5.手伝いたがる男
大道具のラルゴ。
彼の事を何となく覚えていたのには理由がある。
非常に目立つからだ。
まさか魔物ではあるまいと疑ってしまうほどの大男。
その見た目からイメージする通り、彼はなかなかの力持ちだった。
しかし、そんな彼が不安そうな顔をしながら、余所者の私を頼ってきたのは、他でもないドルチェの事があったせいだろう。
「この事件の犯人が人間であったなら、俺の力の見せ所だ。この手でとっ捕まえてやるさ。だが、相手が魔物であったらそうはいかない。……そうなんだろう?」
口紅のメッセージを見つめ続ける私の隣にしゃがみ、ラルゴはそう訊ねてきた。
「そうだよ」
と、視線を逸らさずに、私は彼に答えた。
「吸血鬼もしくはその他の魔物であったなら、自慢の腕力も、工具や手に入りやすい武器なんかも役には立たない。怯ませることは出来るかもしれないけれど、仕留める事は不可能だろう」
「それが……あんたなら……あんた達なら出来るってわけだ」
「ああ、そのための資格を持っているからね」
「……俺は資格なんてない。魔物なんて殺せない。だが、体力は馬鹿みたいにあるから、動き回る事は出来る。なあ、あの、やたら背の高い金髪の姉ちゃんとたった二人なんだろ? 人手はたくさん欲しいんじゃないか? 邪魔にはならないだろう? 手伝わせてくれないか?」
「拒否する理由はないが、協力したい理由はなんだ? 仕事もあるでしょう? 金なら出せないよ。命を護れるという保障も出来ない」
「そんなんじゃないよ。俺が手伝いたい理由は、ただ単にドルチェを殺した奴を懲らしめたいからだよ」
「懲らしめる、か」
溜息を吐きそうになったが、ふと視界に映ったラルゴの表情に気づき、私は思いなおした。
彼は真剣だった。
少なくとも面白半分というわけではない。
大の男だから当然かもしれないが、少年などにありがちな、ヒーローごっこというわけではなさそうだ。
そんな彼に視線をちらりと向けて、私は静かに訊ねた。
「ドルチェとは親しかったの?」
私が少しでも興味を向けたからだろう。
ラルゴは食いつくように答えた。
「ああ……と言ってもまあ、たまに話すくらいだったんだが、気立てのいい人でさ、俺のつまんない世間話なんかにもよく笑ってくれたんだ。落ち込んでいる人がいたら率先して話を聞いたり……それでさ、俺、昨日の夜、ドルチェを見かけたんだ。話しかけようとしたけれど、御取込み中だったみたいだから遠慮してそのまま帰ったんだ。今思えば、話しかければよかった。後悔で頭が一杯なんだ」
「見かけた……」
恐らく、あの二人の刑事にも話した事だろう。
だが、私はまだ詳しく聞けていない。
アリアに付きっ切りだったからだ。
あの時点ではまだ、アリアの身辺警護だけが私の仕事でもあった。
しかし、それが全体に広がるとなれば──。
「それって何処だったか憶えている?」
「勿論。何なら、そこに案内したくて話しかけたんだ」
上手いこと釣られてしまったものだ。
だが、いずれにせよ、ここでぼんやり座っていては、何も進まない。
それよりも、ドルチェが最後に見かけられたという現場に行けば、もっと手掛かりがあるかもしれない。
「じゃあ、お願い」
短く答え、私達は同時に立ち上がった。
その後、ラルゴに続いて歩くことしばし、程なくしてその現場にたどり着いた。
そこは、稽古場の一つだった。
と言っても、踊り子たちが利用するような部屋ではなさそうだ。
非常に小さな部屋で、ピアノが一つだけ置かれている。
「ここは?」
と、私が訊ねると、ラルゴは小部屋の扉を開けて、中を覗き込んだ。
その体勢のまま、後ろにいる私に向かってこう言った。
「防音室だよ。それでさ、この体勢で、話していたんだ」
「昨夜の事だね?」
「うん。俺がちょうどこうやって中を覗いているように、ドルチェは中を覗いていた。そして、中にいた誰かと話をしていたんだ」
「誰かって?」
そこに重要なヒントが隠されているかもしれない。
そう思ったのだが、ラルゴは振り返り、肩を落とした。
