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CALLAIS  作者: ねこじゃ・じぇねこ
天才の恋人
73/133

3.シビアなリハーサル

 アンバーがそっと窓を開けてみれば、彼女はすぐに入ってきた。


「お疲れ様、ダイアナ。何か掴めたかい?」


 アンバーが軽く問いかけると、ダイアナはくたびれたような溜息を吐いた。


「それがさぁ、とんでもない目に遭ったの。いつものようにこの姿でうろついていたのだけれど、うっかり劇場の裏方のおじさんに捕まってしまってね。『それ、鼠を捕まえてこい』なんて言って、どぶみたいなところに放り投げられちゃって、もう散々。おかげさまで、情報は、ほぼゼロよ」

「なんだぁ。魔女のくせに裏方のおじさんなんかに敗北したってのかぁ?」


 呆れたようなアンバーの言葉に対し、ダイアナはブンっと尻尾を大きく振って不快感を示した。


「だって、しょうがないじゃない。猫に優しいような顔をして、ナデナデしてきたのよ。油断するに決まっているわ」

「全くしょうがないなぁ。これだから懐っこすぎる猫は危険なんだ。アタシがいつも実験に協力して貰っている野良猫の中にもそう言うのが良くいてね──」


 なんて語りだすアンバーを余所に、私はダイアナに訊ねた。


「そっか。それなら、しょうがないね。お疲れ様、ダイアナ」


 そう言って鞄からタオルケットを取り出し、体を拭いてやると、なるほど確かに、だいぶ汚れているようだった。

 ダイアナもまた汚れたタオルケットを見て、眉間に皺を寄せた。


「うわぁ、さすがにシャワーでも浴びるべきかしら?」

「生憎だけど、この部屋には風呂なんてないよ。アタシらはシャワー室を借りられるみたいだけど、さすがに猫を連れ込むのはねえ」

「いいわ。先月分に頂いた分であたしも宿を借りるから。あ、それと、情報がゼロだったわけじゃないの。ほぼゼロ、よ」

「何かあったの?」


 金色の目を輝かせる彼女に食いつくと、アンバーは呆れたようにため息を吐いて、そのまま不貞寝をし始めた。

 そんな彼女にこちらも呆れつつ、ダイアナの言葉に耳を傾ける。


「ルージュの事だけど、この劇場に忍び込んでいたみたい」

「本当に?」


 真っ先に出たのは疑いだった。

 というのも、今回は流石にモリオンが引き受けた依頼の現場にいるだろうと思っていたからだ。

 しかし、ダイアナは言った。


「間違いないわ。気配を強く感じた。それに、目撃も出来た。幻影の状態だけれど、もしかしたら今もまだ、この近くをうろついているかも知れないわ。これはあたしの推測だけど、あなたがここに来たから様子を見ているのでしょうね。普段いるハニーの別荘は、此処からだいぶ遠い場所にあるのだけれど、もしかしたら隙を見てあなたに接触してくるかもしれないわ」

