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CALLAIS  作者: ねこじゃ・じぇねこ
人食い領主の子孫
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14.望まれぬ門出

 ルージュに動きがあったのは、そろそろこの拠点に居座り続けることも厳しくなってきた頃合いだった。

 この拠点を中心に活動しているだけでも、周辺地域に役立っていたことは確かなようだが、魔物たちが懲りないわけではない。

 ここに居座り、依頼を次々に引き受けていった私と、特にアンバーの存在は、この辺りの魔獣や、原始的な暮らしをする魔物たちを非常に警戒させたようで、段々と周辺の人々を困らせるような事もなくなっていった。

 勿論、良い事ではある。

 だが、それならば、もう、私たちの居場所はここにない。

 一応、これまでの稼ぎを考えれば、しばしの休暇と称して拠点に居続ける事も可能だろう。

 ダイアナがその情報を持ってきたのは、そんな頃合いだった。


「ルージュが今日、あの城を去るみたい」


 テーブルの上にちょこんと座り、彼女はいの一番にそう言った。

 そんな彼女の言葉に、低く唸ったのはベッドに潜り込んでいるアンバーだった。


「奴め。よりによって今日だなんて」


 頭から毛布を被りながら彼女は言った。

 ダイアナはテーブルからベッドへと飛び移ると、少しだけ飛び出たアンバーの鼻先に猫の手でポンと触れてから言った。


「そりゃあ、絶好の日ですもの。満月の日ってのはね」


 アンバーは不満そうに鼻を引っ込め、毛布の下からダイアナを睨みつけた。


「あんたが羨ましいよ。いつでも変身できるんでしょ?」

「そうよ。なんといっても、月神に選ばれし一族ですもの。でもね、無いものねだりっていうの? あたしだって人狼のようなパワーが羨ましい事はあるわ。吸血鬼なんかに捕まったのだって、あたしが未熟なせいでもあったけれど、そもそも魔女が非力だからだもの」


 ダイアナの言葉を受けて、アンバーは黙り込んだ。

 フォローのような言葉ではあったが、今の彼女にどれだけ寄り添える言葉かは、私には分からない。

 ただ、アンバーはそれ以上、不満を口にすることはなかった。


「さてと、行き先の話もしましょうか」


 ダイアナはそう言って、私を振り返った。


「ルージュはこれからさらに北西へと向かうみたい。目的地は、うわばみの都よ」

「うわばみの都?」


 あまり聞きなれない地名で問い返してしまったが、毛布の下からすぐにアンバーが補足してきた。


「酒飲みの都の事だよ。世界中の酒好きが集うっていう」

「ああ、聞いたことあるな。そこが、別名、うわばみの都?」


 ダイアナはこくりと頷いた。


「ええ、そうよ。大酒飲みが集うから、うわばみの都。お酒好きの陽気な人が集う楽しい町なんだけど、酒に飲まれちゃった酔っ払いも徘徊しているから、そこがちょっと面倒くさい町なのよね」


 ただ、と、ダイアナは器用に猫の手を合わせ、人間の姿の時と同じように笑みを浮かべた。


「珍しいお酒に出会える聖地でもあるの。あたしが求めるのは、珍しい異国のお酒。マタタビ酒ってやつなの。ものすごく美味しいらしいって聞いていて、すっごく楽しみなの」

「そっか、見つかるといいね」


 私の言葉にダイアナは笑顔で頷いた。

 そのやり取りを聞いて、毛布の下でアンバーが溜息を吐いたのが分かった。


「もう行く事は決まっているわけだ」


 不貞腐れたようなその言葉に、私はすぐさま答えた。


「勿論。どの道、ここを去るつもりだったわけだし」

「まあね。それに、酒飲みの都か。観光目当てでも悪くない場所ではあるかもね」


 アンバーの言葉に、ダイアナが頷いた。


「そうよ。それに、チャンスが来るかもしれない」

「チャンスって?」


 私が問うと、ダイアナは声を潜めながら答えた。


「実はね、ルージュの事なんだけど、本調子ではないみたいなの。ミエール城にしばらく滞在していたのも、その為よ。恋人を頼って身を隠して貰っていたわけね。で、少しだけ回復したから旅立つみたいなんだけど、それでも、ハニーは反対していた」

