8.吸血鬼狩り
アンバーとの関係が変わってしまってから数か月後、私たちはまだ組合への登録を許されないまま修行を重ねていた。
地道ではあったが、段階を重ねると言ったペリドットの言葉通り、少しずつだけど進歩はあった。
組合の仕事は掟の事もあり相変わらずペリドットが一人でやっていたが、様々な事情で組合を通さずに直接ペリドットの元に舞い込んでくる依頼に関して、相手が魔物であっても助手として同行出来るようになっていたのだ。
冬の足音が聞こえ始めてくる秋のとある日もまた、そのような経緯で舞い込んできた依頼の助手として同行することが決まっていた。
依頼主はここから一山超えた先にある里の者たちだった。
その里の近辺にある無人の館にいつの間にか吸血鬼が住み着いたという。
吸血鬼と聞いて一瞬気になったが、ルージュではなく青年だった。
コンシールと名乗る彼は、この二か月ほどの間に八名にも及ぶ娘を攫ってしまったという。
ある娘の父親が助けに行こうと館に向かったが帰って来ることはなく、その後も、里の若者を中心にコンシールに挑む者が現れては、行方不明になったり、命からがら逃げ帰ったりする羽目になっているのだという。
私たちは依頼主たちのいる里から少し離れた山小屋まで行って、その詳細を聞かせられていた。
件の館はここから北へと進んだ先。
さほど離れてはいない。
「で、そのコンシールとやらをどうやって倒すの?」
アンバーの質問に対し、ペリドットは答えた。
「囮を使うんだ。コンシールは女性の血を好むらしい。だが、女性ならば誰でもいいわけじゃない。とりわけ若い血に夢中になるそうだ」
「じゃあ、師匠が囮になるの?」
アンバーの問いにペリドットは苦笑した。
「私の血肉が若いかどうかはコンシールの判断によるね。だが、それを試すよりも、うちにはちょうどいい囮役がいる」
そう言ってから、ペリドットは私に告げた。
「カッライス。今回の君はその囮役をやってもらう」
突然言われて戸惑う私の横で、アンバーが少し不満そうに訊ねた。
「なんで、カッライスなの? 囮役なんて面白そうなやつ、アタシもやってみたい」
「その好奇心は褒めるべきことだが……悪いね、アンバー、吸血鬼は人狼を見抜くのが得意なんだ。君が囮役をやったとしても、奴は人狼だって気づいて警戒するだろう。だから、カッライスにやってもらうわけさ。代わりにアンバーには狙撃をやってもらう。対魔物用弾丸は使わせられないが、私が止めを刺す前にコンシールを怯ませるんだ」
「そうなんだ。なら仕方ないね」
仕方ない。
それはその通りだ。
だから、囮役も進んでやるべきだろう。
だが、囮役に好奇心を抱いたアンバーに対し、私の方は少し気が進まなかった。
どちらかと言えば、アンバーがやる狙撃の方がよかった。
獣ではなく魔物を撃つのも経験になると思ったからだ。
とはいえ、これもこれで経験なのだろう。
自分をそう納得させて、私は私でペリドットの指示に大人しく従う事となった。
さて、その囮役なのだが、勿論、いつものような恰好でやるわけにはいかないとのことだった。
普段から着ていたのは、動きやすい男物のような古着ばかりだった。
狩猟や訓練のためにそうせざるを得なかったのもあるが、長らくそれが当たり前になっていたので、いざ今回着ることになった女物の衣服を現場近くの山小屋で見せられた時は、一瞬だけ惚けてしまった。
躊躇いを覚えてしまったこともあるが、それだけじゃない。
懐かしい気持ちになってしまったのだ。
この頃にはだいぶ思い出すことも少なくなっていたが、かつて、ルージュに養われていた頃は、少女らしい恰好をさせられていた。
あの衣服がだいぶ高価なものであったことを知ったのは、ペリドットに連れられてアンバーと三人で里や町まで行った時の事だ。
そういう衣服を着せていたのも、愛していたからなのか、遊んでいたからなのか、それはルージュにしか分からない。
ともあれ、あの頃に着せられていた服に比べれば、今回の囮役の服はだいぶ安価な代物だ。
里から譲ってもらった衣服なので当然かもしれない。
だが、安価であっても、普段の私が着ている衣服よりも凝った造形であることも間違いない。
ブラウスは袖がふわりと丸く膨らんでいる。
首元は手編みのレースの襟。
そして青いロングスカート。
その上から白いエプロンをぎゅっと結ぶ。
そして、頭は目立つ赤い頭巾で覆うらしい。
この色もまた意味があった。
血のような赤色は吸血鬼を興奮させる色なのだとか。
全てを身に着けてから、姿見で黙って確認していると、アンバーが横から覗き込んできて笑いかけてきた。
「可愛い服だね。似合ってるじゃん」
「たしかに可愛いけど、言うほど似合わないでしょ。それに、いつもと比べるとだいぶ動きにくいよ。普段から着ている服の方が好きだな」
「そう? いつもそういう格好していてもいいのに」
揶揄われたような気がして、私はすぐに言い返した。
