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CALLAIS  作者: ねこじゃ・じぇねこ
吸血鬼の愛し子
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9.数年ぶりの再会

 久しぶり、その声を聞いた途端、私の体はぴたりと固まってしまった。

 凍り付いてしまったという方が正しいかもしれない。

 恐ろしかった事もある。

 狩人になる修行で、もっと恐ろしい猛獣や魔物と対峙したことは既にあった。

 だが、この時ほど緊張したことはまだなかったのだ。


 ルージュが吸血鬼としても大物だからだろうか。

 いや、仮にそうだとしても、それだけではないだろう。

 刷り込みというべきか。物心つく前から短くない期間を彼女の下で育ったという私の過去は、恐らくルージュが生きている限り、いや、私自身が生きている限りずっと引きずり続ける鎖となるのだ。

 その事実をこの一瞬で思い知らされた。


 怖い、けれど、それだけではない。

 彼女の声の余韻と、手の感触。

 その二つがこの時の私の思考をぐちゃぐちゃにした。

 忘れていただけだったのだろう。

 私はずっと彼女を待ちわびていた。

 本当の家はルージュのいる場所にある。

 そんな囁きが他ならぬ私自身の心の中から聞こえてきて、愛おしいという感情が泉のように湧いてきた。


「名前を貰ったのね。カッライス。なるほど、目の色からとったの。悪くない名前かもね」


 そう呟くルージュの姿を、私は振り返ることが出来なかった。

 ただ手を繋がれたまま、ペリドットとアンバーを呆然と見つめていた。

 アンバーは威嚇する狼のようにルージュを睨みつけていた。

 だが、そんな彼女を抑えるように、ペリドットが前を塞いでいる。

 ペリドットの方は、かなり慎重だった。


「一つだけお礼を言っておきましょう、ペリドット」


 ルージュは言った。


「この子を清らかなまま養ってくれたこと。それは感謝してもしきれない。娼館なんぞに売り渡されでもしたらどうしようかと思ったけれど、善良な組合で良かったわ」

「そりゃどうも」


 ペリドットは言った。

 平静さを装ってはいたが、冷や汗をかいているのが私でも分かった。

 どんな猛獣相手でもあのようなペリドットの顔を見たことはなかった。

 自分のせいで、かなり不味い事になってしまった。

 だが、その時の私はただただ自分を責める事しか出来なかった。

 ただ手を繋がれていただけなのに、それだけで身動きが取れなかったのだ。


「感謝ついでにその子を返してくれないか。まだ一人前とは言えなくてね」


 ペリドットが苦笑しながら問いかける。

 それに対し、ルージュは小さな笑みを漏らした。


「まあ、そうなの。でも、それは出来ないわ。あなたには感謝もしているけれど、そもそも、私からこの子を奪ったのはあなた達だもの。それに、今日はまた一つ恨みが増えてしまったみたい」


 そう言って、ルージュは私の体をぐっと引き寄せてきた。

 抱き寄せるその力はさほど強くなかったはずだ。

 だが、私はやはり動けなかった。

 視界の端でアンバーがさり気なく猟銃に弾を込めた。

 ペリドットはそれを隠すように前へと踏み出し、ルージュに語り掛けた。


「恋人を殺されて憎んでいるのか」


 すると、ルージュは冷たい声で答えた。


「コンシールは恋人じゃないわ。古いお友達だったの。かれこれ千年くらいかしら。誇り高い吸血鬼だったのに、可哀想に、こんな汚い手段で殺されてしまうなんて」


 ルージュの手が私の首筋をなぞっていく。

 そのまま彼女は会話を続けた。


「さぞ無念だったでしょうね。でも、それはもういいの。死んでしまったものは仕方がない。亡骸も欲しいのなら持って帰ればいい。お金になるのでしょう? 別にいいのよ。私が怒っているのはね、コンシールの事じゃないの。この子を餌にした事よ」


