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CALLAIS  作者: ねこじゃ・じぇねこ
吸血鬼の愛し子
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7.秘密の関係

 キャットニップがいけなかったのだろうか。

 あの口づけの後から、私たちの関係は決定的に変わってしまった。

 箍が外れてしまったように、お互いの理性がバラバラになってしまったようだ。

 おまけにペリドットが戻ってくるまで時間があった事もいけなかったのだろう。

 その夜、二つあったベッドのうちの一つは空になった。

 言葉を交わしたわけでもない。

 どちらが誘ったのかも曖昧なまま、私はアンバーのベッドで眠ることとなった。

 けれど、私が自らしたことはあまりない。

 貪るように唇を奪うアンバーに、ただ黙って身を委ねただけだった。


 求められるままに唇を重ね、抱き合って、ふざけ合う時にはわざわざ触れない部分に手を回す。

 だが、その時の私たちがしたことは、そこまでだった。

 その先をまだ知らなかったわけではない。

 ただ、アンバーがしなかっただけだ。

 私の服を脱がしかけて、アンバーはそこで我に返ったように手を止めた。

 ため息交じりに開けた襟元を戻すと、ぎゅっと抱きしめながらそのまま横になってしまった。

 アンバーが求めないのならそれでいい。

 私も敢えて誘ったりせず、黙ってじっとしていた。

 しばしの沈黙が流れた後、アンバーが呟くように言った。


「今頃さ、師匠も同じことしてんのかな」


 その言葉に何と反応すればいいか分からず、私はただぎゅっとアンバーの手を握った。

 ペリドットに長らく恋人がいる事を、私たちはとうに知っていた。

 同じ組合の一員で、名前はオニキスという。

 褐色の肌と黒い目が特徴的な男性で、数回程度だが会った事もある。

 彼がペリドットと特別な関係であることはすぐに分かった。

 そして、組合絡みの遠出で彼女の帰りが遅くなる際に、誰と過ごしているのかについても、大人になりつつある私たちには分かっていた。


「本当はとっくに結婚していてもおかしくないって話を聞いた事があってさ、組合員のアメシストって人がいるだろ。黒い短髪に、右側に特徴的な紫の義眼が入ったあのお姉さん。あの人が前に家に配達に来た時に言っていたんだよ。ただ二人とも、いつ命を落としてもおかしくないからそのまんまなんだってさ。アタシみたいな瘤も付いてるし」

「師匠が君を引き取ることになったのは、組合の人たちの総意によるって聞いた事があるけれど……。それに、君が瘤なら私も瘤じゃないか」

「まあね。ともかく、アタシらがいつまでも半人前じゃ、師匠たちも安心してくっつけやしないよ」

「そうなのかな。聞いた話では、そもそも普通の人たちは結婚するつもりならその前に一緒になったりしないらしいのだけれど」

「それもアメシストかい?」


 黙って頷くと、アンバーは苦笑した。


「本当にお喋りなお姉さんだね。確かにそうらしいね。でも、アタシらはその普通の人たちとはちょっと違うからさ、師匠たちにも師匠たちの都合があるんじゃないかな」

「どう違うの?」

「町や里で生まれ育っていないって事さ。おまけにアタシなんて人狼だ。人狼の中に普通の人なんて存在しない。人狼にとっての普通はあってもね」


 そう言って、アンバーは私の体に手を回してきた。

 成長と共に変化の起こりつつある複数個所に触れられ、戸惑いと恍惚としたものを感じながらも、私は平静さを装って彼女との会話を継続した。


「これも……人狼にとっての普通なの?」


 そこには様々な意味が込められていた。

 婚前交渉の事だけじゃない。

 そもそも、里や町の人間たちがこう言ったことをするのは男女が基本であるのだと見聞きしていた。

 子供を産むための行為であり、同性同士ではやらないものなのだと。

 だから、本当にこれでいいのか戸惑いがあったのも事実だ。

 里によっては神の教えに背く禁忌であり、追放される事もあると耳にした事があったせいでもある。

 だが、アンバーはあっさりと答えた。


「さあね。そもそも、これが余所と比べて普通かどうかなんてどうだっていいんだ。大事なのは、あんたが嫌かどうかってことだよ」


 返事を求められ、私は口籠ってしまった。

 本心を赤裸々に告白するなら、決して嫌じゃなかった。

 しかし、当時の私の心は複雑なもので、素直にそれを認めてしまうという行為が大変難しかったのだ。

 だから、黙り込んでしまった。


「嫌ならこれ以上の事はしない」


 答えない私に痺れを切らしたのかアンバーはそう言った。


「ただ……時々でいいから、今日みたいに抱かせてほしいんだ」

「いいけど……どうして?」


 戸惑いつつ問いかけると、アンバーは目を泳がせた。

 恐らく言葉を選んでいたのだろう、黙ったままじっと待っていると、やがて私の様子を窺いながら慎重に答えてきた。


「アタシの両親がどうして退治されたのか前にちゃんと話したっけ」

「確か……人を食べていたからって」

「その通り。彼らは生きるために人を食べていた。でも、どうしても人を食べなくては生きていけないってわけじゃないんだ。人を食べずとも生きていける手段はある。肉は人肉じゃなくたっていい。そうじゃなかったら、師匠はアタシを育てられなかっただろう」