「それは……分からない。ただ、ここを使っていたって事は、歌い手か楽器奏者の誰かだとは思うのだが……」
「そっか」
私もまた少しだけ落胆し、ラルゴと共に中を覗き込む。
中は特に変わったところはない。
ピアノがあって、椅子があって、それだけ。
忘れ物らしきものも何一つない。
「あの……これは……単なる俺の予想なんだが」
「何かな?」
「この部屋はさ、駆け出しのころからアリアがよく使っていて……」
「つまり、昨日話していたのはアリアさんじゃないかって?」
私が問うと、彼は黙ったまま頷いた。
そして、周囲の様子を念入りに窺ってから、声を潜めて私に言ったのだった。
「あまり大きな声では言えないが、俺はアリアを疑っている」
その声色、その表情。
呼び捨てにしているだけでなく、その全ての態度から、彼がアリアの事をよく思っていないのだと伝わってきた。
「どうして、そう思うの?」
「アリアは……急に歌が上手くなった気がする。いや、勿論、努力していたのは分かっているとも。だが、ここしばらくは異様なくらい上達した。オーバード氏に見初められたから? それにしては、不気味なほどの快進撃だ。ドルチェなんかは努力の賜物だと言って譲らなかったけれど……」
「でも、ラルゴさんにとっては疑ってしまうくらいだったって事だね」
私の言葉にラルゴは静かに頷いた。
足音が近づいてきたのは、ちょうどその時だった。
「ラルゴ」
聞こえてきたのは女性特有の高めの声だった。
よく響くが煩すぎない。
その声の張りからして、彼女の役職が何となくわかる。
振り返ってみて、その顔を見た時、私は少しだけ納得した。
名前は知らないが、確か、歌い手の一人だったはずだ。
真っすぐこちらに歩いてくると、私とラルゴの間に割って入ってくる。
そのままじっとラルゴを睨みつけて、彼女は咎めるように言った。
「狩人さんに変な事を吹き込まないで。ただでさえ、アリアは落ち込んでいるのよ」
そんな彼女の態度に表情を歪めつつも、ラルゴは何も言い返さない。
まずは私へ視線を向けて、短く説明をしてきた。
「コルネットだ。ドルチェとも仲が良かった」
それ以上の言葉をラルゴが口にするより先に、コルネットは私を振り返り、口を開いた。
「勿論、アリアともね。狩人さん、この人の言う事を、どうかあまり真に受けないでね。犯人は吸血鬼なのでしょう? アリアが吸血鬼だとでもいうの? 何の証拠があって?」
そう言って、コルネットはラルゴを軽く睨んだ。
ラルゴはそんな彼女を前に頭を掻き、深く溜息を吐いた。
「俺はただ、奇妙に思ったそのままの気持ちを口にしただけさ。昔のアリアと今のアリア、なんか違う気がしてさ」
「あなたにも困ったものね。だったら何? アリアが誰かと入れ替わったとでも言いたいの? 吸血鬼なんかと?」
「……それだよ」
と、ラルゴはコルネットの言葉に食いついた。
「そうなんじゃないかってくらい、アリアは変わった。本当に努力だけなのか。まるで魔術にでもかけられているみたいだ」
「そういうものじゃないの。努力実って突然開花する歌姫なんて、よくある話じゃない」
「うーん……そう言われてみればそうかもしれないんだが……。ともかく、狩人さん、俺は、アリアの事も注意深く見て欲しいんだ。警護するだけでなく、よく様子を見て欲しい。あんたはそのルージュとかいう吸血鬼の事も、良く知っているんだろう?」
ラルゴに問われ、私は黙って頷いた。
ルージュが化けている。
その予想自体は決して的外れではない。
吸血鬼が誰かと入れ替わるなんて事はあるだろう。
ましてやこれまで長生きしてきた彼女ならば、そういう事も容易いかもしれない。
声色も、見た目も、誤魔化せるものかもしれない。
けれど、その予想を信じるには足りないものがある。
ドルチェが亡くなっていた場所にも足りなかったもの。
それが、直感だった。
ルージュの匂いがしない。
気配がしない。
理屈などではない話だが、私にはこの事件の犯人が、やっぱりルージュではないような気がしてならなかったのだ。
では、誰が犯人なのか。
そればかりはまだ見当もつかなかった。