 吸血鬼の価値観なんてものは、今の私にもよく分からないままだ。

 ただ、少なくともこの時のルージュは別に強がってなんかいなかった。

 本当に、コンシールの事には興味を失ったのだろう。

 それが、吸血鬼ならではの価値観によるものなのか、ルージュ自身の価値観によるものなのかは分からないけれど、異様な空気に緊張感が増したのは確かだった。


「ペリドット。私はね、別にあなたと争いたいわけじゃないの」


 ルージュが言った。


「愛しいこの子を返して欲しいだけ。赤ちゃんの時から大事に育てた娘なのよ。実の親子みたいなもの。そんな私たちをどうして引き裂けるの?」

「君の情報は何度も聞いている」


 ペリドットは警戒しつつ言った。


「攫った子を大事に育てるふりをして生き血を啜り、彼らが老いる前に殺してしまう。遺体すら残さないらしいね。それにもっと恐ろしい話も聞いている。かつては人間の娘を奴隷にしていたそうだね。年頃になると子供を産ませて、用済みになったら屠殺していたそうじゃないか」


 淡々と語られるその話は、ルージュの愛を少しでも信じていた頃ならば到底信じられない内容だった。

 しかし、ルージュは私の背後で面白がるように笑ったのだった。


「懐かしいお話ね。そう、その話も知っているの」

「コンシールだけじゃなく、君もまた賞金首だ。そんな君にカッライスを──家の子を渡すわけにはいかないよ」


 ペリドットがそう言った直後、アンバーが動いた。

 恐らく死角から合図が送られたのだろう。

 目にも止まらぬ速さで前へ出ると、猟銃の引き金に指をかける。

 だが、発砲音は鳴り響かなかった。


「そ、そんな……」


 アンバーが焦る中、ルージュがくすりと笑った。


「真正面からそんな武器で戦えると思った? コンシールがやられたのは不意を突かれたからよ。私はもうその子も見たし、猟銃も見てしまった。その銃はもう使えないわ。ああ、でも、対魔物用拳銃があったわね」


 色気を含んだ声でルージュは呟くと、少ししゃがんで私の体にもたれかかってきた。

 盾にされている。

 そう気づいて、私はますます動けなくなった。


「撃ちたければ撃てばいい。私は死を恐れない。けれど、悔いは残したくないの。この子も道連れよ」


 ルージュはそう言いながら、私の服をまさぐってきた。

 その時、私は戸惑いと共に危機感を覚えた。

 囮役として身に着けていたのは里の娘が着るような女物の服ではあったが、何も武器を持っていなかったわけではない。

 いざという時のために、護身用の拳銃を隠し持っていたのだ。

 ルージュはいつからその存在に気づいていたのだろう。

 迷いなく私の服に手を突っ込み、その銃を掴んだことを察して、私は焦った。


 その焦りがほんの少しだけ呪縛を解いてくれたのだろう。

 気づいたら、ペリドットたちに向かって叫んでいた。


「二人とも、逃げて!」


 私にできたのはこれだけだった。

 しかし、遅すぎた。

 ルージュは素早く拳銃を抜くと、それをペリドットに向けた。


「お願い、殺さないで!」


 必死に叫んだ直後、ルージュは引き金を引いた。

 弾丸はペリドットの太腿に当たった。

 苦しそうに崩れ落ちる彼女の元に、アンバーが悲鳴交じりに駆け寄っていく。

 その様子を冷静に見つめながら、ルージュは言った。


「名前はアンバーだったわね」


 冷たい声にアンバーが顔を上げる。

 恐ろしい目をしていた。

 人間の姿をしていても、狼のよう。

 そんな彼女の正体を、きっとルージュは見抜いていたのだろう。


「今日が満月の日でなくてよかった。おかげであなたは助けを呼びに行ける。ね、大事な、大事な、育ての親をこんなところで死なせたくないでしょう? 悪い事は言わないわ。この子は諦めなさいな」

「こ、この……」


 アンバーが唸る。

 しかし、もうどうする事も出来ない。

 私の視線はペリドットに釘付けになっていた。

 足からの出血が続いている。

 アンバーが必死に抑えているが、それだけでは治らないだろう。

 あのままだと、彼女は──。

 絶大な恐怖で震える私に、ルージュが囁いてきた。


「恐ろしい光景を見せてしまったわね。お眠りなさい。全部悪い夢だったと思えばいい」


 その囁きもまた吸血鬼の怪しげな術だったのだろう。

 途端に私は酷い眠気に見舞われた。

 くらくらしながら、それでもどうにか起きようと耐える中、ペリドットが力を振り絞ってこちらに訴えかけてくる姿が目に焼き付いた。


「待て……行くな……」


 声を振り絞りながら手を伸ばす彼女の姿に、私もまた手を伸ばしたのを覚えている。

 けれど、その直後、私の意識は完全に闇へと飲まれてしまった。

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