「……そうだね」


 アンバーの主食が肉であるのは変わらない。

 ただし、人肉などではなく、羊や鶏、鹿や兎などといった鳥獣の肉である。

 毎日のように肉を欲するため恐らく養うのは大変だっただろうものの、おかげでアンバーが人を襲ったことなんて一度もない。

 けれど、そこには限界もあるらしい。


「子供の頃はまだマシだったんだ。でも、ある時から欲望を抑えきれなくなった」

「欲望って?」

「狩りだよ。狩りは狩りでもいつもの狩猟じゃない。食欲は満たされても、本能が求める狩りがあるんだ。前に、満月の日に師匠に無理を言ってあの姿で狩りに行ったのもそのせいさ。あの時、狼の姿で鹿に噛みついた時、ああ、私はこれを求めていたんだって強く思ったんだよ」


 淡々と語るその時のアンバーは、少しだけ怖く感じた。

 無防備な姿で共に眠っているからだろうか。

 信頼しているはずの相手のはずなのに、私は恐る恐る彼女の様子を窺いつつ訊ねたのだった。


「その話と……この話がどう関係あるの?」


 すると、彼女は不敵な笑みを浮かべながら答えた。


「満たされるんだ」


 そう言ったかと思うと、私の体を力任せにベッドへ押さえつけてきた。

 突然の事で怯えてしまった私の顔を、アンバーは覗き込む。

 そしてさらにぐっと力を込めながら、耳元で囁いてきた。


「これだよ。快楽であれ、苦痛であれ、蹂躙されて弱々しく鳴くあんたの声。それを聞いていると、どうしようもないほど愉悦を覚えてしまう」


 段々と苦しくなってきてどうにか呼吸をする私に対し、アンバーはさらに言った。


「捕食ごっこって昔やっていただろう。自分でもあれはただのごっこ遊びだったと思いたいところだが、どうも違うらしい。アタシはさ、師匠の願い通りに育ちたい一方で、やっぱり人狼である本能には逆らいきれないんだ」

「アンバー……苦しいよ……」


 本当に息が出来ず、苦しかった。

 あの時のアンバーは、そんな私の様子すら喜んでいるように見えた。

 それを見て、私は初めて彼女を本気で怖いと思ってしまった。

 同時に、常日頃、彼女が言い聞かせてきた言葉を強く思い出した。

 魔物を信じちゃいけないのだという事を。

 意識が飛びかけたところで、アンバーはようやく手の力を緩めた。

 咳き込む私を軽く抑え込んだまま、彼女は静かに呟いた。


「本当はあんたの事、食べてしまいたくなる事が何度もあったんだ。でも、食べるわけにはいかない。師匠をがっかりさせるからじゃない。あんたを死なせてしまうから。そうなってしまったら悲しいから。分かるかい、カッライス? アタシ、本当はギリギリのところで人間らしさを保てているんだよ」

「……アンバー」


 呼びかける声に、彼女は少しだけ笑みを浮かべて答えてくれた。


「そんな哀れむような目をするなよ、カッライス。アタシの事は心配しなくたっていいんだ。あんたはあんた自身の心配をした方がいい。嫌なら嫌って言えばいいし、逃げたければ逃げたっていいんだ。アタシの欲求に付き合う義務なんてない」


 いつになく落ち込んだような彼女の表情は、とても放っておけるものではなかった。

 初めて狼の姿を見た満月の日の事を思い出した。

 あの頃のように彼女はナーバスになっている。

 それに気づいた私は、苦しさも忘れて彼女の手を握っていた。


「逃げないよ」


 はっきりとそう言ったのだ。


「これで、狩りの欲望が満たされてさ、それで君の心がすっきりして、人間らしくいられるっていうのなら、私は逃げたりしないよ。うん、外で鹿を狩りに行って、里の人たちに姿を見られてしまう危険を考えたら、この方がずっと安全だ」


 正直に言って、怖くないわけではなかった。

 この時だってアンバーがあと少し力を込めていたら、絞め殺されていたかもしれない。

 そのくらいの危機感があった。

 それでも、ここで協力せず、アンバーの心がおかしくなっていってしまったりしたらと怖くなったのだ。

 彼女が私の死を望んでいないように、私だって彼女の死を望んでいない。

 これは当時も今も同じことだ。

 彼女が人狼であると世間に知られて、人々に危害を加えられるかもしれないと思うと、そちらの方が怖くて仕方がなかったのだ。


「この方法で欲を満たすのか、違う方法を考えるのか。どうしたいかは、君に任せる」


 私は彼女に言った。


「でも、これだけは誓っておく。私は君を嫌ったりしないよ。君の役に立てるなら、それでいい」


 この約束もまた、当時から今に至るまで全く変わってはいない。

 そして、恐らくだが、アンバーの方の気持ちもさほど変わってはいないだろう。

 強く主張する私の目を彼女は黙って見つめてきた。

 そして、その後は何も言わないまま私たちは再び唇を重ねたのだった。

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