12.オーバードの家で
「ほう、ここが売れっ子作曲家オーバード様の御宅ですか」
モリオンが呆れ半分に呟く中、私もまた緊張気味にその風貌を眺めていた。記憶の中にあるルージュと暮らしたお屋敷や、ハニーに招かれたミエール城にはさすがに劣るかもしれない。だが、少なくとも、ペリドットに拾われてからこっち、私に馴染みのあるほとんどの環境よりもずっとそこは立派だった。
婚約者である歌姫アリアの家もそれなりだとは聞いているが、ともあれ、落ち着かなさそうなのは間違いない。
ただし、緊張は恐らく家のせいだけではないだろう。ここへ来たのには大きな事情がある。消えてしまったルージュを捜し出すことよりも、今だけは優先度の高い事情である。オーバードの家に近づく前に、私はそっとモリオンに言った。
「モリオン、覚えているね。私が言った通りに──」
「ああ、分かっているって。オーバードさんと話をすればいいんだろう?」
「うん。その間に、私はヴィオラさんと話をする。君はオーバードさんと世間話をするふりをして、周囲に目を光らせていて欲しい」
私の訴えに、モリオンはすんなりと頷いてくれた。ルージュの事しか頭になさそうな彼だが、さすがに今は何の仕事を優先すべきか分かっているのだろう。この仕事がさっさと片付けば、ルージュに専念できる。それが彼の言い分だった。
一方、私の方は少々怖かった。劇場を離れ、単身でヴィオラのもとへ。大きな賭けでもあるし、無謀な作戦でもある。もしも、共に行動しているのがモリオンではなくアンバーであったら、間違いなく揉めていただろう。その事に関しては、今日が満月でよかったとさえ思えてくる。おかげでここまで止まることなく来られたのだから。
「じゃあ、鳴らすよ」
モリオンが頷くのを確認してから、私はオーバードの家の呼び鈴を鳴らした。
程なくして出てきたのは、ヴィオラだった。
「突然すみません、本日は劇場にいらっしゃらないと聞いたので」
私が言うと、ヴィオラは怪訝そうにモリオンの方を確認した。
「そちらの方は?」
「私の同僚です。アンバーが急病なので彼に手伝って貰っているんです」
「なるほど、狩人さんですか。……それで、用件は?」
「オーバードさんにお会いしたいのです。お忙しい事は分かっているのですが、一度、モリオンが話を聞きておきたいと言っておりまして」
打ち合わせ通りにそう言うと、ヴィオラはしばらく考え込み、そして私たちに言った。
「少々お待ちください」
そう言って、扉を閉めてしまった。
再び彼女が戻ってきたのは、一分経ったかどうかといった頃だった。
「お待たせしました。オーバードもちょうど休憩をしたかったそうです。どうぞ、中へ」
こうして、私たちは呆気なくオーバードの家に踏み込むことに成功したのだった。
オーバードの家は、内装も立派だった。外観と同じく、ルージュと暮らしていた屋敷や、ミエール城に比べたら、決して広いわけではない。そうはいっても、ペリドットに引き取られてからアンバーと共に暮らしたあの家に比べれば十分すぎるほど広く、部屋数も多い。
打ち合わせ通りにモリオンがオーバードと二人きりになっている間に、私はヴィオラと共に応接室に通されていた。出された茶には手を付けず、雑談を交えながら、頃合いを見計らって、私は立ち上がった。窓辺へと向かい、気持ちを落ち着け、さりげなく切り出す。
「──そういえば、ヴィオラさんはコルネットさんと同郷だったとおっしゃっていましたね。故郷はどんな場所だったんですか?」
すると、ヴィオラはカップを置き、切なげに呟いた。
「ここより静かで、とても寂しい場所よ」
そして、微笑みを浮かべ、私へと視線を向けてきた。
「おとぎ話の町ってご存じかしら。そこは神秘的な森を切り開いて作った町で、今でも妖精たちの子孫が暮らしているって信じられているんです。私とコルネットもその町で生まれ育ちました」
「……おとぎ話の町、ですか」
そう言って、軽く目を伏せる。