「反対……」

「うん。まだ一人で旅立つには早いって。必死に隠していたけれど、あの人、どうやら右手に力が入らないみたい。古傷が治りきっていないのね」


 右手の古傷。

 その言葉に、私はふと思い出した。

 高級ホテルのアトランティスを抱えるあの町の廃墟で、彼女に囚われそうになった夜のことだ。

 必死の抵抗で抜いたナイフが貫いたのは、ルージュの右手だった。

 その毒は、彼女を仕留めるほどの効果はなかった。

 それよりも先に、血を抜かれた私の方が限界を迎え、勝敗は覆らなかった。

 アンバーが来なかったら、あのまま攫われていただろう。

 それほどまでに立場の違いを思い知らされた出来事だった。

 だが、あの時の傷が、実はルージュを今も苦しめているのだとしたら。


「古傷ね」


 毛布の下からアンバーが呟く。


「俄かには信じがたいな」

「何よ。あたしが嘘をついているとでもいうの?」


 ダイアナが不満そうに噛みつくと、アンバーはすぐに否定した。


「いや、違うよ。あんたの見た情報を疑わないにしろ、あの女の事だ。あんたの監視になんてとっくに気づいているんじゃないか。その上で、わざと苦しいふりをして、こちらの油断を誘っているんじゃないかなんて疑ってしまったんだよ」

「何よ、それ。そんな事……あるの……かな?」


 ダイアナはそう言って考え込んだ。

 私もまた言われてみれば、と思ってしまった。

 いずれにせよ、古傷の影響を過度に期待するのは危険だろう。

 これまでと変わらず、全力で立ち向かわねば仕留める事は出来ない。

 静かに意気込む私の横で、ダイアナは呟くように言った。


「敢えて見せているって思い始めると、この偵察もちょっと怖いわね。誰かさんのせいで、現金を頂けない事を考慮すると、何かしらの上乗せが欲しいかもしれないわ」

「……くっ、余計なことを言ったか」


 アンバーは言った。

 毛布の下で尻尾が揺れているのが分かる。


「いくら欲しいの?」


 私が訊ねると、ダイアナは目を輝かせて肉球のついた片手を広げた。


「危険手当の上乗せって事を考えると、このくらいは欲しいわね。うわばみの都についたら、お酒を買わなきゃだもの」

「マタタビ酒だったっけ?」


 アンバーの問いに、ダイアナは胸を張って頷く。


「そうよ。言っとくけど、この危険手当、キャットニップの香水一本と三食昼寝付きとは別なんだからね」


 つんとするダイアナに、アンバーの呆れたような溜息が聞こえてきた。

 アンバーはどうやらケチりたいようだが、ダイアナの提示した金額は、別に払えないわけではない。


「分かったよ。うわばみの都についたら渡せるように用意しておく」

「おい、カッライス……」


 咎めるようにアンバーが私の名を呼んだが、毛布越しにその背中を撫でて、宥めた。

 ダイアナの方は、すっかり目を輝かせていた。


「やった。絶対だからね。そうと決まれば、張り切ってお仕事よ。さっそく行ってくる」

「もう行くの? もうちょっとゆっくりしていけばいいのに」


 アンバーの言葉に、ダイアナは尻尾を軽く揺らしながら答えた。


「そうしたいところだけれど、見失ったら大変だもの。それに、見ていない間におかしなことをしている場合もあるでしょう。心配しないで。今度は捕まったりしないもの」


 そう言いながら窓辺に向かうダイアナについて行く。

 窓を開け、見送りがてら、私はダイアナにそっと告げた。


「くれぐれも気を付けて。危ない時はすぐに逃げるんだよ」

「ええ、そうするわ」


 ダイアナはそう言うと、ぴょんと窓辺から飛び出して、そのまま姿を消してしまった。

 

 彼女を見送ってしばらく後、アンバーがうつらうつらしてきた頃合いを見計らって、私はそっと寝室を抜け出した。

 ポケットにしまったままの指輪に手をかける。

 いまだその存在をアンバーには明かせていないその代物をそっと取り出すと、恐る恐る左手の薬指に嵌めた。

 途端、きゅっと締まる感触に見舞われる。

 刺激の後で浮かび上がるのは、どうしようもないほどの彼女への恋しさ。

 そして、脳裏を駆け巡っていったのは、私が見た覚えのない情景だった。

 これは恐らく、馬車の中。

 私とアンバーが乗ってきたようなものではなく、もっと上等なもの。

 揺れるその車内にて、浮かび上がるのは、ハニーの憂鬱そうな表情だった。


 ──そんな顔をしないで、ハニー。うわばみの都でも、あなたと約束した通りに動くから。


 間違いなく、ルージュの声だ。

 ダイアナが言っていたように、右手を庇っているかどうかは分からない。

 ただ、ハニーの表情から察するに、この門出は望ましいものではないらしい。


 ──ルージュ。


 その名を心の中で唱え、私は指輪を外した。

 ダイアナの言う通り、これはチャンスかもしれない。

 だが、だからと言って、油断することは出来ない。

 狩られる事も、横取りされる事もなく、必ずやその命を私の手で。

 黙したまま心の中で誓い、私はアンバーの待つ寝室へと戻っていった。

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