14.再び目覚めて
目を覚ますと、視界に入ったのは覚えのない天井だった。
やけに寝心地の良い寝台のその感触が妙に怖くなって身を起そうとして、全身が痛んで呻いてしまった。その声に気づいたのだろう。すぐそばで身を起こす人影が一人。ぎょっとしたのも束の間、月の光がその姿を照らして、私はすぐにホッとした。
「アンバー……」
狼の姿ではない。間違いなく人間の姿の彼女がそこにいた。無意識に手を伸ばすと、彼女はすぐにそっと握り返してくれた。温もりに、力強い感触で、私はさらにホッとした。どうやら夢でもないらしい。
「傷が痛むのか」
「少しだけ。でも大丈夫」
そう答えつつ、私はふと気付いて彼女に訊ねた。
「ここは?」
「宿だよ。オーバードさんとアリアさんが手配してくれた」
事態がすぐに飲み込めないまま茫然とする私に、アンバーはさらに言った。
「あんたは二、三日ほど眠っていたのさ。吸血妖精だろ? きっと生気を吸われたんだろうね。それに、止血法もだいぶまずい」
アンバーに言われ、私は恐る恐る自分の首筋と手に触れてみた。どちらも少し痛みがある。だが、血は滲んでいない。すっかり塞がっていた。
「血は止まったんだね」
「ああ、止まっていたとも。だが、その分、代償も大きかった。モリオンからも聞いたよ。奴が接触してきたんだろ?」
「ヒントをくれたんだ。ほぼ答えと言ってもいい。それで、犯人が分かった」
淡々と答える私に対し、アンバーは呆れたように溜息を吐いた。
「モリオンが一緒だったのに、どうして一人で立ち向かった」
「オーバードさんを守ってくれる人が必要だった。それに、最初から不利だと分かっていたんだ。吸血妖精を倒すのにはコツがいる。それでも、コルネットはルージュに殺されていた。万が一、私やモリオンの攻撃が通用しなかったとしても、倒せる手段があると踏んで接近したんだよ」
「無茶な奴。それで死んだらどうする。……いや、死ぬよりも大変な事になったかもしれない。よりによって奴の力を借りるなんてさ」
ちらりとアンバーの顔を見やると、彼女はむっとした表情を見せた。
「隠したって無駄だ。モリオンに運ばれてきた時から、あんたの体からは奴のニオイがぷんぷんした。止血したのも奴なんだろう?」
「……うん」
隠しきれずに肯くと、アンバーは私のベッドの脇にどさりと座った。
「だから嫌なんだ。満月の日に出歩かれるのは。奴は明らかにアタシが一緒じゃない時を狙っている。あんた一人ならどうにでも出来るって踏んでいるんだろう」
「……そうかもね」
言い返す気にもなれなくて静かに頷くと、アンバーはしばらく押し黙ってしまった。やがて、溜息を漏らしながら横たわり、私の足の上に頭を乗せてきた。そのままじっと私を見上げ、彼女は言った。
「張り合いがないな」
「起きたばっかりだからね。本調子じゃないのかも」
「なるほどね」
そう言って、アンバーはしばらく私の顔を見つめてきた。何かを探ろうとする狼の目だ。その目に見つめられていると、責められているような居たたまれない気持ちになってしまう。耐えきれずにそっと目を伏せると、アンバーは再び口を開いた。
「状況は一通りモリオンから聞いたんだけど、あんたからも聞かせて欲しい。ヴィオラと二人きりでいる間、何があった?」
命じるようなその口調のお陰だろう。私は素直に応じることが出来た。
応接室で二人きりになり、そこからヴィオラの命が絶たれるまでの数十分。その詳細を覚えている限り言葉で説明していく間、アンバーは絶えずじっと私の目を見つめているようだった。
「……止めを刺したのは、本当はルージュだ。私じゃない」
そこまで話すと、アンバーは身を起こし、安堵したように言った。
「よし、どうやら術までは破られていないようだ」
「──それを確かめていたの?」
「状況が状況だったからね。着衣に乱れはなかったようだが、服の上からでも破ろうと思えば破れる。特にあの女ならさ」
強い敵意を含むアンバーの声に、肌がぴりぴりとした。何故だか、ここにいてはいけないような気持ちになる。何故だろう。ベッドの中に入ったまま、私は周囲を見渡した。不意に気持ちが逸れてしまいそうになる。術は破られていないというのに、嫌な胸騒ぎがするのだ。思い出すのは意識を失う前に聞いた言葉だ。
──あなたは自らの足で私のもとに戻ってくるでしょう。
思い出しながらぼうっとしていると、アンバーは不意に立ち上がった。
「ともかく、大丈夫そうならよかった」
「何処か行くの?」
「受付だよ。劇場に連絡を入れてくる。あんたの事を心配している人が複数いたからね」
そう言って立ち去ろうとする彼女を、私は思わず呼び止めてしまった。
「……待って」
その声が切実だったからだろう。アンバーはぴたりと止まった。私の枕元へ歩み寄ると、そっと座って頬に手を添えてきた。
「どうした?」
いつになく優しいその声に、私はここぞとばかりに縋りついてしまった。
「もう少し傍にいて欲しいんだ」
格好をつけている余裕がなかったのだ。アンバーはじっと私を見つめると、ふと唇を奪っていった。静かに身を委ね、その感触を味わい、そこでようやく私はほんの少しだけ安堵することが出来た。
「震えているね」
小声でアンバーが言った。
「いつものあんたらしくない。奴のせいか?」
「……一人になるのが怖くて」
「そっか。分かった。じゃあ、もう少し一緒にいよう」
「いいの?」
「うん。どうせいずれはダイアナが来るはずだからね。その時に、代わりに待っていて貰えばいい」
「……ありがとう」
