3.満月の村
どうやら、この場所こそがダイアナの言っていた満月の村で間違いないようだ。だが、ダイアナから聞いていた印象と違い、村の者たちはだいぶ大人しかった。アンバーが同胞であるからだろうか。村の者たちの印象は、普通の人間と全く変わらなかった。
何しろ、鼻が良さそうな住民ばかりだ。私の正体などすぐに悟っただろう。しかし、あからさまに嫌な態度をとってくる者はいなかった。アンバーの連れであるためだろうか。村の代表や、重役など、少なくとも顔合わせが必要だったらしき者たちは、私に対しても丁寧だった。
ぞんざいな扱いを受けるわけではないのは有難いことだ。だが、それでもやはり落ち着かなかった。恐らく私たちの訪れを歓迎している者ばかりではない。それを、うっすらと感じる視線があった為だ。だから、客人用だという空き家に通された後も、私は度々窓から外を確認してしまった。今すぐに霧が晴れないか、期待してしまった。
「そう焦るなよ」
同じ部屋の中で、アンバーは私に言った。
「焦ったって霧は晴れないよ。それよりもさ、食べなよ。あんたの分も、変なニオイはしない。怪しいものが入っている様子もない」
指し示すのは、村の者が持ってきてくれたスープだ。アンバーのものと私のもので中身が違う。恐らくだが、アンバーには彼女なりに口に合う材料が使われているのだろう。当然、私の口には合わないものだ。むしろ、私の分を特別に用意してくれたと言ってもいい。だからこそ、なかなか口を付ける気になれなかった。ここは、人狼の村だ。そして、アンバーと違って私が人間であることも、彼らはちゃんと理解している。あまり油断は出来なかった。
それでも、アンバーが大丈夫だというからには、本当に心配いらないのだろう。不安を少しだけ忘れて、私はそっとテーブルに近寄った。ニオイは悪くない。材料も、普段、口にするような野菜が中心だ。肉も入っているが、鶏肉らしい。間違っても人肉などは使われていないだろう。
「怖がる必要はないよ」
アンバーは静かに言った。
「アタシがついている。不安なら、この小屋を出なければいい」
「……怖くなんかないよ」
そう言いつつ、私はようやくスープに口を付けた。アンバーの言う通り、変わったところはない。本当に普通のスープだった。緊張で疲れもたまっていたのだろうか。一度、ホッとすると、途端に疲れが押し寄せてきた。
望むならば、ここにしばらく滞在してもいい。クレセントはそう言ったが、出来る事ならば都に戻りたいところだ。
だが、今は何時だろう。窓の外は霧が深くて空模様も分からない。時計なんてものもこの部屋にはないようだ。だから、今がだいたい何時ごろなのか、知る機会があるとすれば、それは度々、顔を出してくる村の者たちに会った時くらいだった。
「今はちょうど日没を迎えた頃ですよ」
ようやく時刻を教えてくれたのは、モネという初老の女性だった。食事を運んでくれたのも彼女だったが、食器を片付けるついでに、寝巻を用意してくれたのだ。
モネの外見は普通の人間と全く変わらない。髪は白く、目は茶色い。何も知らずに接すれば、普通の人間だと思っただろう。だが、ここにいるという事は、彼女もまた人狼に違いない。それが不思議だった。
「夜は危険です。いくら狩人さんでもね。私たちですら、あまり出歩かないのですよ。なので、お泊りになられては、と、村長がね」
そう言いながら、モネは寝巻をベッドの上に置いた。
「ああ、勿論、強制はいたしません。強くお勧めするくらいです。お仕事があるのでしょう。月光の御城と言えば、吸血鬼が住み着いているという話でしたからね」
「吸血鬼の事、ご存じなんですね」
思わず私が口を開くと、モネは少し驚いたような顔をした。だがすぐに微笑み、頷いた。
「ええ、勿論。子供たちにはキツく言いつけているのですよ。吸血鬼は私たちにとっても恐ろしい生き物ですからね。どんなに綺麗で、優しそうに見えたとしても、ついて行ってはいけないと」
ある意味、貴重な話でもある。アンバー以外の人狼が普段何を考えているかなんて知る機会などないからだ。彼らも吸血鬼を普通に恐れている。そう思うと、ますます人間のように思えてしまった。
