8.鬼退治の後で
翌日の昼は、これまた特に進展のない一日となった。
森の怪人の痕跡は見つかれど、姿はやはり見つからない。
そうこうしている間に日は暮れていき、城に戻る時間となった。
戻った後も緊張の時間は続く。
アンバーとさり気なく分かれて行動し、地下牢のダイアナの無事を確認すると、この日もまた鍵か、鍵となるものを探した。
だが、もどかしいまでに光は見えないままだった。
どうしたらいい。
最後の手段として考えられるのは、ハニーたちの行動を見張りつつ、ダイアナが処刑されそうになる寸前で助け出すということだ。
明確にこの城の主と敵対することになるが、人命には変えられないだろう。
そんな未来を思い描いて重たい気持ちを引きずりながら戻ってみれば、今日もまたアンバーは私の部屋の前で待っていた。
無言のまま部屋に入り、すぐに彼女は施錠する。
興奮した獣のように軽く唸ったと思えば、すぐに我に返って私の両肩を抱いた。
「牢屋の鍵は上の階にある。五階のもっとも西側だ」
「見たの?」
「会話を聞いたんだ。奴との会話をね。奴の寝室だ。そこに保管されている」
「ルージュの部屋?」
静かに頷く彼女を見つめ、私はさり気なく天井へと視線を向けた。
だが、すぐにアンバーに揺さぶられ、視線を合わせさせられた。
「いいか、カッライス。鍵の事はアタシに任せて欲しい」
「どうして?」
「ここは奴らのホームだ。あんたが行ったところで捕まりに行くだけになるからね」
「やってみないと分からないじゃないか」
「ああ、そうだな。絶対に、ではない。でも、得策じゃない事も分かるだろう。いいかい、カッライス。今回の目的を思い出すんだ。今だけはルージュの事は忘れろ。ダイアナを助けてやりたいんだろう?」
アンバーに静かに諭され、私は少し冷静になった。
「うん」
「それなら、今回はアタシに従ってくれ。明日の夜、アタシは奴の寝床に忍び込んで鍵を探す。その間、あんたはハニーの注意を引いて欲しい。奴一人なら、アタシの力でどうにかなるかもしれない」
はっきりと言うアンバーを前に、私はしばし黙ってしまった。
確かに、アンバーならば大丈夫だろう。
それはよく理解できた。
だが、それだけに、私は素直に頷くということがなかなか出来ずにいたのだ。
我ながら頑固すぎるものだと思う。
意地になりすぎるのは賢いとは言えない。
嫌になるものだが、気持ちというものはそれだけ厄介なものでもあるのだ。
結局、私が納得することが出来るよりも、アンバーのため息が漏れる方が早かった。
「あんたの獲物は横取りしないよ。それとも、アタシが信用できない?」
「……そんなことないよ」
ようやく折れる事が出来ると、アンバーは幼子を諭すように私の頬に手を添えた。
「いい子だ。言っておくが、アタシだって、あんたの事を少しは信用しているんだよ。そうじゃなければ、部屋で大人しくしていろと命令しているところだ。本音を言えば、あの城主様とあんたを二人きりにしたくないからね」
冗談交じりにそう言われ、私もようやく笑みを浮かべる事が出来た。
「分かった。言う通りにするよ」
はっきりとそう言うと、アンバーは満足そうに笑みを浮かべた。
翌日の昼、私たちはまた狩りへと出た。
ここ数日で得られた森の怪人の痕跡を頼りに探っていき、そしてとうとう、私たちは獲物の姿を確認することが出来た。
大きさは、私とアンバーの推測通り。
背丈は人間の時のアンバーの倍くらい──立ち上がった巨大な雄熊よりもさらに大きいくらいだろうか。
アンバーよりもずっと背の低い私からすれば、その目線は見上げてしまうくらいの高さとなる。
ハニーの言っていた通り、黒い毛で前身は覆われているが、その顔立ちは人間のものに近い。
ぎょろりとした目は鏡に映る私の目の色にも似た青。
異様に澄んだその瞳からは、すでに敵意が込められていた。
手に持っているのはこん棒。
ただの棒ではない。
人間の大腿骨だ。
「さて、さて、お話は通じなさそうだな」
アンバーが茶化すように言うと、森の怪人は咆哮してみせた。
縄張りを荒らされて怒っているのか、新たな食べ物を前に興奮しているのかは分からない。
ただ、真正面からやり合うつもりであれば、決して状況は悪くない。
「アンバー。奴の注意を逸らせられる?」
「任せな。あんたこそ、アタシを撃ち殺すなよ」
そう言って、アンバーはナイフを取り出した。