今回の事件の犯人。ここに来るまでの間に、私は軽くモリオンと知恵を出し合った。ルージュが殺したのはたった一人。では、他の二人は誰が殺したのか。
人間ではないというのは私とモリオン共通の意見だった。恐らく吸血鬼に近い魔物だろう。しかし、ルージュと同じ吸血鬼にしては、臆病な狩りの仕方をしているようにも思えた。
吸血鬼はもっと強い生き物だ。何かに擬態したり、他者の名を借りて狩りをしたりする者が全くいないわけではないが、だとしても、相手が吸血鬼であると分からないほどに人に紛れ込めるというのは稀有すぎる。そういうことが得意な魔物はいるにはいるが、となると、他種族である可能性が高い。
吸血鬼のように血を吸い、人間を殺してしまう魔物。その候補は様々だが、その一つとしてあげられる種族が私の頭の中にもあった。その魔物の主な生息地は、おとぎ話の町である。その魔物の名は──。
「……吸血妖精」
私がそっとその名を出すと、ヴィオラのじっと視線を向けてきた。
「確か、おとぎ話の町に暮らしている魔物でしたね。現地に行った事はないのですが、狩人になるにあたって学んだ魔物の代表例の一つでした。そんなに多くはないけれど、時折、討伐の依頼がくる。ほとんどの場合、依頼内容は吸血鬼退治として来るんです。けれど、通常の吸血鬼退治ではなかなか仕留められなくて、被害が増えていく中でようやく仕留める事が出来る。吸血妖精は人に紛れるのがそれだけ得意なんです。きっと……ヴィオラさんもご存じでしょうけれど」
「ええ、確かに存じておりますよ」
冷静な声が返ってきた。
「吸血妖精はですね、かつておとぎ話の町が妖精の国であった時代の宮廷魔術師だったといわれているのです。吸うのは血だけではなく、人間たちの魂。それを代償に、気に入った人間に妖精の力を与える事もあったとか。勿論、凡人は凡人のままですが、生まれ持った才能をより引き出すことが出来るのが吸血妖精なのです。けれど、その代償はとても大きい。よく、天才は薄命であると言われるでしょう? 太く短く生きた天才の中には、ひょっとしたら吸血妖精に見初められた人がいたかもしれませんね」
眼鏡の下で、ヴィオラの瞳が怪しく光ったのは気のせいでもないだろう。
私は深く息を吐き、彼女へと向き直った。
「ヴィオラさん、あなたにお尋ねしたいことがあるのです」
「ちょうどよかった。カッライスさん、私もあなたにお尋ねしたいことがありました」
「私に?」
思わぬ言葉にうっかり動揺してしまった。そんな私を透かさず睨みつけ、ヴィオラはそっと促してきた。
「お先にどうぞ」
麗しい声でそう言われ、私は気を取り直して告げた。
「……私が聞きたいのはコルネットさんの事です。コルネットさんを殺したのはルージュで間違いありません。けれど、間違いないだろうという事がもう一つあります。それが、コルネットさんが人間ではないという事です」
ヴィオラは黙したまま私の言葉を聞いた。そして、茶をそっと口にすると、そっと立ち上がった。室内を歩む彼女を目で追い、私は続けた。
「人間でなければ何なのか。その一つの可能性として、私は吸血妖精であると想定しております。ヴィオラさん。あなたはコルネットさんと古くからの知り合いでしたね。コルネットさんに、不審なところはありましたか?」
「ありません」
ヴィオラは即答すると、応接室の扉をバタンと閉めた。そして、再び私の前へと戻ってくると、菫色の目で私をじっと見つめながら言った。
「……何故なら、私も彼女と同じだからです」
その瞬間、ヴィオラの雰囲気がガラリと変わった気がした。警戒を強めつつ、私はさりげなく片手をマントの下へと潜らせた。いつでも武器が抜けるように覚悟を決めていると、ヴィオラは続けて私に言った。
「私の質問もよろしいでしょうか」
「……どうぞ」
短く言うと、ヴィオラは微笑みを浮かべながら告げた。
「今日、あなたは彼女に触れられましたね? 私が心より憎む、あの女──ルージュに」
そのおどろおどろしい問いかけが、始まりの合図となった。