6.村の昔話と住民たち
案山子が数体。私はしばらく茫然と見つめてしまった。もうすぐ始まるという祭りのための装飾なのだろう。各地でよくあるものなのかもしれない。だが、こうした催しには、あまり馴染みがなかった。
ルージュを追って様々な場所を巡るにあたって、各地の祭りを知る機会というものはあったけれど、その一つ一つにじっくりと向き合うことなんて殆どなかった。特に小さな村──それも、魔物たちの村の祭りなんて尚更だ。
こうやって装飾された広場、そして、着飾られた案山子を見ていると複雑な気持ちになる。何故なら、ここで暮らしている人狼たちもまた、人間と変わらない暮らしをしているのだということを見せつけられているような気持ちになるからだ。
今まで仕留めてきた、他の魔物たちもそうだったのだろうか。
「みんな、お姉ちゃん、連れてきたよ」
得意げに自慢するルナの声に、我に返る。気づけば私は村の子供たちに取り囲まれていた。その多くはまだまだ小さい子供で、年齢もルナとそう変わらない。
彼らよりも少し年上の子供たちは、遠巻きに私たちの様子を窺っていた。その一人、見覚えのある少年と目があった。ブラン。ルナの兄だ。こちらの輪には入ろうとせず、ただただ警戒を薄めないまま私を見つめている。
一方で、私を取り囲む小さな子供たちは無邪気なものだった。
「すごいね、ルナ。本当に連れてきちゃった」
「お姉ちゃん、名前はなんていうの?」
「狩人さんって鉄砲を持ってるって本当?」
口々に喋りだす子供たちに翻弄されていると、私の代わりにルナが答えた。
「カッライスって名前なんだよ。カッライスって意味はね、このおめめみたいな水色の宝石のことなんだって」
ルナの説明に、子供たちは口々に「へえ」と感心する。教えることが出来て一頻り満足すると、ルナはハッと我に返って子供たちに言った。
「それでね、今はカッライスに村を案内しているところなの。もうすぐ楽しいお祭りがあるでしょ。この案山子とか、みんなで作ったリースとか」
そう言って、ルナは案山子と共に飾られている草花のリースを指し示した。季節の花々で彩られたそれらは、きっとルナたちにとっての自慢の品なのだろう。確かに、よくできていた。
「このリースはね、村の子たちは今日も元気ですっていう、神様たちへの報告なんだって。だから、大人以外は全員で好きなお花を挿していくんだよ」
ルナが嬉々として説明すると、それを聞いていた他の子供がそっと口を挟んだ。
「ねえ、ルナ。案山子の説明はした?」
「まだだった!」
ルナはやや大げさに驚くと、次は数体の案山子を指さした。
「この案山子たちはね、この村の昔話に出てくる勇者たちなんだよ」
「勇者……」
思わぬ言葉に問い返すと、ルナはこくりと頷いた。
「昔、この村の子供たちを攫う悪い鬼が出た時に、鬼を追い払って助けてくれた正義の味方たちなの。今は神様になってこの村を守ってくれているんだよ」
「悪い鬼っていうのはね、今も近くに暮らしているんだって。綺麗な女の人の姿をしているけれど、絶対に近寄っちゃいけないんだって」
他の子供の言葉を聞いて、私は静かに納得した。
恐らく、ルージュの事を言っているのだろう。この案山子のもととなった者たちが戦ったという悪い鬼が、彼女であるかどうかは分からない。だが、少なくとも今、この村を脅かしている存在は、彼女に違いないのだろう。
「その悪い鬼の女の人について、もう少し聞かせてくれる?」
私がそっと訊ねると、子供たちは不思議そうに首を傾げた。
「どうして?」
一人の子供にそう問われ、私は微笑みながら答えた。
「私はその人を追ってきたんだ。悪い鬼を退治するのが私の仕事なんだよ」
「狩人さんって、狼を撃つ人なんじゃないの?」
他の子供に訊ねられ、私は言葉を選びながら答えた。
「そういう人もいるね。だけど、私は違う。少なくともここの人たちを撃ったりはしない」
はっきりとそう伝えたことが役に立ったのだろうか。子供たちはすっかり安心したようで、自分たちの知っている鬼の事を口々に教えてくれた。
