまってはいない。堂々とした様子で窓の外を見つめ、戸惑い気味に様子を窺っていた。
「分かっていたけどさ、皆、アタシと一緒だ」
淡々と呟く彼女に引き寄せられ、一緒になって外を眺めてみれば、彼女の言う通りの景色がそこにあった。
昨日まで人間の姿だった村の者たちが、今は様々な毛色の狼の姿で行き来している。中には狼の姿で器用に物を運んだり、支えたりしながら、祭りの準備をしている者もいる。
誰も彼もが身を隠したりする必要はない。ここは本当に人狼の為の村なのだ。
「……外に出てみる?」
そっと問いかけると、アンバーは獣の目をこちらに向けてきた。そして、何処か気恥ずかしそうに頷いた。いつもより不器用になっている彼女の代わりに扉を開けてやると、アンバーはおずおずとしながら外に出た。大丈夫だと分かっていても、いつもの癖で緊張してしまうのだろう。だが、外に出てすぐに、早起きした狼姿の村の子供たちに囲まれ、ホッとしたようだった。
子供たちはアンバーにじゃれつくと、そのまま無邪気に何処かへ駆け出してしまった。アンバーがそっと私を振り返る。様子を窺うような彼女の眼差しに対して、私は声をかけた。
「少し走っておいでよ。せっかくの機会だしさ」
すると、アンバーは嬉しそうに目を輝かせ、人の言葉で答える前に走り出してしまった。まるで本物の狼になってしまったかのよう。彼女の後ろ姿を眺めながら小屋の傍に座り込み、私は一人、そんな感想を抱いていた。
──行ってしまった。
少しばかりの寂しさを覚えながら、アンバーが走っていった方向を見つめ続けていると、不意に横から男性の声で話しかけられた。
「満月の日に人間姿って言うのも逆に新鮮ですね」
驚いて顔を向けると、そこには狼がいた。無論、ただの狼ではない。人狼だ。だが、誰だろう。一瞬分からず混乱していると、彼は苦笑しながら尻尾を振った。
「ああっと、失礼。チャンドラですよ。おはようございます」
「お、おはようございます」
確かに声はチャンドラだ。目の色は毛色も、前に見た人間の姿のチャンドラと特徴が一致している。静かに納得していると、チャンドラは私に言った。
「祭りを見学されるそうですね。自慢の村の自慢のイベントを見てもらえるのは嬉しい限りです。ですが、モネさんが心配されておりましてね。この祭りは酒も入るし、そうでなくても満月の夜って言うのは、気が昂るものなのです。羽目を外したり、乱暴になったりする者もいる。そういった輩にあなたが傷つけられやしないかってね」
「ご心配ありがとう。でも、大丈夫ですよ。これでも狩人なので」
「はは、確かにいらぬ心配かもしれませんね。けれど、どうかお忘れなく。あなたの身に何かあれば、傷つくのはアンバーです。モネさんも、オレも、それは望んでいない」
そう言って、彼は立ちあがると、傍に置いてあった小さな麻袋を私に差し出してきた。
「こちら、モネさんからの預かり物です。中には干した木の実が入っておりまして、何でも人間にとっては非常食にもなるのだとか。今日は新鮮な料理をお届けできないので、せめてこれを差し入れたいとのことでした」
「ありがとうございます」
「お礼なら、どうかモネさんに。では、オレはこれで」
そう言って、チャンドラもまた走り去ってしまった。
アンバーが戻ってくる前に、モネを探してみようか。一瞬、そう思ったのだが、考え直した。この状況だ。向こうから話しかけてくれない限り、誰がモネなのか分からない。
仕方なしに溜息を吐いて、私はアンバーの帰りを待った。
ところが、アンバーはなかなか戻ってこなかった。どこかでトラブルにでも巻き込まれたのではないか。不安が生じ、時間の経過と共に増していく。
それでも、帰ってくるかもしれないと思うと動くに動けない。そんな状態でただ時間だけが過ぎて言った頃、見覚えのある月毛の狼はようやく戻ってきた。
「だいぶ遅かったね」
そっとその顔に触れながら声をかけると、アンバーは狼ながらに何処か申し訳なさそうな顔をした。
「ごめん、うっかり時間を忘れてしまって」
「いいんだよ。楽しかったのなら何よりだ。だけど、ちょっと鼻を貸して欲しいんだ」
「どういうこと?」
「モネさんにお礼を言いたくて。これ、チャンドラさんが持ってきてくれたんだ。私の口に合う料理を作れない代わりに……だって」
「そっか。よかった。カッライスの食事はどうなるんだろうって薄々思っていたからね。分かったよ。モネさんを捜してくるから、ここで待っていて」
「う、うん」
こちらの返事も待たずに、アンバーは再び走り出してしまった。その後ろ姿を見送り、私はふと感じたのだ。あの姿で自由に動き回れることが嬉しいのではないだろうかと。そうだとしたら、その首に鎖をつけるようなことなんて、とても出来なかった。
「アンバー……」
やっぱりこの村は、彼女の居場所なのだ。
分かり切っているはずの事が、何度も頭の中で木霊した。




