7.第二の事件
翌日、私とアンバーは手紙に会った通り、朝一番に指定の場所へと訪れた。
関係者入り口という名前があるように、その場所は人目に付く開けた場所でもある。
それにも拘らず、アンバーの付き添いが少しだけ有難かったのは、やはりその近くでドルチェが変わり果てた姿となって見つかったからだろう。
事件後、あの場所は規制線が張られてはいるが、劇場関係者たちが行き来するのは今も変わらない。
朝一番とは言っても、町の日の出を告げる鐘が鳴った後ならば、誰が訪れてもおかしくはない。
そのため、私とアンバーが辿り着いた頃には、すでに騒ぎは起きていた。
最初に見えたのは、青ざめた人の姿だった。
人だかりに近づいて行こうとする私たちを、傍にいた知らない男性が引き留めてきた。
「君たち……見ない方がいいよ」
「何があったの?」
そっと私が訊ねると、彼は私達の胸元についた紋章へと目をやった。
その意味を知っていたのだろう、彼はすぐさま表情を変えた。
「狩人さんだったか。なら、逆に見た方が早い」
そう言って道を譲ってくれた。
アンバーと共に軽く礼を言ってから先へと進むと、すぐさまその光景は目に飛び込んできた。
人だかりの中央で倒れている人物がいる。
男性だ。
知らない人物ではない。
「ラルゴさん……」
すぐさま傍へと寄ってみるも、救護はもはや必要ない事だけが分かった。
目は見開かれ、逃げようともがいた痕跡がある。
そして首筋には太い噛み傷。
青ざめた顔とその傷からして、失血死であることは間違いなさそうだ。
そして、地面には、ドルチェの時と同じように口紅で伝言が書かれていた。
「これで二人……ルージュ」
その文章を目で追っていると、アンバーがそっと私に囁いてきた。
「奴のニオイはしない」
ごく小声のその報告に、私もまた頷いた。
ルージュではない。
絶対とはいえないが、可能性は薄い。
第一、昨夜のルージュにはそんな暇がなかったはず。
それに、伝言にも違和感がある。
口紅で文を書くことくらい、誰にだって出来る。
問題は文言と筆跡だ。
ドルチェの時と同様、どうしても私はこの文字がルージュのものには思えなかった。
「犯人は……ルージュではない」
だが、人間でもなさそうだ。
口紅の伝言から目を逸らし、私はそっとラルゴへと目をやった。
苦悶の表情を浮かべ、抵抗しかけた状態のまま、彼は絶命している。
その表情を見ていると、ここ数日間、必死になって私の手伝いをしようとしてくれた生前の彼の姿を思い出してしまった。
彼はいつここに来たのだろう。
そして、いつこうなってしまったのだろう。
様々な事を考えた末、私の心には遅れてじわじわと後悔の波が押し寄せてきた。
また一人、関わった人を死なせてしまった。
──ごめんなさい。
その重み、その喪失感、その無力感を抱えつつ、私はふとポケットに入った手紙に触れた。
彼は、私に何を伝えたかったのだろう。
程なくして、警察はやって来た。
あっという間にこの場を取り仕切ると、私達を含め、劇場関係者たちへの事情聴取が始まった。
その諸々のやり取りが終わる頃には、すっかり日も昇っていた。
警察は、ドルチェの件と同様に、人間がやったという線で捜査を続けるらしい。
「まあ、とても人間の仕業とは思えませんがね」
事件現場付近で煙草に火を付けながらそう言うのは、刑事の一人だった。
顔を見るのは何度目かだが、いまだに名前は覚えていない。
覚えるほど会話をしていないせいでもある。
向こうもまた、どうやら此方と慣れ合うつもりはないようだ。
彼の相方と思しき、もう片方の刑事もまたそれは同じで、何処か気怠そうな様子で私とアンバーを見つめてきた。
「単なる嫌がらせだったらどんなに良かったか。とはいえ、言っても仕方のない事です。我々は我々に出来る事をして参りますので、あなた方はあなた方に出来る範囲でよろしくお願いしますね」
そんなやり取りの果てに、ようやく警察による取り調べは終わった。
もどかしい拘束でもあったが、得られるものも一応あった。
ラルゴの昨日の詳しい行動を知れる機会があったからだ。
その行動の中に、彼が私に伝えたかった内容が隠されているかもしれない。
だが、どうやってそれを探ればいい。
