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CALLAIS  作者: ねこじゃ・じぇねこ
人食い領主の子孫
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9.幼い頃の記憶

 夕食の後で、私は約束通り、ハニーの案内を受けて城内の見学をしていた。

 アンバーの姿はない。

 彼女は食事の後で、特に何も言わずに姿を消してしまった。

 どこへ行ったのかは考えるまでもない。

 彼女が姿を消した時から、作戦はすでに始まっていた。

 だが、少なくとも今だけは、観光客気分で案内を受けていた。

 興味が全くないというわけではない。

 このミエール城に存在する物品の歴史や価値の話は、それなりに面白いと感じられるものだった。


 私は学校というものとは無縁だった。

 幼い頃はルージュの暮らす屋敷の中しか知らずに育ったし、ペリドットに引き取られて以降も、結局はペリドットの家で狩人の修行と並行して、ペリドットやたまに訪れる組合の関係者による座学を受けたくらいだった。

 何かの用事で町へと繰り出し、学校に通っている同じ年頃の子供たちの姿を見かけた際に、羨ましく思わなかったわけではない。

 だが、どう足掻いても通わせて貰えないだろうアンバーの事を思うと、どうしても言い出せなかった。


 思い返してみても、ペリドットは優秀な先生だった。

 ルージュの手により、偽りの愛のもと、いつか屠る予定の家畜として無知なまま育てられていた私に、読み書きや計算は勿論、一人で町に繰り出しても困らない程度の常識や、作法といったものを授けてくれた。

 けれど、それでも、私はどうしても想像してしまう事がある。

 もしも、町の子供たちのような境遇だったら。

 普通の家庭で生まれ育ち、当たり前のように学校に通えていたら、どんな日々を送っていたのだろうかと。

 そんな思いが重なってのことだろう。

 私は熱心な生徒のように、ハニーの解説に向き合っていた。

 わざと時間を潰させるのではなく、心から興味を抱いた態度であったからだろう。

 ハニーの方もさほど疑いもせず、私の好奇心に向き合ってくれた。


 ミエール城に飾られている代物は、遠い異国から渡ってきたものも多かった。

 肌の色や顔立ちからして違う民族による、全く違う文明のもとで生まれた芸術品。

 一生に一度、行く事があるかどうかも分からない、けれど、確実に繋がっている世界から渡ってきたその代物を、ハニーは丁寧な口ぶりで教えてくれた。

 その間だけでも、ハニーは本物の先生のようだった。

 その説明に耳を傾けている間だけは、彼女がルージュと親しい人物であることも忘れてしまいそうだった。

 かくして、片っ端から展示物を紹介してもらった末に、私は応接間の一つへと案内された。

 いつも依頼についての話し合いで通される部屋とはまた別の部屋で、壁には肖像画がいくつか飾られていた。

 恐らくハニーの先祖か、親類と思われるその絵を一つ一つ眺めていると、ある絵でぴたりと視線が止まってしまった。

 そんな私の背後に回り、ハニーは声を潜めながら言った。


「案内はどうでしたか。退屈ではありませんでしたか?」

「い、いえ、とても興味深い話ばかりでした」


 慌ててそう言ったものの、私は振り返る事が出来なかった。

 肖像画の一つ。

 そこに描かれている女性の姿から、目を逸らすことが出来なかった。


「あの、こちらの絵に描かれている女性は、ハニーさんでしょうか」

「ああ、この絵ですか。いいえ。この絵は私ではなく、先祖の絵です。書かれた年代をごらんください。名前も全く違うでしょう」


 示された場所に視線を向けると、額の下のプレートには今よりおよそ百年前の年代が刻まれていた。

 言われた通り、名前もハニーではない。


「そ、そうですよね。それにしても、よく似ていらっしゃる……」


 呟くように言う私の背後で、ハニーは低く笑った。

 得体の知れない緊張感を覚え、私はとっさに振り返った。

 やっぱり。

 似ている、というよりも、本人そのものだ。

 間近でその顔を目にし、つくづくそう思った矢先、ハニーは私の顔を覗き込んできた。


「カッライス。いい名前を貰いましたね。サファイアではなく、カッライス。まさにそういう色をしている」


 そして、ハニーは薄っすら微笑んだ。


「ご存知でしたか? 黒い髪に水色の目。この辺りの地域にはあまりいないんですが、遠く離れたある地域にはよくある組み合わせなんだそうです。もともとは少し離れた異国の辺境にいる、少数民族の特徴だったのだとか。その後、交流を機に婚姻などでじわじわと外へと広まっていくのですが、この辺りまではまだあまり増えていない。仕事柄、私も多くの人と会いますが、青い目こそ見かけるけれどもあなたの目のその色は、それらの青とはまた違う」