「だとしたら好都合だ。こっちの依頼をしながら、彼女を仕留められたら……」


 と、呟いたところで、背後からアンバーが口を挟んできた。


「甘い。甘いねえ」

「なんだよ、アンバー」


 振り返ると、アンバーもまたちらりとこちらを振り返った。

 人間の姿をしているが、犬のような仕草だった。

 彼女は言った。


「吸血鬼を甘く見過ぎだよ。そんなんじゃさぁ、アリアさんの警備の前にあんたが殺されちまうよ」

「私だってそう簡単には殺されないさ。うわばみの都でだってそうだった」

「その慢心が怖いんだよねえ」


 呆れるアンバーに何も言い返せず、私はただ溜息を吐いた。

 そのままダイアナへと視線を戻すと、猫のままの姿の彼女と目を合わせて告げた。


「とにかく、大事な情報をありがとう。君も気を付けて」

「うん。それじゃあ、あたしは行ってくる。また明日、此処へ来るから」

「分かった。おやすみなさい」


 窓を開けると、ダイアナは黒猫の姿のままひょいと外へ飛び出していった。

 その姿をしばし目で追いかけていると、不意にアンバーが背後からそっと抱きしめてきた。

 音もなければ、気配もない。

 あっさりと捕まってから驚く私に対し、彼女は耳元で囁いてきた。


「ほら、もう油断している」

「君は狩りが得意だからね」


 そう答えると、アンバーは私を捕まえたまま、窓のカーテンを閉めてしまった。

 月光や外灯の明かりが遮られ、真っ暗になると、私はそのままアンバーのベッドへと引きずられていってしまった。


 翌日、アンバーと私は朝から劇場の客席にいた。

 目的はアリアの警護である。

 新作のリハーサル中に、アリアに変なことが起こらないよう見張っていたのだ。

 そういう事なので、新作の劇の内容については集中して見る事など出来ない。

 それでも、アリアが歌いだした時は、流石に気を取られてしまった。


 これが、歌姫。

 舞台衣装もまだ着てはおらず、私服のまま稽古をしているが、彼女の歌だけでここが異世界になってしまったかのようだった。


 そんな彼女の歌う姿を、客席から熱心に見つめている美青年は、この舞台の生みの親。

 アリアと同じ亜麻色の髪に、サファイアのような目をした彼こそが、オーバードだ。

 オーケストラの演奏に自然と体が動いている。

 しかし、その視線は、アリアの姿から逸らされない。

 彼の姿は確かに事前にダイアナが言っていた通り、綺麗な人だった。

 ただ、その心の半分は音楽に、もう半分はアリアによって、すでに奪われてしまっているらしいことがよく伝わってきた。


「悪くない」


 曲が終わると、彼は真っ先に口を開いた。

 それは、話しかけているというよりも、独り言を呟いているような口調だった。


「だが、それでは物足りない。これじゃない。何かが惜しい。僕がこの曲を書いたのは、確かにアリアに歌って貰うためだ。現状、この曲はアリアにしか歌えない。他の歌い手が真似したとしても、それは僕の作品じゃない。だが、今の君もまた、僕の作品を歌えてはいない。君は本当にアリアなのか? 僕のアリアはこんなものじゃない……」


 責めるわけでもなく、ただ淡々と彼は語る。

 それを聞いて、アリアは頭を抱えた。

 額を手の甲で押さえる彼女は、化粧をしていても青ざめていることが分かる。


「私の未来の旦那様はだいぶ辛辣ね。これでも現実を忘れて歌っているつもりなのよ。変な手紙が届いた現実を、ね」

「ああ、分かっているとも。本来ならば、今の君には休息が必要なのだろう。だから、僕は言ったんだ。この劇をするべきじゃないと」


 彼の表情はこちらからは見えない。

 ただ、あまり機嫌が良さそうには思えなかった。

 そこへ、慌てたように口を出したのが、オーバードの隣に座っていた秘書のヴィオラだった。


「あ、あの、差し出がましいようですが、そろそろ休憩なさった方がいいと思います。皆さん、朝からずっと稽古されていますし」


 そんな彼女の言葉に救われたと見えたのが、指揮者のマルカートだった。


「賛成です。疲れが溜まっていては、良い稽古など出来ませんからね」


 と、このようにして、アリアは舞台裏へと引っ込む事となった。

 その楽屋の入り口にて、私たちは近づいてくる者がいないか番犬のように見張っていた。

 中では疲れ切ったアリアに、一人だけ友人が付き添っていた。

 ドルチェという女性らしい。

 踊り手として舞台に参加していたのを覚えている。


「大丈夫よ、アリア。あなたの歌は相変わらず素晴らしかった。ただちょっと、彼の理想が高すぎただけで……」

「いいえ、彼は間違ってないわ。さっきの私は全然駄目だった」


 アリアは力なくそう言った。


「どうしても役になり切れなかったの。彼以上に多分私自身がショックを受けている。あの曲が出来た時、すぐに私は歌ったのよ。まさに私のために作られた曲だった。魂の底から馴染むような曲だった。それなのに、あの時のように歌えなかったの。それがあまりに辛くて……」

「アリア」


 心配そうにドルチェは見守っている。

 だが、そんな彼女にアリアは言った。


「もういいわ、ドルチェ。あなたも休んできて。ここじゃ、気が休まらないでしょうから」


 ドルチェは反論しそうになった。

 だが、その言葉に隠されたアリアの気持ちを汲んだのだろう。

 そっと立ち上がると、ドルチェは頷いた。


「分かった。ゆっくり休んでね」


 そう言って、ドルチェは楽屋から出てきた。

 立ち去ろうとしたが、ふと私たちを振り返り、彼女は不安そうな顔をして声をかけてきた。


「あなた達が今回呼ばれた狩人さんなのよね」


 静かに頷くと、ドルチェは言った。


「アリアをお願いします。どうかあの人を、守ってあげて」


 そして、私たちの返答を待たずして、ドルチェは去っていった。

 健気な踊り子の願いが通じたのだろうか。

 結局、その日、アリアに接触する怪しい人物は現れなかった。

 勿論、現れないのが当然だと私は内心思っている。

 この騒動の犯人はルージュではないのだろうと睨んでいたからだ。

 ダイアナがルージュを目撃したのだって、私が此処にいるからというだけではないだろう。

 彼女はきっと面白がっているのだ。

 自分の名を借りて、歌姫に嫌がらせをする第三者の事を。


 そう思っていたからこそ、私はこの現場で油断していた。

 アリアに危害が加えられるとは限らないと、思い込んでいたのだろう。

 だが、この騒動はどうやら、単なる嫌がらせで終わるわけではないらしい。

 それがハッキリしたのは、それから一夜明けた朝の事だった。


 人が殺されている。

 その報せを宿舎の管理人から受けて、私たちはすぐに現場へと駆けつけた。

 場所は劇場の裏口だった。

 劇場関係者たちにとっての玄関となるその場所に、彼女は倒れていた。

 私たちが駆けつけてみれば、そこには既に人だかりが出来ていた。

 何も知らずに劇場に通勤してきた者たちが、事態に気づいて次々に慌てふためく。

 それら視線の中央で、犠牲者は倒れている。


 その人物は、アリアではない。

 彼女を慰めていた、ドルチェだった。

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