「アンバーだって、こういう格好も似合うんじゃないの?」
すると、彼女はけらけらと笑いながら答えた。
「無理だよ。アタシがそんな恰好したら服が破れちゃうもの。それに……」
と、彼女はさり気なく私の唇に触れながら囁いてきた。
「似合う、似合わないはともかくとしてさ、あんたは寧ろこういう格好をしていた方がいいと思うんだ」
「それってどういう意味?」
アンバーの言い草に含みを感じ、堪らず訊ね返してしまった。
だが、彼女から具体的な答えを貰うより先に、ペリドットの声がかかった。
「二人とも、油を売っていないで早く支度をしなさい」
それを合図にアンバーは離れていってしまった。
結局、あの時の意図は今も聞けないままだ。
だが、薄々感じていることがある。
恐らくではあるが、アンバーは私の事を今も昔も見縊っているところがある。
人としてではなく、狩人として、だ。
彼女からしてみれば、人間の女である私の身体能力は、驚くほどひ弱に思えるのだろう。
育ての親であるペリドットはともかくとして、成長途中の私については危なっかしくて仕方がなかったのかもしれない。
しかし、だからこそと言うべきか、私には反発心もあった。
この格好は囮のためだけ。
そう自分に言い聞かせ、ペリドットに連れられて山小屋を出たのだった。
さて、現場となる場所は、里の者たちが山菜取りのために頻繁に足を踏み入れるという山林の一角だった。
その時期はちょうど木苺がよく採れる頃で、私も籠を持たされていた。
年頃の乙女らしく木苺を摘むようにと言われたのだが、それがまた難問だった。
目指そうと思った事すらないが、私に役者は無理そうだ。
ぎこちない様子で木苺を摘んでしばらく、本当にコンシールを騙すことが出来るのか不安になってくる頃になって、天候が少し陰ってきた。
雨が降るかもしれない。
そう思ってふと空を見上げたその時、視界の端に青年の姿が見えて我に返った。
いつからそこにいたのだろう。
凝視しようと視線を動かしたそのわずかな時間で、彼は私のすぐ前まで迫ってきた。
驚く私の片手を掴み、そっと口づけをしてくる。
私の方はというと、囮役だということも忘れて彼の顔を見つめてしまっていた。
間違いない。
吸血鬼だ。
高揚する気持ちを必死に抑え、私はどうにかして、いかにも初心そうな若い娘を演じ続けた。
「誰? まさか、コンシール?」
すると、彼は微笑みを浮かべて肯いた。
間違いない。
「見かけない顔だね。里の娘ではないようだ。……いや、待てよ。前に何処かで見た気もする。よく顔を見せてごらん」
そう言って彼が私の頬に触れてきたちょうどその時、銃声が二回鳴り響いた。
アンバーだ。
この当時でも時折外してしまう雑なところがあった彼女だが、この時は二発ともコンシールの体を撃ち抜いた。
対魔物用弾丸でない限り、吸血鬼相手には致命傷にはならない。
この傷も怯ませただけで命を奪うことは出来ない。
たとえ、頭部や胸部であっても、通常の弾丸は魔物を殺せないのだ。
その証拠にこの時の彼は肩を抑えつつも、私の手をぎゅっと握り、頭から血を流していても平然とした様子でアンバーのいる辺りを睨みつけた。
「狩人か」
彼がそう言ったちょうどその時、全く別の方向から銃声が響いた。
猟銃とは少し違うその音。
その頃の私とアンバーが憧れていた発砲音。
対魔物用弾丸が放たれた音だ。
吸血鬼のような人型の魔物が標的の場合、主に使用されるのは対魔物用拳銃だ。
一度に五発まで撃てるわけだが、ペリドットはたったの一発でコンシールの左胸を撃ち抜いた。
手を握ったまま彼が事切れる生々しい感覚は、しばらく後を引いた。
だが、その恐怖よりも、無事に仕事が終わった事への安堵が勝った。
「やった。さすが師匠」
アンバーがすぐに茂みから身を乗り出し、コンシールの亡骸へと駆け寄っていった。
私も手を放し、彼が本当に息絶えているかを確認した。
大丈夫なようだ。
その事を確かめてすぐに、駆け寄ってくるアンバーに視線を向けた。
だが、そのまま、私は固まってしまった。
私の視線を釘付けにしたのはアンバーの姿ではない。
彼女の背後にちらりと見えた、別の人影だった。
「……え」
思わず立ち上がったその時、背後からペリドットの声が聞こえてきた。
「アンバー、カッライス……すぐにこっちへ!」
強い口調にアンバーは驚きつつ、言われた通りにペリドットの元へと逃れた。
一方の私もまた、遅れて我に返り、その指示に従おうとした。
だが、着慣れない服も災いしたのだろうか。
すぐに動くことが出来なかった。
この一瞬が、命とりとなった。
「カッライス!」
振り返るとペリドットの青ざめた顔が見え、すぐに駆け寄ろうとした。
だが、その手を背後からぎゅっと掴まれてしまったのだ。
誰に。
その答えとして声が聞こえてきた。
「久しぶりね、ベイビー」
それは、間違いなく、ルージュの声だった。