「……モネさん、だったね」
と、アンバーが急に口を開いた。
「クレセントさんから、前にこの村であった事を聞かされたんだ。新婚の夫婦が旅立って、出先で子供を産み、結局帰っては来なかったのだと」
「ええ、そうね」
モネは落ち着いた様子で頷くと、アンバーを真っ直ぐ見つめて付け加えた。
「私の息子でもあった」
「息子さん……」
そう言って口籠るアンバーをモネはじっと見つめ続けた。
「クレセントは似ていると言っていたようね。私もそう思う。あなたが何処の誰かは分からないけれど、いなくなったあの子の面影がある。それに、あの子の選んだお嫁さんにも似ているわね」
そして、寂しげに微笑むと、モネは溜息を吐いた。
「いけないわ。暗い話はこの辺にしておきましょう。着替え、確かに置いときましたからね。何かあったら、近くにいる者に言いつけてちょうだい。誰かしらがすぐに駆け付けるからね」
そう言ってモネは親しみのある微笑みを向け、そのまま小屋を去っていった。
ぱたりと扉が閉まった後も、アンバーはその背を追うように見つめ続けていた。私はというと、そんなアンバーの横顔をじっと見つめてしまった。
いなくなった新婚の夫婦。旅先で女の子を生んだ。生まれた子がもし生きていたら、アンバーと同じくらい。
よくある話だとアンバーは一蹴したが、果たして本当にそうだろうか。これは私の思い過ごしかもしれないが、どことなくモネとアンバーは似ているところがあるような気がした。
もしかしたら彼女は、アンバーの祖母かもしれない。そう思うと、何故か私は急に心細さを感じてしまった。
「……あのさ、アンバー」
と、沈黙に耐え切れずに声をかけたその時、アンバーも同時に口を開いた。
「あのさ。ちょっと外に出てもいいかな」
「え? いいけど、何処に行くの?」
「ちょっと村を歩いてみたいんだ」
振り返るその表情に、私は一瞬だけ躊躇いを覚えてしまった。
悲しそうな、切なそうな、眼差しをしていたのだ。もしかしたらここは、アンバーの故郷なのかもしれない。此処こそが、アンバーの居場所なのかもしれない。そんな思いが一気に押し寄せてきて、私は返答に詰まってしまったのだ。
そうであるならば、祝福すべきではないのか。そう思う一方で、恐怖を感じてしまったのだ。この恐怖は何だろう。その正体を探ろうとしている自分に気づき、ふと我に返った。
私はすぐに笑みを浮かべなおした。うまく笑えていたかは分からない。だが、とにかく、アンバーを安心させたい一心で、お茶を濁し、頷いたのだ。
「分かった。じゃあ、私も──」
だが、ついて行こうとする私を、アンバーは制した。
「待って」
「……え?」
「悪いけれど、一人で行きたいんだ」
「でも……」
「この村が何の村なのか、分かっているだろう。あんたはここで静かにしていた方がいい。鍵はアタシが預かるから、誰かが来ても応対しないで留守番していて」
「そんな……勝手だよ。私だって──」
と、言い返そうとしたのだが、アンバーの眼差しを見て、思わず怯んでしまった。これはお願いではない。命令だ。
「あの指輪。返して欲しいよね?」
短くそう言われ、私は息を飲んだ。
「……分かった。気を付けて」
逆らうことが出来ずにそう言うと、アンバーは何処か不機嫌そうに溜息を吐き、そのまま小屋を出ていってしまった。
鍵をかけられ、静かになると、途端に心細さが増した。そっとベッドに近寄って、壁に寄り掛かってみる。窓を覗くと外を歩くアンバーの背中が見えた。歩き出してすぐに、村の者に親しげに話しかけられていた。そのやり取りを見つめていると、無性に寂しくなってしまった。
──アンバー。
その名を心の中で呟いたとき、私の脳裏にふと別の人物の声が蘇ってきた。
──あなたは自らの足で私のもとへと戻ってくるでしょう。
ルージュ。彼女はこの村の近くにいる。モネが言っていた吸血鬼は彼女の事に違いない。月光の城は近くて遠い。そこへ早く向かいたかった。
それには霧が晴れないと。だが、どうもその気配は一向に訪れない。あと、どのくらいここに居たら、旅立てるのだろう。その答えもまた全く分からず、もどかしかった。




