5.村の子供
名前を呼ばれたことがよっぽど嬉しかったのだろうか。ルナはそのまま小屋へと入ると、私の正面へ駆け寄ってきた。
椅子によじ登ってなるべく私と目を合わせると、じっと見つめてくる。この村にいるという事は、彼女もまた人狼のはず。けれど、鼻の利かない私にしてみれば、人間の子と全く見分けがつかなかった。
強いて言うならば、子供の頃のアンバーにちょっと似ている気がする。
「お姉ちゃん、人間さんなんだよね?」
真正面から問われ、私は躊躇いながらも頷いた。
「そうだよ」
「で、狩人さんなんだよね?」
「その通りだよ」
素直に答えてはみたものの、落ち着かなかった。特殊な生い立ちが祟ってだろうか、この年頃の子供に対してどう接するのが正解なのかが分からなかった。
こういう時、アンバーだったら上手く相手をして喜ばせられるだろうに。ふとそう思うと、またさらに心細さを覚えてしまった。
「わたし、知っているよ。狩人さんって怖いんだって。お兄ちゃんが言っていたもの。狩人さんに近づいたらダメなんだって」
「そうだね。たぶんお兄さんの言う通りだよ」
そっと笑ってそう返してみたのだが、ルナは全く私を恐れていなかった。
どうやら実の兄の忠告も、あふれ出る好奇心には敵わないらしい。
「ねえ、狩人さん」
と、ルナが再び質問をしてきた。
「お名前はなんていうの?」
いつもならば、よく知らない魔物相手に名前なんて名乗らないだろう。
それでも、目を輝かせて答えを待っているルナの顔を見ていると、無視をするなんてことも出来なかった。小さく笑って、またしても私は素直に答えた。
「カッライスだよ」
「カッライス……それってどういう意味?」
「そういう名前の宝石があるんだって。名付け親は私の目の色から連想したんだって」
「へえ、きっとそれって綺麗な水色の宝石なのね」
そう言うと、何がおかしいのか、一人でくすくすと笑いだす。そんなルナを見ていると、私はふと自分が小さい頃の事を思い出した。
ルナと同じくらいの年の頃、私はまだルージュと共に暮らしていた。殆どの時間はルージュと二人きりで過ごし、ルージュさえいればそれでいいとさえ思っていた。
出会うことがあるとすれば、それは大人たち。同じ年頃の子供に触れあうことは、アンバーに出会うまでなかった。
かつては、その優しい地獄から救い出してくれたはずのペリドットを恨んだことだってあった。あの頃の記憶や感覚はだいぶ薄れたものだけれど、ふとあの感覚を思い出す瞬間もある。
私もまたルージュを相手に同じような態度で甘えていた。あの時、ルージュはどんな思いで私を見つめていたのだろう。
あの優しい眼差しの中に、幼い私に対する無償の愛があるのだと信じていたことだってかつてはあったのだ。それが違ったと分かってしばらく経った今でも、私は時々胸が痛くなってしまう。そして、そういう時は大抵、こんな疑問が頭に浮かぶのだ。
ルージュとハニーに殺されてしまったという私の本当の両親は、いったいどんな人たちだったのだろう、と。
「ねえ、カッライス」
と、思考に耽ることを許さぬように、ルナはまた声をかけてきた。
「村に来てからずっとここに閉じこもっているよね。退屈じゃない?」
「そうだね……少しだけ退屈かも」
「だよね! それじゃあ、退屈しないように、わたしがお話してあげようか!」
胸を張って提案してくる彼女の姿に、思わず笑みが漏れた。つまりはお話がしたいのだろう。そう思ったのだが、私はふと気になって、ルナに訊ねた。
「それはいいけれど、君はここにいていいの? お兄さんは怒らない?」
脳裏に浮かんだのは、ルナと初めて会った時の事。
私たちを警戒した銀髪の少年ブランの表情だ。あれからずっと小屋に閉じこもっているから、彼がどうしているのかは分からない。ただ、ルナの口ぶりから察するに、あまり歓迎はしていないのだろう。
「お兄ちゃんはダメって言ったけど……でも、お母さんは別にいいって言ったし」
もじもじしながらルナはそう言うと、「とにかく」と、腰に手を当てて言ったのだった。