ただ、残念なことに、寄せられた情報はどれも子供らしい怪談ばかりで、ルージュを追い詰めるのに役立ちそうなものは見当たらなかった。
そうこうしているうちに、村の何処からか鐘の音が聞こえてきた。
「食事の時間だぞ」
そう言ったのは、遠巻きに見ていた少年ブランだった。年長の彼の事を少し怖がっているのだろうか。子供たちは慌てたように散り散りになって、そのまま何処かへ走り去ってしまった。だが、ルナはというと、「カッライスも」と言って、私の服の袖を引っ張ってきた。そこへ、ブランが声を荒くした。
「ダメだ」
吠えるようなその声に、ルナが首をすくめる。その表情を見て少し冷静になったのか、ブランは溜息を吐いてから、付け加えるように言った。
「お客さんのご飯は僕たちのとは違うんだってさ」
その説明でようやく納得したのか、ルナは渋々頷くと、私に手を振ってから他の子たちを追いかけるように立ち去ってしまった。彼らを見送ると、私はそっとブランに話しかけてみた。
「ブラン、だったよね」
だが、それ以上何かを言う前に、ブランは睨みつけるように私を振り返ってきた。
「吸血鬼退治は結構だけれど、僕たちにあまり関わらないで」
そう言い捨てると、彼もまたルナたちを追いかけるように立ち去ってしまった。
後に残され途方に暮れていると、不意に背後から声をかけられた。
「すみませんねぇ」
振り返るとそこには村の青年がいた。
年の頃は、私とそう変わらないだろう。
苦笑しながら彼は私に話しかけてきた。
「お年頃なもので。ああいう時期の子供ってなかなか難しいんです。オレもそうだったな」
「えっと、あなたは……」
ふわふわとした赤褐色の髪に、金色の目。オオカミであることを悟らせないような親しみ深い表情で、彼はそっと私の隣へと近づいてきた。
「名乗り遅れましたね。オレはチャンドラっていいます。あなたは、アンバーの連れのお方でしたよね。名前は確か、カッライス」
頷きつつ、私もまた静かにその名を反芻した。チャンドラ。しっかり覚えている。身の回りの世話を引き受けてくれたモネが、アンバーに紹介したという人物だ。
モネの息子にとって、妻側の甥っ子に当たるという彼。もしもモネの息子夫婦というのがアンバーの両親だとしたら、彼は従兄弟ということになる。
「聞いていた通り、綺麗な目だ」
気づけばチャンドラはじっと私の目を覗き込んでいた。
「おっと、失礼でしたね。人間の中にはそういう目の者もいるとは聞いていたけれど、この辺の者たちはだいたいが月の光のような色の目をしているもので」
「いえ、いいんです。気にしてません」
目を逸らしつつそう言うと、チャンドラはホッとしたように笑ってから、さらに話しかけてきた。
「ところで、カッライスさん。アンバーと喧嘩でもしました?」
「え、えっと」
戸惑いつつ、私は答える代わりにチャンドラに問い返した。
「彼女、何か言ってましたか?」
「いえ、村の片隅でなにやら落ち込んでいましたのでね。もしや、と思ったのです」
「そうでしたか……」
溜息が漏れてしまう。こういう時は、お互いに距離を置いて、しばらく頭を冷やすというのも一つの手だ。だが、本当にそれでいいのか悩みもする。もう少し、私たちは腹を割って話し合った方がいいのではないか。
「お節介だったら申し訳ないが、彼女は村の西側におりますよ」
「西側……」
太陽の位置が分からず見渡す私に、チャンドラは一方を指さした。
「あちらです。あそこには墓がありましてね。オレの祖父母が入っているんです。もしかしたら、アンバーにとっての母方の祖父母でもあったかもしれないってことで、ここへ来てから何度か訪れているみたいなんです」
墓地。その単語に、私はまたしても心細さを覚えた。
ここは人狼の村。アンバーが育つはずだったかもしれない場所。本来の家のような場所だとしたら、そっとしておいた方がいいのだろうか。
そんな私の背中を押すようにチャンドラは言った。
「どうか行ってあげてください。きっかけを欲しがっているはずですから」
穏やかなその声掛けに、私は静かに頷いた。
「ありがとうございます」
彼の言葉は、今の私にとっては大きな救いとなり得るものだった。