 蜂蜜色の目を輝かせ、ハニーは言った。


「──けれど、だいぶ前になりますが、その色の目をした子を毎日のようにあやしたことがあったんです。懐かしいな。あれは何年前の事だったか」


 ハニーからは不気味なほど敵意を感じられない。

 それでも、警戒心がじわじわと増していった。

 私は息を飲み、彼女に言った。


「無理を言って案内していただき、ありがとうございました。お陰で十分楽しめましたので、そろそろ──」


 と言いかけた時、突然、ハニーに肩を掴まれた。

 思いがけず強い力が加わり、呻いてしまう。

 そんな私に対し、ハニーは囁いてきた。


「話はまだ終わっていないよ」


 表情は微塵も変わらないが、その声色が変わった。

 森の怪人を仕留めた時とはまた違う恐怖が生まれ、体が震えそうになった。

 せめてその怯えを表に出さぬように身を強張らせていると、ハニーは軽く目を細めた。


「よく顔をお見せ。ああ、狩人の真似事なんてしていても、面影はだいぶ残っているね。あんなに可愛がってやったのに、忘れてしまったなんて寂しいよ。ルージュの代わりにボクがおしめを替えてやったことだってあったのにさ。幼子の成長っていうのも切ないものだね、ベイビー」


 ハニー。

 私はその名を頭の中で反芻した。

 記憶にはない。

 だが、肖像画の姿、そして、目の前の顔が頭の中で重なり合ううちに、頭の奥底に追いやられていた記憶がわずかにだが蘇った。

 幼い頃、ルージュの隣に並んで、私をあやしてくれた女性。

 ルージュが母親であるなら、その人は父親のような存在とも言える彼女。

 明るく、穏やかな空間の中で、幼い私は時折、二人の愛を受けて過ごしていた。


 そうだ。

 あの時の女性だ。


 ルージュの隣にいて、親しかったと思しき人物。

 その時の記憶にある人物と、目の前のハニーの姿は全く変わらない。

 ルージュと同じだ。

 時を止めてしまっている。

 それはつまり、彼女が人間ではないということを意味する。


「やっぱり魔物じゃないか。歳も取っていないなんて」


 敵意を剥き出しに唸る私の肩に、ハニーは力を込める。


「いい態度だね。幼い頃の君は、それは、それは、無垢で可愛かったのに」


 その強い力に呻きつつ、睨みつけてやると、彼女は笑みを深めた。


「ああ、でも、その目の美しさは変わらないね。知っているかい、カッライス。君はこの世に生まれる前からルージュのもとにいたんだ。それより前、ルージュのもとに、人攫いから逃げ出し、行き場を失って困っている可愛い女性が転がり込んできてね。同じような色の目をしていた。そんな彼女と、道に迷った異国の青年とが、ルージュの導きの下で一夜限り結ばれて出来たのが君だ。異国の青年も同じ色の目をしていてね、ルージュの期待通り、生まれた君も同じ目をしていた。君の両親が、その後どうなったかは知っているかな?」

「……黙れ」


 それ以上、聞きたくなかった。


 自分のルーツ。

 両親の事。


 興味がないわけではない。

 ただ、今だけは耳を塞いで痛かった。

 そもそも、その話が本当なのかどうかも分からない。

 私を動揺させるための作り話かもしれない。

 ハニーは、魔物だ。

 敵対する魔物は、狩りのためならどんな手段でも使うものだ。

 動揺させるのも狩りの一種。

 だから、真に受けてはいけない。


 それでも、無理があった。


「全部、ルージュから聞いているよ」


 ハニーは言った。


「君の本当の主人はあの狼じゃない。ルージュだ。だから、この手は離さない。君を取り返せば、ルージュが喜ぶ。彼女を元気づけるには、君が必要なんだ。さ、そろそろ狩人ごっこはお止し。悪い狼のかけた秘術を今ここで解いてあげるからさ」

「放せ……放せってば!」


 必死に藻掻いたおかげだろう。

 奇跡的に、その拘束から逃れることが出来た。

 すぐさま私はハニーから距離を取った。

 懐に忍ばせていた拳銃をとっさに向けるが、撃ってしまう前にゆっくりと冷静さを取り戻していった。

 ここで撃つのは絶対に得策ではない。

 ハニーは両手を上げ、軽く笑ってみせた。


「落ち着きなよ、カッライス。今すぐに君の命を奪おうってわけじゃないよ。ただね、君を盗んだ悪い狼のことは懲らしめないと。幸い、月毛の狼の毛皮っていうものはね、結構な需要があるものだ。人狼となれば尚更のこと。きっと誰もが欲しがるだろうね」


 私は何も言わず、ただただハニーを睨みつけていた。

 頭に浮かぶのは、無論、アンバーの事だ。

 けれど、私は絶対にその名を口にしないよう努めた。

 銃を向けたまま、ただただ彼女から距離を取り、そのまま撃たずに部屋から脱出した。

 廊下に出てすぐに感じたのは、ひんやりとした空気だった。

 ここは、こんなにも寒い場所だっただろうか。

 ぞっとする空気の中で逃げながら、私が目指したのは上階だった。

 アンバーのいるはずの階層。

 嫌な予感が頭に広がり、焦りの中で階段を駆け上がっていった。

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