「わたしがお話するから、カッライスは聞いていて」
どうしてもお話がしたいのだろう。そう理解して、私は観念して頷いた。
「分かった。話して御覧」
そう言うと、ルナは子供ながらにごほんと咳払いをしてからお話を始めた。
何度も言っておくが、小さな子供の相手という仕事に対しては全く自信がない。
アンバーならもっと子供に好かれる立ち振る舞いが出来ただろうけれど、残念ながら私は違う。それでも、話を聞くくらいならば難しくはなかった。
ルナはきっと聞いてもらいたかっただけなのだろう。私を退屈させないためのとっておきのお話を次から次に話していく。
内容は、人狼の子らしい……とは一概に言えないようなものがほとんどだった。家族のこと、自分のこと、友達のこと、村のこと、それにお祭りのことや昨日あったことなど、中にはアンバーがまだ小さかった頃を思い出すようなエピソードもあったけれど、それもまたやんちゃな女の子の範疇と言えるもの。
私がもしもルージュの屋敷に生まれなかったならば、ルナと同じように過ごしていたのだろうと想像できるものだった。
話している間、ルナは始終、笑みを浮かべていた。きっとこの村の事が好きなのだろう。家族の事が、友達の事が、大好きなのだろう。そんな大好きな世界の事を、客人である私に紹介したくてたまらなかったのだろうと伝わってきた。
その感情が前面に押し出されていたためだろう。一方的に聞かされていても、悪い気はしなかった。その小さな体と心にしまい込んでいた大好きなものたち。それらを全て語り尽くし、とうとう何もネタがなくなってしまうと、ルナは困った顔をした。
「うーん、どうしましょう、お話なくなっちゃった」
「なくちゃったか。それなら仕方ないね。私のことはいいから遊んでおいで」
だが、どういうわけかルナはもじもじし続けた。私の前で左右に揺れて、何かを考え込んでから、こちらの様子を窺いながら問いかけてきた。
「ねえ、カッライス。カッライスはお外出たくない? 気にならない?」
「そうだね。気にならないわけじゃないけれど、ここにいる方が落ち着くかも」
「気にならないわけじゃないんだ!」
後半部分を無視する形で、ルナは目を輝かせた。余計なことを言ったかもしれない。そう思ったのも後の祭り、ルナは嬉々として身を乗り出してきた。
「じゃあ、村を案内するって言ったら、ついて来てくれる?」
「えっ、えっと……」
どうしよう。真っ先に迷ってしまい、私は口籠った。ルナはそんな私を待ってはくれない。遠慮もなくぎゅっと手を掴むと、小さな女の子にしては予想外に強い力で引っ張ってきた。
何を言おうと断るという選択肢はなさそうだ。この村で穏便に過ごすためにも、ここは従った方がいいだろう。それに、悪い気はしない。ここに一人で居ても、アンバーとの険悪なやり取りを思い出して憂鬱になるだけだ。それならばいっそ、ルナと一緒に気分転換をした方がいいかもしれない。
「分かった……分かった、ついて行くから落ち着いて」
そっと声をかけると、ルナは嬉しそうに頷きつつ、それでもやはり、私の手を離さずに引っ張り続けた。
ルナに引っ張られるままに小屋を出てみれば、ぴりっとした緊張感を覚えた。近くには誰もいなかったのだが、私自身が怯えていたのかもしれない。
この村は人狼の村。暮らしている大人たちは、まだ小さな女の子であるルナのように無垢な者ばかりではない。彼らに見つめられるのは、少し怖かった。きっとこれは、本能的なものなのだろう。だが、まだ子供のルナがそれを理解するはずもなく、容赦なく私の手を引っ張り続けた。
「こっち、こっちだよ!」
ルナの示す先には、広場がある。そこでは村の子供たちが集っていた。何やらお面をかぶって、追いかけっこをしているらしい。駆け寄ってくるルナと引っ張られる私に気づくと、子供たちは不思議そうに私の姿を見つめてきた。
私はというと、子供たちの遊ぶ広場の周辺をまじまじと見つめてしまった。きっと、祭りのためなのだろう。可愛らしく模した案山子が数体、そこには立っていた。