悩みつつ私は、アリアの身辺警護をまたしてもアンバーに押し付ける形で、昨日、ラルゴに会ったという人々に手当たり次第、話を聞きに向かったのだった。
仕事仲間であったり、若い踊り手たちであったり、昼食を共にしたメンバーであったり、午後の休憩で話していたというもぎり係であったり。
名前が挙がった人物を、一人一人訊ねていくと、彼らはいずれも落ち込んでいた。
それでも、私が訊ねると、協力はしてくれた。
ある者は快く、ある者は仕方なく、ある者は怒りを滲ませて、そして、ある者は期待を寄せながら、それぞれが私に昨日の彼の事を教えてくれた。
彼らが話すことは、いずれも取り留めもない事だった。
そこから重要そうなことは見つからず、追悼に寄り添うという形となってしまった。
それでも、彼が会っていたと思しき人物の名前は次々にあがり、ひとしきり話を聞くと、新たな人物のもとへ向かう事が出来た。
それを繰り返す事しばらく──。
「……それで、最終的に私のもとへたどり着いたというわけね」
舞台衣装を着たまま、壁に寄り掛かり、目を伏せたのはコルネットだ。
歌い手の一人であり、ドルチェとも仲が良かったという彼女は、すっかり落ち込んでいるようだった。
「今でも信じられないの。まさかラルゴが……って」
そして、コルネットはふと顔を上げると、無理に笑みを浮かべながら言った。
「ほら、ラルゴって、殺しても死ななさそうじゃない。だから……だから、なんだか実感がわかないの。本当に、彼は死んでしまったのかしらって」
私は黙ってその言葉を聞いていた。
耳を傾ける事しかできない。
ドルチェの悲劇からまだ日も浅い。
下手な事も言えなかった。
その結果、沈黙が流れ、コルネットを焦らせる結果になったのだろう。
「ごめんなさい。手紙の事だったわね」
そう言って、コルネットはふと周囲を窺い始めた。
誰もいない事を確かめてから、彼女はそっと私を手招いた。
その手招きに応じて耳を貸すと、ごく小さな声で囁いてきた。
「もしかしたら、思い当たることがあるかもしれない」
「……本当に?」
「うん。勘違いじゃなければ、だけれど。ただ、ここで話すのは少し怖い事なの。それに、これからまたリハーサルがあるから……。もしよかったら、日没の鐘が鳴る頃に、また会ってくれる?」
「何処に行けばいい?」
「宿舎の入り口に来て。時間は取らせないから」
「……分かった」
頷くと、コルネットは安心したように微笑み、そして舞台裏へと戻っていく。
「絶対よ。約束だからね」
その背中に頷きつつ、私は密かに願った。
もうこれ以上、悪いことが怒らないように、と。
それから数時間後、私はようやく楽屋前の忠犬と化していたアンバーのもとへと戻っていった。
立ちっぱなしで飽き飽きしていたのだろう。
私が戻ってみても、すぐには目を合わせてはくれなかった。
「ただいま」
そう声をかけて、ようやく彼女は私をジロリと睨んできた。
「なあ、相棒。一日だけで良い。交代しないか」
「情報交換がちょっとばっかり面倒になるね。それに、君の方がアリアさんを守るのには適していると思うけど」
「よく言うよ。……で、なんか収穫あったの?」
「コルネットっていう歌い手の女の子と会う約束をしてきたよ」
「なにそれ、ナンパ成功の報告?」
「私をどっかのふしだら狼と一緒にしないでくれる?」
軽く言い返すと、アンバーは「ちょっとした冗談じゃん」と笑い、ふと気付いて笑みを引っ込めた。
「おい待て。誰がふしだら狼だって?」
問い詰めてくるその眼差しから目を逸らしつつ、私はアンバーに言った。
「日没の鐘が鳴る頃、宿舎の入り口で待ち合わせしているんだ。そこで、ラルゴの手紙に関係あるかもしれない事を教えてくれるらしい」
すると、アンバーはひとまず不満そうな表情もまた引っ込めて、静かに言った。
「なるほど。そりゃ、アタシも聞かせてもらった方がよさそうだね」
「そういう事。夕食はそのあとでね」
「ああ、分かったよ。……よし、じゃあ、約束の時間までの間、アタシがここで体験した退屈な見張り体験の話でも聞く?」
「いや、やめとくよ」
即答したのだが、どうやらアンバーには聞こえなかったらしい。
おかげで楽屋に残っていたアリアが帰り支度をすっかり終わらせ、劇場を後にするまでの小一時間。
私はとんでもなくつまらない話を延々と聞かされるという謎の拷問を受ける羽目になったのだった。