添えられた手を握りしめながら礼を言うと、アンバーはちらりと周囲を窺ってから、そっとベッドの上へと登ってきた。
「不安なら添い寝してやろうか」
からかうようなその言葉に、私は私で恥じらいつつも言い返す。
「添い寝だけ?」
すると、静かに笑って、彼女は私の横に寝そべってきた。
「あんたがどれだけ元気なのかにもよるな。……どうして欲しい?」
「ぎゅっとしてほしい」
思い出すのは子供の頃。ペリドットの家で悪夢を見て泣き出してしまった時などに、同じようなおねだりをしたことがあった。アンバーはその時と同じように半ば呆れたような笑みを浮かべつつ、すんなりと応じてくれた。
アンバーに抱かれていると、少しは恐怖が和らいだ。首筋に残る疼きも、脳裏に刻まれた不安の種も、全て忘れることが出来た。身も心もアンバーにしか許していないことを自覚することが出来て、ほっとした。
そのお陰もあったのだろう。それから一晩過ぎる頃には、すっかり恐怖も和らいでいた。アンバーが連絡を取り合ってくれたおかげで、依頼の手続きも気づいたら終わっていた。
報酬は約束通り支払われ、グラヴェ町長やアジタート支配人、それにオーバードたちからも感謝の言葉や見舞品までいただくことが出来た。
だが、その頃には私の興味はすっかり劇場から離れてしまっていた。その矛先は、この町にすらない。ダイアナがその情報を持ってきてからは特に、気持ちはすっかり行ったこともない遠い地へと向いていた。
「月光の城……?」
これまた聞きなれないその場所の名を繰り返すと、猫の姿のままダイアナは軽く尻尾を揺らした。
「そう。これまた綺麗な古城でね、どうやらルージュの持ち物件みたい。どういう経緯で手に入れたかは知らないけれど、昔から使っているみたい。しばらくそこで過ごすようね」
「──月光の城」
共に聞くアンバーもまた繰り返す。
そんな彼女を横目に、ダイアナは付け加えるように言った。
「ちなみに、月光の城の周囲には小さな村があるの。満月の村っていう深い木々に覆われている長閑な村でね。昔からある場所だけれど、多くの人は存在すら知らなかったりする。一番近くにある月の都の人たちも、月光の城こそ知っていても、その村の事は全く知らない人ばかりよ」
「そんな村を、どうしてあんたが知っているのさ」
アンバーが呆れたように問うと、ダイアナは目を光らせながら言った。
「だってあたしは魔女だもの」
「魔女なら知っているような場所なの?」
私もそっと訊ねると、ダイアナはこくりと頷いた。
「魔女だけでなく、魔物なら大抵は。多くの場合、警戒対象として認識しているの」
「警戒対象?」
問い返すアンバーの顔を見ながら、ダイアナは答えた。
「そこ、人狼の村なのよ」
思わぬ答えに、私は黙し、ついアンバーの顔を窺ってしまった。アンバーも同じく黙してしまった。ダイアナの顔を見つめたまま、何処か険しい顔をしている。
「ともかくそういう事だから、もしも月光の城に行くなら気を付けなさい。村自体は隠されているからうっかり迷うなんてことはないでしょうけれど、人狼と遭遇してしまう可能性は高いわ」
「分かった。気を付けるよ」
そう頷いたものの、アンバーはやはり黙ったままだった。彼女が何を思っているのか、その表情からは分からない。
ただ、人狼の村。その肩書に対しては、私だって思う事がある。そこにはアンバーの仲間と呼ぶべき者たちがたくさんいるのだろうか。
決して、親しみを持ってはいけないと分かっていても、興味を抱かずにはいられなかった。
「どうしようか」
ダイアナが帰ってしまうと、アンバーはようやく言葉を発した。
「どうしようって?」
「月光の城さ。いくつもり?」
「当然だよ」
「──まあ、あんたはそう言うよな。だとしたら、アタシには選択肢すらない。だが、満月の村か。妙な事に巻き込まれないといいな」
呟くように言う彼女の横顔を、私はそっと探ってしまった。どう思っているのだろう。考えずにはいられない。それと同時に思い出してしまうことが、ルージュに言われた謎めいた言葉だった。
──あなたは自らの足で私のもとに戻ってくるでしょう。
その真意が何なのか、今はまだ分からない。ただ、分からないからと言って、向かわないという事は出来なかった。
ルージュがそこにいる。つまり、チャンスはそこにある。その事実がある限り、逃すなんてことは出来なかった。
ダイアナが立ち去っていった後も、私の心はそわそわしたままだった。気持ちだけはすでにこの地を離れている。素晴らしい音楽も、舞台も、ルージュに取り憑かれた私の心を繋ぎとめる事は出来ないらしい。
そんな私の心を少しでも察したのだろうか。アンバーはふと自身のマントを探ると、その内ポケットから封筒を取り出した。
「忘れるところだった。これ」
机にぽんと置かれ、私は首を傾げた。
「これなに?」
訊ねると、アンバーは封筒の中身を取り出した。二枚の紙切れ。チケットらしい。片方を手渡されて確認してみると、アカリュース劇場の名前と、舞台作品の名前が書いてあった。
「報酬と一緒に貰ったんだ。良かったらぜひってさ」
アンバーに言われ、私はその作品名を見つめた。
──『天才の恋人』。
そのタイトルと、リハーサルの事をぼんやりと思い出す。一部だけであっても、どんな内容なのかは何となく分かっている。どんな結末を迎えるのかも。それでも、混乱と、脅威が去ったあとの彼らの作品に、全く興味がないわけではない。
「明日の夜だ。……どうする?」
アンバーに問われ、私は静かに答えた。
「君と一緒なら、ぜひ」