人間の姿をしていたとしても、アンバーは超人的な動きが出来る。
森の怪人も、アンバーの正体はとっくに分かっていただろう。
踏み出した瞬間から、その視線はアンバーにのみ向いていた。
私のことは恐らく食べ物にしか思っていない。
アンバーさえ倒してしまえばいいと判断しているのだろう。
獲物に見下される事はとうに慣れている。
寧ろ、その方が有難い。
変に警戒されるよりも、出し抜くチャンスが生まれるからだ。
アンバーが戦っている間に猟銃を構える。
恐れる必要はない。
良く見定め、引き金をひくだけ。
耳を劈くような破裂音と共に、銃弾は放たれた。
たった一発。
されど一発。
対魔物用弾丸は狙い通り森の怪人の眉間を撃ち抜いた。
そして、アンバーを襲おうとしていたそのままの姿勢で前のめりに崩れ落ちた。
あとはピクリとも動かない。
戦っていたアンバーが森の怪人を見つめたまま、近くに転がり落ちた人間の大腿骨を手にし、何度か突いた。
「大丈夫だ」
その言葉に、私もようやく肩の荷が下りた。
猟銃を下げると、アンバーは森の怪人から目を逸らさないまま言った。
「流石だな。師匠のようだった」
「数少ない取り柄だからね」
自嘲気味に言って、自分で気落ちしてしまった。
いつ、どんな時もこのようにいけばいいのだが、そうはいかない時がある。
ほとんどの狩りで今日のようにうまくいっても、肝心のルージュ相手にはいつも狙いが逸れてしまう。
どうして彼女の前では冷静になれないのだろうかと思い悩み、その間に自分の中に巣食うルージュへの執着を自覚しては自己嫌悪に陥ってしまう。
私はもしかしたら本当に、彼女を殺したいのではなく、彼女に殺されたいのではないか。
「なに不貞腐れているのさ。おかしなやつ」
アンバーはそう言うと、しゃがみ込んで森の怪人の亡骸をひっくり返した。
体重もまた巨大な熊よりも重いくらいかもしれない。
「さてと、二人きりで運ぶには骨が折れるが──」
そう言って、アンバーは不意に視線を私の背後へと向けた。
「おい、出てきなよ。もう襲ってこないよ」
その声かけに、私は慌てて振り返った。
いつの間に、だろうか。
そこには数名の人間がいた。
高身長の男性たちで、同じ制服を着ている。
そのデザイン、紋章からして、ミエール城の者たちで間違いない。
どう見ても人間にしか見えないが、顔色はいずれも異様に悪い。
それだけに、私は彼らを警戒してしまった。
気配を感じなかった。
それが怖かった。
「あんた達さ、城主様の遣わせた新しい見張りなんだろ? もう見張る事はなんにもないし、こいつ運ぶの手伝ってよ」
アンバーが物怖じせずにそう言うと、リーダー格と思しき男性が丁寧に会釈をしてから受け答えた。
「もとよりそのつもりで御座います。どうぞ、運ぶのは我々にお任せください」
そして、手際よく他の男性たちに指示を送ると、森の怪人の亡骸を一斉に担いでしまった。
歩みだす彼らの後をアンバーが続く。
私も慌ててその隣にくっついて歩きだした。
森の怪人よりも不気味な行列に続いて歩く間、生きた心地がしなかった。
ミエール城に戻ると、程なくしてハニーが出迎えた。
報酬を受け取るための手続きが速やかに行われ、全てが滞りなく完了してしまうと、今度は焦りが生まれてしまった。
これで、私たちがこの城に止まる理由がなくなってしまったわけだ。
それはすなわち、ダイアナを助けるチャンスが今夜しかないということだ。
「あの、ハニーさん」
手続きが終わり、応接間を退室するその前に、私は思い切って申し出た。
「もしお時間があれば、食事の後でお願いがあるのですが」
「はい、なんでしょうか?」
「ここを去る前に、場内を見学してみたいんです。それで、もしよかったら、ハニーさんに案内して貰いたくて。ああ、勿論、お忙しかったら結構ですが」
何度も、何度も、思い知らされてきたことだが、私に演技力というものはない。
それでも、どうにか様になったのか、ハニーは特に不審がる様子を見せず、にこにこしたまま頷いてくれた。
「ええ、勿論。それでは、食後に案内しましょう。アンバーさんもご一緒で?」
「せっかくですが、アタシは遠慮しておきます。明日に備えて早めに寝ておきたいので。代わりにこいつをよろしくお願いします」
「そうですか。ええ、お任せください」
始終にこにこしたまま、ハニーはそう言った。




